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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

彼のために

作者: ぴゃまりょ

『彼のために』


プロローグ


「今後の…僕たちのためにもなると思うんだ!」


言葉を詰まらせながら、そう言い放たれる。私の心には曇天で染まり、肺の空気は重たくなり、息苦しくなる。彼は、長く抱き続けた言葉を解放し、ジョギング後の清々しいため息を吐く。目の前の汗をかいたグラスを持つと、大酒飲みのように冷水を飲み干した。彼は微笑みかけ私の返事を待っているようだった。

 そんなに簡単な話ではない、理解されなくても仕方がない。これは彼と私の愛の話です。




1章 デート


 蝉時雨が降り注ぐ緑道を抜けたところに、オープンして間もない古びたデザインの喫茶店が佇んでいた。緑の中にポツンと差し色のように聳える焦茶色の小さい店は、どこか控えめであるが、堂々とした風格を感じさせていた。

 木漏れ日にキラキラと照らされ、趣きのある雰囲気を出す店内。香りを探せば、淹れたてのコーヒーや、すり潰したコーヒー豆、少し焦げたトースト、日に焼けたウッドデッキなど、それぞれの香りが独立しつつも調和しあっている。


「ここだよ!最近オープンしたばかりなのにSNSで取り上げられてて、今以上に人気店になる前に一度来てみたかったんだよ」


 彼の息継ぎがない熱量に、距離を取りつつ私とのデートの計画に組み込んでくれたことに嬉しく思う。店構えやインテリアの雰囲気を見て、私もこの店に来ることができて良かったと思う。私たちが入店し、注文した料理が運ばれる頃には、店内は満席になり、空席待ちで店外には列の先頭ができていた。

 午前10時の朝でも正午でもない時間。私が注文したのはコーヒーとあんずジャムがのったトースト。果肉がゴロゴロとトーストの上でかろうじて形状を維持している。早く頬張ってあげないと、と口の中に運ぶ。あんずの香りが鼻から抜ける。店内に新しい香りが加わった。果肉の食感がなくなった頃に、苦いコーヒーを含むとまた良い塩梅で私を満たしてくれた。

 彼との他愛のない会話。ゆっくりと過ぎて行く時間。なんでもない時間が溶けていく。美味しそうにハンバーガーに齧り付く彼を見ていると、私も嬉しくなる。


「そうだ、今日は大切な話というか…相談があって…」


 彼はハンバーガーを齧り、口角に垂れる特製ソースを指で拭う。周囲の視線を気にしながら前に身を乗り出して話しだす。その様子は、この店に到着した時とは全く別の人間のようだった。



2章 異常


 2日前。彼と今日のデートの予定について連絡を取り合った日に「大切な話もしたい」と事前に伝えられていた。真面目な話はあまりしない明るい彼からの珍しいメッセージで、今朝まで気になって仕方がなかったが、喫茶店の雰囲気で忘れかけていた。

 先ほどまでハンバーガーを掴んでいた手が、私の手に伸びる。人肌の暖かさ。男性の中でも細身の部類に入る私の指の間に彼の骨太な手が覆う。


「強制はしないんだけど…なんというか…」


 次の言葉を発しようとした瞬間、隣の客から視線を感じたのか、彼の手はテーブルの下に隠れる。実際、隣の若いカップルは、男同士で手を繋ぐ私たちを見て、嘲笑しつつ、フライドポテトを食べている。


「隣の人たちゲイかな?」


「あんま見るなって、邪魔しちゃ悪いだろ」


「いやいや、場所考えて欲しいけど、ちゃんとしたカップルが来るべき店じゃない?食欲失くすんだけど」


「まぁまぁ…隣に聞こえるって」


 私はあんずジャムを一口頬張り瞼を閉じて、聞こえないフリをしていた。他人にどう言われようが、私は私だ。好きな人と食べたいものを食べて感じたいことを感じる。“普通”であるべき理由はないし、“特別”になろうといった考えもない。誰の意図も介入しない私が選んだ道を進んで生きている。心の中で自分に言い聞かせる。ゆっくりとモヤモヤも晴れていく。最後に長めの深呼吸をして、目の前の彼を見た。

 彼は別のテーブルの客、左右や背後、接客中のスタッフ、店頭に並ぶ行列と四方八方に視線を向ける。わかってる。私たちは普通から見れば普通ではなく、特別からも逸脱した異常だということ。


