召喚したザシキワラシ様のため、エマは今日もお米を炊く
エマは必死で火魔法を操っている。薪をガンガン燃やさなければならないのだ。
「はじめちょろちょろなかぱっぱ。はじめちょろちょろなかぱっぱ」
眉間にくっきりシワを寄せ、呪文をつぶやいている。これを唱えると、お米がおいしく炊けるらしいのだ。エマにとっては、死活問題なのだ。
「今日こそは、お米を食べてもらないと」
召喚してから数日が経つというのに、まだ精霊様がまともに食事をできていない。このままでは……。
「せっかく、人型の精霊様がいらしてくださったのに。オモテナシできないままでは、無能枠に入ってしまう。そうなったら、そうなったら」
恐ろしくてエマはブルッと震えた。
最初は有頂天だったのだ。だって、人型の精霊。高位の精霊に決まっている。固唾を呑んで見守っていた家族も、抱き合って喜んだ。召喚は家族にとっても大きな賭けだったから。
「召喚ってお金かかるもの。力のある精霊や魔物が来てくれる保証はないし。力がありすぎても、召喚者には制御できないし」
神殿に多額のお金を払えば召喚魔法陣を使えるのだが。やる人は年々減っている。以前、ドラゴンを召喚して浮かれていた貴族が、一族もろともドラゴンの餌食になったことがあった。それ以来、召喚を試みる人は激減したのだ。
「ケヴィンの病気を治すには、召喚で一発逆転を狙うしかなかったから」
謎の奇病で体が石化していく弟のケヴィン。薬も癒しの魔法も効かず、医者や魔道士に匙を投げられた。最後の希望、魔法陣の前でエマは何度も祈った。どうか、ケヴィンを、家族みんなを守ってください、って。
エマの祈りと魔力に応じてくれたのは、小さな女の子。華やかで艶やかだけれど、見たことのない服を着ている。真っ黒で艶やかな髪は眉の上と、肩の上でパッツンとまっすぐに切り揃えられている。切れ長の黒い目。ポッテリと赤い唇。鼻は低いが形はいい。表情のない平らな顔。
魔法陣を制御していた神官が、目を細めて何かを読み取る。
「ザシキワラシ、家の盛衰を司る守護霊」
「ザシキワラシ様。私の呼びかけに応じてくださり、ありがとうございます。エマと申します」
神官の言葉を聞いてすぐ、エマは跪きザシキワラシに挨拶した。ザシキワラシはピクリとも表情を変えず、ひとことも話さない。それでも、エマがうやうやしくお願いすると、馬車に乗り屋敷まで来てくれた。
日当たりと眺めのよい、最上級の部屋に案内する。ザシキワラシは、部屋を見回した後、窓際のソファーの上で正座した。ソファーの下には、不思議な靴がきちんと脱ぎ揃えてある。
「お茶をいかがでしょう。紅茶です。ミルクと砂糖は必要ですか?」
エマの問いに、ザシキワラシは何も答えない。紅茶に何も入れず、少し口をつけた後、ツルリとした顔が歪んだ。
「あ、お口に合いませんでしたでしょうか。では、オレンジジュースはいかがでしょう」
エマはハラハラしながらすすめる。オレンジジュースは、気に入ってもらえたようだ。次に出したクッキーも大丈夫だった。
順調に思えたオモテナシだったが、夜ごはんでつまずいた。料理人たちが腕によりをかけて作ったご馳走。ほとんど手をつけてもらえなかった。エマは青ざめ、料理人は青を通り越して真っ白になり、ザシキワラシはどことなくしょんぼりしている。
エマはこれ以上ないくらいに頭を下げ、ザシキワラシに答えを請う。
「ザシキワラシ様、どのようなお食事をお望みでしょうか。できる限り、ご要望に沿えるようにいたします。なにとぞ、教えてくださいませんか」
ザシキワラシの赤い唇は、開かなかった。
ただちに家族が集まり、緊急会議が開かれる。
「ザシキワラシ様が口にされたのは、オレンジジュースとクッキー。パンとスープは少しだけか。上等の牛肉を用意したのに、牛肉には見向きもされなかったのだな」
「そうなの。きっと、肉はお嫌いなんだわ」
