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天清爛漫  作者: 山神伸二
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静けさを訪ねて

 佐智子は珍しく、その日は遅く起きてしまった。

 お盆に入り、午後からは慌ただしくなるが、朝の時点ではまだいつもと変わらない様子で合った。

「ごめんなさい。起きるのが遅くなって」

 茶の間には祖母だけがおり、佐智子を見ても怒りはしなかった。

「昨日は夜遅くまで起きていたんだろ?たまにはいいよ。若いしね。よく寝れたかい?」

「うん」

 佐智子は祖母が怒っていないことにほっとしつつ、何か残っている仕事はないかと聞いた。

「それなら掃除かな。今日からは沢山のお客さんが来るから、廊下を重点的にね」

「わかりました」

 佐智子はすぐさま、箒を手に取り、豊饒閣の床を片っ端に掃除し始めた。

 それからしばらくした頃、伯父が佐智子のそばに寄り耳打ちをした。

「さっちゃんには昨日言おうと思って言えてなかったんだけど、明日から一泊二日でさっちゃんのお父さんとお母さんが泊まるらしいよ。さっちゃんの様子を見に来るのもあるし、お墓参りにもね」

「本当ですか」

 佐智子は声に感情を乗せないように言ったが、伯父にはどう思っているかはわかられているようだった。

 佐智子の家は代々飲食業の母の家を継いで、父が店を切り盛りしていた。

 中学生の時は佐智子もアルバイト感覚で手伝いをし、それが、今日の伯父達の旅館で役に立っていた。

 そんなことなので、お盆の期間などは基本休みなく、働いているはずであるが、今年に限っては佐智子が親戚の家でお世話になっていることや、先祖の墓参りということで、店を休んで来るとのことである。

 なんとなく申し訳ない気持ちもありつつ、久し振りに両親に会えると思うと佐智子は楽しみでしょうがなくなった。

           ・

 午後からは客が慌ただしくやって来て、佐智子達は次から次へとやってくる客に対応をしていた。

 そんな様子を部屋から上杉は眺めており、佐智子の伯父に何か手伝うことはないか聞いても、伯父はお客様にそんなことはさせられないと言い、断ってしまう。伯母に聞いても、手伝ってもらいたそうにしてはいるが、伯父と同様のことを言い、祖母はそもそも表情で何もすることはないと上杉に伝えた。残る佐智子にも同様のことを聞いたが、伯父からはやっていただくわけにはいかないから断ってくれと言われたことを言った。

 そうかと言い、上杉は仕事に手をつけようとするが、廊下は物音が慌ただしく、いつものような静けさがなかった。

 お盆の鎌倉はこんなものなのかと思い、外の通りを見ると、長谷寺に行き交う人々でごった返していた。

 時折、豊饒閣が気になり、扉の前に立ち、ガラスの奥に見える玄関を覗き込む者もいた。

 上杉の小説は豊饒閣に来た頃よりはだいぶ進み、それも書く気力がある時に勢いのままに書いたおかげでもある。生来、何に対しても無計画な上杉は、小説に対しても、日によって、原稿が進む時もあれば、全く進まない時もあった。

 豊饒閣を訪れてから嵐の日までは近場にいる先生達の挨拶のために夜しか原稿を書けずにいることが多かったが、嵐の日以降は、昼間でも少しずつ原稿を進めていけるような時間が増えた。

 だが、それも平日の昼間であれば人も多くはなく、喧騒と静けさの狭間で退屈することなく、原稿を書けていたのであって、お盆になった今は、想像を絶する程の観光客で、恐らく、大きい道の方は人がごった返しでいるのだろうと思われた。住宅街や谷戸の方は人は少ないのであるが、上杉に行く宛はなかった。

 そんなことで今日は小説を書く気になれず、床にごろ寝をし始めるが、旅館は忙しそうで、自分だけがこんなことをしているのがなんだが申し訳ないように思えた。

 仕方がなく、原稿に手を進めるが、ありきたりなことしか書けず、原稿用紙を結局、数枚程無駄にしてしまった。

 日差しのせいもあるのか、集中できず、どこかの喫茶店を求めて、旅館を後にした。

 玄関の扉を開けると、なんとなく、歩いている人の視線が自分に向けられている気がした。異様に目立つこの建物から出たことで、変な人目が感じるのだと思った。

 そのまま立ち去ると、上杉自身にも豊饒閣が異様に感じられるのだった。

 タクシーに乗って鎌倉山まで行くと、そこに前に知り合いに教えてもらった喫茶店の前でタクシーを止めて、上杉はそのタクシーが走り去るのを見届けてから、喫茶店へと足を踏み入れた。