「食べ終わったら出ようか」


 気分を悪くしたのか、丁寧に食べ進めていたハンバーガーも最後の方は無理矢理に口の中に押し込むようにして完食した。私は最後まで味わいたかったが、少し早めにトーストを食べ終わらせ、まだ急いで飲むには少し熱いコーヒーを上唇で温度を確認してから飲み干した。

 レジ前に並べられた手作りジャムを一つ手に取り、会計を済ませる。彼は、そそくさと店を後にすると、人口密度が低いところまで逃げるように移動し、私はジャム瓶をバッグに入れながら彼の後を追いかける。

 喫茶店からそれほど遠くない場所に緑の自然に囲まれた公園があった。3人がけのベンチの左端に彼が座ったので、私は真ん中よりも少し右寄りに座った。その方が彼の顔が見やすいからだ。おそらく大切な話をするのだろうと、私も深呼吸をして気持ちを整える。


「さっきの話の続きだけど」


 私から受け取ったハンカチで汗を拭いながら彼は話を続ける。


「…整形手術を受けてくれないかな?…さっきみたいに周りの人たちにも何も言われなくなるし…今後の…僕たちのためにもなると思うんだ!」


 私は目の前が真っ白になった。正確には心が真っ黒になったのかもしれない。何も考えられない。その瞬間の私の心には、何色も相入れることのないただの黒で覆われていた。目の前の彼は「やっと伝えられた」という安堵の表情をしている。そして私の様子を伺う素振りを見せた。


「女性ホルモンの分泌を促す治療を受ければ、女性っぽい体つきになると思うし…さっきみたいに白い目で見られることも無くなるし…」


 次々と出てくる私を苦しませる言葉に耳を塞ぎたくなる。瞬時に“別れる”という選択肢が過ぎった。しかし、女性の姿として生きることに憧れもあった。


「少し考えておいてくれないかな」


 沈黙の間、蝉の鳴き声はけたたましく私たちの頭上を飛び交っていた。彼は気まずい雰囲気に耐えられず、ベンチの背もたれに体重を委ねて、辺りを見渡していた。

 秋田犬と散歩する青年、ベビーカーを押す女性、ひとりでに揺れるブランコ、寄り添い歩く老夫婦、くたびれたサラリーマン。ありふれた光景を眺めながら私は徐々に気持ちを落ち着かせた。その日はとても話す気分になれなかった。考えさせてと返答して解散した。




3章 相談


 朝、目が覚めても疲れが取れた気がしない。1人で悩んでいても仕方がないと気がついたのは、6日経った頃だった。ひどく長い6日間を過ごし、体力的にも精神的にも疲れてしまった。センシティブな悩みであるが故に、相談相手も人を選ばないといけない。ラッキーなのは私の場合、私と長い付き合いで良き理解者でもある友人が1人いる。その友人に特別な感情を抱いたことはないが、初めて私が同性愛者だと言うことを告白したのは彼1人だった。

 仕事をいち早く終え、足早に待ち合わせ場所の居酒屋に向かう。予定よりも早く到着してしまった私は友人の到着を待たず、先に自分を労うことにした。ちょうどジョッキを一杯開けたところで、友人が到着した。席に案内してくれたスタッフに2人分のビールを注文する。首に締めたタイの結び目を少し緩める動作に目を奪われる。

 まずはメインの相談には触れずに近況報告をしあう。彼は入社1年で、少しずつ営業成績が伸びていき、期待のエースとまで呼ばれているそうだ。私が勤務する花屋では、ヒマワリや、ムラサキツユクサが店頭に飾られて夏の到来を感じていることを話した。彼といると安心感がある。内容がくだらない話をしても、ちょうどいい合間で相槌を打ち、目を合わせてくれる。近況報告も終わり会話が落ち着き、しばらく沈黙が続いた。お酒の力を借りようと半分ほど残ったビールを一気に飲み干す。


「それで?相談があるって聞いたけど」


 なかなか話し出せずにいた私を見かねたのか、彼からきっかけを与えてくれた。私は、空のジョッキに口をつけて残滓を口に運んだ。意味もなく少し伸びた爪を見つめ静かに待ってくれている彼を見た。