「四つ足の生き物は食べない精霊様もいらっしゃるそうだ。ザシキワラシ様もそうなのかもしれない」
「ドラゴンを召喚した貴族は、肉の費用で身代が傾いたらしいからな。最初の頃は肉屋の肉でよかったが、徐々に牛や馬そのものを丸呑みされるようになったそうだ」
父の言葉に、家族はゴクリと唾をのむ。最終的に貴族たちも丸呑みされたことは、皆が知っている。
「ザシキワラシ様が菜食なら、私たちは食べられなくてすみそうね。よかったわね」
エマは努めて朗らかに言う。家族の顔が少し明るくなる。
「だが、油断はできん。食べ物が合わなければ、出て行ってしまわれるやも。そうなると、とんでもないことが起こるかもしれない」
召喚した精霊や魔物の機嫌を損ねると、ひどいことがあるらしいのだ。
「神官や識者にザシキワラシ様についての情報を集めるようお願いしている。明日には何かしら分かるだろう」
父の言葉通り、翌朝にはいくつかの資料が届いた。家族総出で資料を読み込む。
「ザシキワラシ様は、東の国の精霊なんですって。我が国で召喚した例はないそうよ」
「ザシキワラシ様が言葉を発しないのは、エマの言っていることを理解できていないからなのでは?」
「あっ、東の国の食事内容が書いてある。主食はお米ですって。麦みたいな穀物なんですって」
「どこかで手に入らないか、商人に聞いてみよう」
商人を呼んで待っている時間が惜しいので、父とエマは商店に出向く。貴族なので、すぐさま応接室に通され商人に会えた。若くて爽やかなシュッとした青年が、真面目な顔で父とエマの話を聞いたあと、サラリと言う。
「お米ですか。ええ、ございますよ」
「ございますか!」
エマは喜びのあまり大声で復唱し、立ち上がった。父の咳払いで我に返り、ストンッと座り直す。商人は如才なくニコニコと微笑んでいる。
「はい、いくつかございます。お持ちいたしますので、お待ちください」
商人は席を外すと、すぐに小袋をいくつも抱えて戻ってきた。
「当社にあるのはこちらです」
小皿をいくつも並べ、小袋からサラサラと少量を出して見せてくれる。細長い米、丸くて小さい米、黒い米など様々だ。父とエマは顔を見合わせ、同時に言った。
「全ていただきます。全種類、小袋でください。客人が気に入ったものがあれば、また買いに来ます」
「料理方法は麦と同じですよね?」
念のため、エマは確認した。商人は首肯する。
「そうですね。お米を細かく砕き、水とミルクで茹でます」
「分かりました。どうもありがとう」
エマと父は意気揚々と屋敷に戻り、料理人と打ち合わせをする。
「大麦のおかゆと同じでいいらしいのよ」
「色んな種類がありますが、どのお米がいいでしょうか」
料理人が疑問を口にする。もちろん、誰にも分からない。
「ザシキワラシ様に聞いてくる」
エマは商人と同じように、いくつもの小皿に各種のお米を少し入れ、お盆に載せて部屋に運ぶ。トントンッと扉を叩き、「失礼します」と言って入り、ソファーの上でちんまりしているザシキワラシの前にお盆を置いた。
「ザシキワラシ様のお国では、お米が主食と聞きました。どのお米がよろしいでしょうか。教えていただけませんか?」
エマが跪いて恭しく尋ねると、彫像のようだったザシキワラシがほんのわずかに動く。目が丸く、口が少し開き、ゆっくりと上がった。ザシキワラシの黒い瞳は、一点を見つめている。エマは注意深く視線を追った。
「こちらのお米でお作りいたしますね」
エマはひとつの小皿を持ち上げる。ザシキワラシの口角が上がったままなので、エマはホッとする。ようやく、ちゃんとしたオモテナシができそうだ。
料理人が白くてコロンと丸いお米を砕き、丁寧に水とミルクで煮込む。グツグツ、ネットリしたおかゆをふたつの器に盛りつける。ひとつはそのまま。もうひとつは、色んな果物で美しく飾り付けた。
「ザシキワラシ様はどちらがお好みかしら。私は病気のときは何も入ってない方がいいけれど。普段は果物をたっぷり載せる方が好きだわ」