 若い男と老夫婦が経営する喫茶店はまだ作られて新しいように思われた。

 いつもであれば上杉は小町通りにあるK先生達の行きつけの喫茶店に立ち寄ったりするのだが、人が多いこの季節にはそこに寄っても、ゆっくりは出来ないであろうと思われ、人の少ない所を求めていた。

 現在、小説は結末は小説を書き始める前に出来上がっており、むしろそれを書きたいがために今の小説を書いていた。だが、そこに辿り着くまでの経緯が今回は難解であった。

 正解のない終わりの見えない話を書くのは想像以上の苦痛で頭を日々悩ませながら、自分らしさというのを思いながら書くのは上杉のような凡才のもの書きでは無謀にも思われた。

 席に着き、珈琲を頼み、そのまま小説の構想を練っていた。

 小説は大正を舞台に書いており、物語は物乞いの主人公が近くに住む、箱入り娘として育てられる女に盗みを働くも、そのことに悔やみ、夜中にこっそりと返しに行く。女に主人公の男は気づかれるも男は盗みのことを謝罪し、女と男は夜な夜な二人だけの密会のようなことを行っていた。結末の構想としては男は女と正式に面と向かって話をでき、そこで話を終えるというものであるが、そこに行くことに上杉はどうも無謀ではないかと思い始めていた。

 しっかりと全体の構想を練ってから、書き始めればよかったのだが、上杉の鎌倉行きが決まり、上杉は見切り発車で話を書き始めていた。今までも結末すら考えずに書き始めても、しっかりまとまって書き終わったこともあるので、今回も大丈夫であろうと思っていたが、そのことを今になって後悔をしていた。

 しかも今回は結末を考えた上で、話が止まるのである。結末を変えるのはそもそもこの話を書いた意味がなくなってしまい、小説家としての自尊心を自分で傷つけてしまう。

 珈琲が届けられ、それを一口に飲みながらも、上杉はどうしようかと悩みに悩んでいた。

 結局、喫茶店では考えはまとまらず、うたた寝するくらいであった。

 静かな環境を求めて行ったわけだが、上杉には静けさすらも騒音になっていた。

 帰りのタクシーの中でも、上杉は密会が知られ、男が女の周囲に近づくことさえ禁じられた所までは考え、そこから先の展開に悩んでいた。

 いっそのこと、女が泣きついたとかにしようか、または女も家出をするか、ただ、家出をした所で、考えているような結末にはなりそうにもない。

 長谷に着いた頃にもまだ纏まらず、それでいて豊饒閣にも戻る気がしなかった上杉は人通りを避けながら、長谷を散歩した。

 山の道沿いを歩いて行けば、人通りも避けられるので、県道からすぐに外れた道を行った。

 K先生や佐智子の友人の佳子の家の前を通り、この辺りでかなり古い建物の諸戸家の建物を過ぎて、しばらく行くと、上杉が、今書いている物語の舞台にした屋敷がある。

 ただ、屋敷の敷地は広く、山の中にあり、外側からはその屋敷は見ることはできなかった。

 門の先から、その奥にあるであろう屋敷を想像し、作者が、小説の舞台に立つことで何を思うかを知りたくなった。

 主人公の男はこの前を何度も行っただろう。そう思いながら周りの景色を見て、何を思ったか、どんな感情を持ったか、限りある景色の中で正しいものを見つけようと思っていた。

 そして、考え自体はなんとか纏めてたが、そこから先は自分の文章力に委ねられることになった。

 自分で自分の首を絞めていることに気づきつつも、そうするしか道がないことがわかり、それに身をすがるようにした。

 豊饒閣に戻るも、玄関で客の対応をしている主人に軽く挨拶をして、部屋へと戻った。

 佐智子の姿は帰ってからはまだ見えないが、忙しそうにしているのは時々、廊下を早歩きする足跡や、遠くでかすかに聞こえる客と誰ともわからぬ従業員の声で感じ取れた。

「午後は仕事をするしかないか」

 上杉はペンを取り、机に向かった。

 とりあえずは草稿を書き、随時修正しながら書き続けるつもりであった。

 作家はこんな孤独感に襲われながら仕事をせねばならないところは賑やかなのが特別好まない上杉でも辛く感じることがあった。

 窓の外から見える観光客を見ると、羨ましくなってしまうも、それに目を背けた。

 それでも時々、自分もどこかへ出掛けても期限までに書き上げれば文句はないと思い、ペンを離そうとする誘惑に襲われるが、上杉の中の真面目な部分がそれでいては駄目だと告げ、渋々、半端やっつけに小説を書いていた。

 後で修正すればいい、今は書き終えるのが先だと自分に言い聞かせていた。

 そしてふと、昔、仲が良かった小説家もそんな事を言って書いていたなと思い出した。

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