「彼から…整形してほしいって相談されたんだ」


 自分で口にすると涙が溢れ出てくる。溢れる前にハンカチで目元を抑える。友人は、しばらく考え込みながら、涙目の私をチラッと見る。


「そっか…1人で考えてどうだった?」


「わからない…ただ、彼には、ありのままの私をうけいれてほしいし…でも、私も手術を受けて女性になる憧れはあったし、それを望む彼のために、応えたいとも思う」


 頷きながら目の前の彼は、次の飲み物を注文し、店員がグラスを回収しやすいように空いた皿などを端に寄せていく。


「うん、人に合わせて生きなくてもいいと思うけど…君は、昔から周囲に気を使いすぎるところがあるから…」


 あまり自覚はなかったが、彼が言うならそうなのだろうと飲み込む。注文したお酒が到着するまで沈黙が続いた。その間も私は血液に溶け込むアルコールと、数日間抱え込んだ悩みの吐露で動悸が乱れ、絶え間なく涙が雫となって頬を伝っている。タイミング悪く次のお酒が運ばれ、スタッフに泣いてるところを見られないよう下を向く。


「そもそも、なんでそんな話になったの?」


「…LGBTは日本じゃまだ受け入れられてないし、デートしている時でも彼は周囲の目を気にしてる…だからだと思う」


「なるほど。随分長い間考えたから、わかってると思うけど、整形したら、元の体には戻れないし、周りの視線を気にする恋愛は、本当の恋愛ではないと思う」


 淡々と話す彼の目は怒っているように見えた。


「自分自身の考え方を変えて解決するんじゃなくて、パートナーである君の体にメスや薬を入れて、幸せになろうだなんて間違ってると思うけど。無神経にも程があるね」


 初めて見る彼の表情。嬉しかった。今日まで彼に抱いていた鬱積が友人の棘のある言葉で崩れていった。


「僕は本当に良い友だちを持ったよ…ありがとう、もう少し考えてみる」


 悩みは無くなったように思えた。お酒の力なのか、この1週間がバカバカしく思えた。話題を切り替えて、その後1時間ほど親友と酒を飲み交わした。

 



4章 彼のために


 私の答えを一番先に報告したのは、彼ではなく友人だった。友人は“君が出した答えなら大丈夫”と温かい言葉をかけてくれた。その後、彼にも報告すると喜びを抑え込んだような声で、“ありがとう”と“ごめんね”を繰り返していた。手術費用は全額彼が負担してくれることになった。田舎の両親には、私のことは一切告白したことがなかった。最後に挨拶をしておきたかった。大学まで行かせた息子が、もうすぐ娘になることについて話しにいくと、父親は聞く耳を持たず温かい歓迎から10分も経たず勘当された。母親と兄貴は、性別や見た目が変わろうが私のことを家族としていつでも迎えると言ってくれた。2人もきっと傷ついているだろう。私も、こんな体と心が一致しない体に生まれたくはなかったし、家族を傷つけたくはなかった。


 8ヶ月後。手術を無事に終えて1ヶ月が過ぎた。春先の香りはすぐそこまで迫って来ていた。姿鏡で変わり果てた自分の体を見る。あったものは無くなっており、無かったはずのものがあった。痛々しい傷跡は、まだ体に馴染んではいないが、小学生の頃から憧れていた女性の体に、これからの人生のワクワクは止まらなかった。

 今日は、術後初めて彼に会う日。まだ体を見せることはできないが、密かに練習していたメイクを施し、女性物の洋服を身につける。

 心なしかいつもより歩くペースが早い。しかしそれは集合場所に近づくにつれて、不安に変わっていった。


「おはよう」


 彼は、私の姿を見ると目を見開き輝かせながら褒めてくれた。その瞬間ホッとしたと同時に別の何かが押し寄せて来た。術前にもあまり見たことがない彼の満面の笑顔に、私の心の中に痼りができる。彼を別の誰かに取られてしまったような感覚だった。

 彼のために綺麗になった私の姿を見てほしいのに、私は上手く笑顔を作れている気がしなかった。それを他所に、その日の目的地だった花畑のクロッカスは美しく咲き誇っている。彼は周りを気にせず手を繋いでくれるようになった。本当に自分の選択はこれで良かったのか。隣の彼は過去の私を忘れずに覚えていてくれるだろうか。私は今の私を愛せるだろうか。


エピローグ

 

 心変わりは人の世の常。私はとても幸せです。誰が何と言おうとも。



 おわり

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