ウキウキしながらエマはおかゆを運ぶ。心なしかソワソワしているように見えるザシキワラシの前に器をふたつ置いた。ザシキワラシは白い手をすっと伸ばし、何も入っていない器を取り、さじでひと口。途端にザシキワラシの顔が曇る。口角が下がり、目の輝きが消えた。
コトリとザシキワラシは机の上に器とさじを置く。
「お口に合いませんでしたか。申し訳ございません。作り直してきます。しばし、しばしお時間をくださいませ」
エマは必死で謝ると、器をお盆に載せて部屋を出て、早足で台所に向かう。落ち着かない様子でウロウロしている料理人たちは、エマの顔を見た途端に肩を落とした。
「ダメでしたか?」
「ダメだった。ひと口食べて、なんかオエッて感じの顔を一瞬」
「なぜ。何が悪かったのでしょう」
「分からないわ。でも、果物は載せない方がいいみたいよ」
ワラワラと集まってきた家族もガックリ気落ちしている。
「東の国に詳しい人が誰かいないか、ほうぼうに使いを送ろう」
「神殿に行って、相談してきますわ」
「商人に会いに行って、何か知らないか聞いてくる」
「王宮図書館に行って、文献を当たってみるわね」
父と母、兄と姉がそれぞれやることを決め、散っていく。エマは料理人たちと試行錯誤だ。
「無礼は承知で、ザシキワラシ様に聞いてみましょうよ。背に腹は代えられないもの」
エマは料理人たちから、おかゆの作り方、材料を細かく聞き、紙に書き留めた。全ての材料をお盆に載せて、またザシキワラシの部屋に逆戻り。鍋や材料は料理人も部屋の外まで運んでくれた。部屋の中にはエマがせっせと運び入れる。
「ザシキワラシ様。たいへん失礼とは思いますが、お米の調理方法について教えていただけないでしょうか」
ザシキワラシの顔が、心なしか明るくなったような気がする。色んな調理道具をじっと見つめている。
「我々の国の調理法を実演してみます。それは違う、ということがあれば止めてくださいませ」
エマは石臼にお米をザラザラッと石臼の上に置き、穴の中に落とし入れ、グルグルしようとした。スッとザシキワラシの手が伸びる。
「えっ、もうダメですか?」
思わずエマはすっとんきょうな声を出してしまった。まさか、初手から間違っていたとは。
「えー、ということは。ザシキワラシ様のお国では、お米はすりつぶさないのですね。ええっとええっと」
エマは忘れないように紙に書きつける。
「それでは、そのままのお米を鍋に入れ、水とミルクを注ぎ入れます」
スススッとザシキワラシの手が伸び、ミルクの上に置かれた。
「まあ、ミルクは入れないのですか? お水だけですの? 味がしないからおいしくないのでは?」
エマは仰天して水を取り落としそうになった。いや、でも、水だけとおっしゃるなら、それに従うまでである。
「では水をザバーッと入れまして」
ザバーッと思い切りよく水を鍋に入れようとしたら、少しだけ止められた。エマはちびちびと水を入れていく。あるところで、ピタッとザシキワラシの手が差し伸べられる。
「なるほど、水加減はこれぐらいなのですね」
人差し指の第一関節ぐらいまでか。ふむふむ、エマはうなずきながら紙に書く。
「かまどで鍋を強火にかけます。何度もフタを開け、グルグルかきまぜながらグツグツ煮ます。ネットリグズグズになったら食べごろです、よね?」
さすがにかまどは持ってこられないので、エマが口頭で説明すると、ザシキワラシが目をつぶっている。なにかが、大分違うようだ。
ザシキワラシは目を開けると、初めてエマと目を合わせた。すぐサッとそらされてしまったけれど、何か言いたいことがあるようで、口を開けたり閉めたりしている。
「はじめちょろちょろなかぱっぱ。ぶつぶついうころひをひいて。ひとにぎりのわらもやし。あかごなくともふたとるな」
か細い声がザシキワラシの赤い口から漏れる。不思議な節の歌。エマにはちっとも意味は分からないけれど。
