また会う日までの
荷物をまとめ終わった上杉は改めて部屋の中を見回した。忘れ物がないかの確認であったが、一ヶ月近く滞在した部屋と別れるを惜しむからでもあった。
染み込んだ雨音の匂いは訪れた時からあり、未だにその匂いが部屋に広がっていた。
主人達に挨拶は午前のうちに済まそうと思っていた。そして上杉の予定では昼頃にはここを出て行くつもりであった。
そんな事を考えながら煙草を吸っていると、扉を叩く音が聞こえ、佐智子が朝食を運んでいた。
「上杉さん、朝食を持って参りました」
「ありがとう。これも今日が最後と思うと、寂しい気持ちになってくよ」
上杉は佐智子を揶揄うように言ったのだが、佐智子の目からは涙が溢れた。
上杉は驚き、そのまま佐智子を部屋に入れた。
「すみません。センチメンタルになっているんです。両親も帰って行った矢先に上杉さんまでここを出て行くので、なんだか、みんな離れて行って寂しくて」
上杉は佐智子の頭を髪の毛に沿って撫でた。それがくすぐったかったのか、佐智子は上杉を見つめた。
「僕もここを離れたくはないよ。でも、仕事はまだ山積みだから。ここに来て書いていた作品を数日前に書き終えたんで次の書きごとをしなければならない」
「ずっとここにいる気はないんですか?」
「ないよ。ここが悪いと言う事じゃない。ただ、僕のいるべき場所は違う場所にあるだけだ」
上杉は佐智子の頭を撫でるのをやめ、煙草を吸った。
・
昼頃、上杉は玄関に立っていた。その様子を見ていた佐智子は昨日の両親が帰る時と同じようなデジャヴを感じた。
荷物を持っている上杉はなんとなく、旅人のように思えた。これからまたどこかに滞在して、放浪するかのように見えた。
伯父は一言、上杉に言った。
「上杉さん、さっちゃんと写真を撮ってもらってもいいですか?思い出に」
「はあ、いいですよ。僕がここにいた事を僕が忘れないように」
「忘れる程、出掛けられるんですか?」
「僕がぼけたときに思い出せるようにね」
随分と先の話であり、佐智子は小さく綻びた。
豊饒閣の前は人通りが多く、建物を前にして、写真は撮れそうになかった。
佐智子はお盆でなかったらと思った。なので、玄関に二人が立ち、他の三人は扉の方に行き、写真を撮った。
佐智子の頭は上杉の首辺りにあった。上杉から見れば佐智子はほんの子供そのものであるのだろうと思った。
「私、忘れません。小説家、秋川勇蔵が訪れたと言うことではなく、一ヶ月滞在した貴方という人がいたことを、ずっと覚えていることと思います」
上杉は佐智子に笑いかけて見せた。二人は握手を交わし、上杉は靴を履き、そこで伯父達に礼をした。
「また来てください。いつでもお待ちしております」
「ええ、きっと行きますよ。今度は観光で。でもその時は、お嬢さんはもうここにはいないのでしょうね」
「その時は、さっちゃんを呼んできますよ」
伯父は笑いながらそう言った。
「一ヶ月、ありがとうございました」
祖母がそう言って頭を下げた。
「いえ、一ヶ月、お世話になりました。お礼はまた後ほど送らせていただきます。では電車の時間が迫っておりますので、失敬」
扉を開けると、上杉はこちらに顔を向けず、早歩きで行ってしまい、すぐにその姿は人混みに隠れてしまった。
・
佐智子はその後、上杉のいた部屋を佐智子は掃除していた。
涙こそまだ出てこないが、寝るときには恐らく自然に涙は何も言わずに出てくるのだろうと思われた。
上杉がいた部屋は上杉の匂いと煙草の匂いが数日は無くなることはなかった。




