旅館で働く少女
佐智子は目覚めるとまず部屋の窓を開けた。
佐智子の部屋からは陽の光は入らないが、陽に当たる朝の空を見て、今日一日を良く過ごせると思えた。
布団をしまい、服を着替え、部屋を出ると、台所へと走るように向かった。
朝五時前であるので、足音はなるべく立たないようにし、そこで、髪をとかし、顔を整えた。それを終えると、朝食の準備を始めた。
厨房にはもう祖母がおり、朝食を作り始めていた。
「おばあちゃんおはようございます」
「おはようさっちゃん」
「今、手伝いますね」
佐智子はそういうと、朝食の準備を祖母と始めた。
佐智子は鎌倉の長谷にある旅館で働きながら、高校に通っている。
旅館は明治から続く老舗とも言うべき旅館で今は、祖母と佐智子の伯父と伯母が旅館の経営をしている。
佐智子は鎌倉の高校に通いながら、そこで住み込みをしている。
朝食の準備を終えると、佐智子は学校へと向かった。
「伯父さん、おはようございます」
階段を降りた先に伯父が煙草を吸って立っていた。佐智子は挨拶をすると伯父は挨拶を返し、笑みを向けた。
玄関から外へ出ると、叔母が水撒きをしていた。
「さっちゃん危ないよ。水がかかったら濡れちゃうから」
「ううん、大丈夫。私身軽だから」
佐智子はそう言って、自転車に乗り、急ぎながら学校へと向かった。
普通なら長谷からであれば、駅も近く、電車で通うことも考えられるが、定期代を浮かすためと線路に沿って自転車に乗って行くのが、今の佐智子には楽しく思え、佐智子は自転車で通学をしている。
海風が涼しく当たり、日差しがひどい時にはそれがオアシスのように気持ちがよかった。
学校が見えると、速度を上げ、踏切を超え、少しの坂を登り校門を通った。
学校には友人が幾人かおり、佐智子は友人達と学校生活を過ごしていた。
学校を終えると、佐智子は速やかに家へと帰って行った。
友人の中にはクラブ活動に勤しむ者。家へ帰り、習い事をする者もおり、それぞれの行うべきことを行うが、佐智子は家の手伝いが行うべきことであった。
家へと着くと、自転車を家の裏に止め、その目の前にある従業員用の入口から家へと入った。
「ただいま、帰りました」
「おお、さっちゃんおかえり」
佐智子の声に気がついた伯父はそそくさと佐智子の前に顔を見せた。
「さっそくだけど、今日出て行った部屋の掃除がまだ終わらなくて、おばあちゃんと手伝ってくれ」
「うん、わかりました」
その部屋に行くと、祖母が床を箒で履いていた。
「ただいま、おばあちゃん。何か手伝うよ」
「おかえり、申し訳ないけど、布団を片付けてくれ」
佐智子は祖母に言われた通り、布団を片付けようとした。布団は重いが、佐智子にはもう慣れたことであった。
ここに来た頃はまだ、少女には重すぎて、腰を痛めそうにもなったが、三ヶ月もいると自然と体力もつくようになっていった。
このせいで佐智子はいまいち女性らしさがなくなったと気にしていた。
布団を片付けると、祖母と二人で掃除を行った。掃除を終えると、しばらく休んでていいと言われ、佐智子は自分の部屋へと戻って行った。
蝉が鳴き始めの季節で、学校ももう少しで夏休みに入っていく時であった。
狭い部屋であるが、特に苦というわけではなく、佐智子は不満はない部屋である。横になろうかとも思ったが、先月に同じことをしたら、起きた時にはもう外が暗くなっていたことがある。そんなことはもうしないと決めた佐智子は部屋を後にし、外を散歩した。
外の道は長谷寺を行き来くる観光客が多くおり、旅館から出てくる佐智子には誰も気づかないようであった。
遠目に長谷寺を見ながら、佐智子は散歩をした。
海の方を目指して歩いていたが、途中で暑さにやられ、散歩を終わりにした。
家に入ると伯母が台所に立っていた。
「ただいま」
「おかえり、散歩してきたの?」
「暇だったから、でも暑くて、無理でした」
「そうでしょう。何か飲みなさい」
佐智子は水を飲むと家族用の小さい茶の間に行った。
茶の間では伯父が新聞を読んでいた。
「ただいま」
「さっちゃん、さっきもただいまって言ってなかったか?」
「うん、おばあちゃんの手伝い終わって、暇だったから、散歩でもしようと思ってたんだけど、外は暑くて、結局、すぐ帰って来ちゃった」
「そりゃそうだ。家の前を通る人達見てるとみんな暑そうに歩いているよ」
その時、呼び出しのベルが響き、佐智子は立ち上がり、廊下へと出た。
この旅館には客の呼び出しのベルがあり、用がある時にこのベルが鳴るのである。
「いいよさっちゃん。私が行くよ」
伯母はそう言ってそそくさと階段を登った。佐智子は茶の間へと戻ると
「伯母さんが行ってくれた」
「忙しいないからなぁ。母ちゃんは」
現在は旅館には一組しか泊まっておらず、休日になると何組か増えることもあるが、平日は一組、二組泊まりに来るくらいである。
時々、昔からの馴染みの人が数日滞在することもあるらいしが、佐智子が住み込みをしてからは一度もなかった。
今いる客も明日にはここを出て行くそうである。客がいないと、ただ旅館が自分達だけのものになり、佐智子はその時が客の目を気にせずにどこへでもいられるため、好きであった。
「明日からはお風呂も大きい方が使えるの?」
旅館にあるお風呂場も客用と家族用があり、家族用は一人しか入れないほど狭いものだが、客用は大浴場とはいかないものの、なかなかの広さであり、普段は時間を分けて男性用、女性用としている。客がいない時などは家族もそこを使用している。
「いや、また明日から別のお客様が来るんだよ。しばらく滞在する予定らしい」
佐智子の表情を見て、伯父は慌てて
「まあ、今度、銭湯にでも行こうか。または夏休みが終わったら、箱根の旅館にでもおばあちゃんと行って来なさい」
「ううん、大丈夫。我儘言ってごめんなさい」
そう言って、箪笥の上に置いてあるラジオをつけた。
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佐智子が住み込みをしている豊饒閣という旅館は古くは明治に創業をした鎌倉でも老舗の旅館である。昔は大仏の裏の方で経営をしていたが、そのうちに長谷寺の通りにも旅館を建て、一時期は二つの旅館を経営していた。現在は長谷寺の通りのみで経営をしており、関東大震災の際に建物が倒壊する事もあったが、現在はまた建て直し、二代目の女将である佐智子の祖母とその息子夫婦で旅館を営んでいる。
長谷の長谷寺の続く道に面しており、歩いていても目を引く建物は著名人が訪れる事もあり、現在も時々、昔馴染みが訪れて行く事もあった。