ザシキワラシが何度も歌ってくれるので、エマは意味は分からないものの、その呪文を覚えた。
「お米を炊く魔法の呪文なのですね。ありがとうございます。できそうな気がしてきました」
エマが歌ってみせると、ザシキワラシは微妙な表情をしている。ザシキワラシの目が揺れ動き、しばらくしてからハタとエマの手元に止まった。ザシキワラシが手を伸ばして、エマの手から紙とペンを取る。ザシキワラシはペンでいくつか試し書きをしてから、サラサラと絵を描き始める。描き終わった紙を渡され、エマはパッと笑顔になった。
「これが、火加減なのですね。最初は弱火、湯気が出てきたら強火、最後は火を止めて待つ。ふたは取らない。分かりました、やってみます」
エマが力強く言うと、ザシキワラシはコクリと頷いた。
料理人に見守られながら、エマはかまどに鍋を置き、薪に火をつける。薪に火がついたら、火加減はエマの魔法で調整する。薪に任せている場合ではない。複雑怪奇な火加減なのだから。
「はじめちょろちょろなかぱっぱ。はじめちょろちょろなかぱっぱ」
呪文を唱え続け、おいしくなあれと祈る。何度も何度も何度も。
お米を炊いて、試食し、こんなもんかと思いながら、ザシキワラシに食べてもらう。ザシキワラシの顔は晴れない。
「パッサパサだなーと思ったら、やっぱりダメだったみたい」
「ベチョベチョだけど、こんなものかしらと思ったけど、やっぱりダメだったみたい」
「中に芯が残っていて不思議な噛み応えだわ。これでいいのかしらと思ったところが、やっぱりダメだったみたい」
ダメだったみたいの連発である。でも、エマは諦めない。だって、弟のケヴィンの病状が、明らかによくなってきているのだ。石化が止まり、硬かった場所も少しずつ柔らかくなってきている。
「ザシキワラシ様のおかげに違いないもの。私は絶対においしくお米を炊くわ」
エマが不退転の決意でお米を炊いているとき、家族も奮闘している。
「王宮図書館で東の国へ行った旅人の手記を見つけたわよ。炊き立てのお米に、焼いた塩鮭を載せて食べるんですって」
「商人が、東の国からお米に合うピクルスを取り寄せてくれた。梅のピクルスだそうだ」
「東の国では、紅茶ではなく緑茶を飲むそうだよ。公爵家から特別に分けてもらってきた」
「東の国では、フォークとナイフは使わないんですって。おはしっていう二本の棒で食べるそうよ。職人に作らせたわよ」
家族全員が、できることをやってくれている。エマが遅れをとるわけにはいかない。
「はじめちょろちょろなかぱっぱ。ぶつぶついうころひをひいて。ひとにぎりのわらもやし。あかごなくともふたとるな」
弱火から強火へ。鍋がブツブツ言い始めたら火を弱める。気まぐれな風が窓から吹き、藁がパラパラと薪の上に舞い降り、パッと燃え散った。火を止め、じっと待つ。もういいよ、そんな声がしたので、エマはフタをそうっと外す。
「ツヤツヤでピカピカで米粒がなんだか立っているみたい」
エマはそうっとさじですくって食べてみる。
「もちもちでふっくらしてて、ほのかに甘い。これは、おいしい気がする」
料理人も少しずつ試して、皆が頷く。
「これは、おいしいと言っていい気がします」
「ベチャベチャでもパサパサでもありません」
「ああ、ザシキワラシ様が気に入ってくださいますように」
皆に祈られながら、エマはゆっくりと気をつけてお盆を運ぶ。
部屋に入って、窓の外を眺めているザシキワラシの前に、ひとつずつお皿を並べる。
「お米と、焼き鮭と、梅のピクルスです」
ザシキワラシは二本の棒で器用にお米をすくい、小さな口に運ぶ。焼き鮭の身をほぐし、お米の上に置き、お米と一緒に食べる。次は梅のピクルス。全てのお皿が空になる。ザシキワラシは器と二本の棒を机に置くと、新緑の若葉のようなお茶を飲み、最後に静かに手を合わせた。
祈り終えた後、ザシキワラシは目を開け、エマを見る。
「エマ、ありがとう。おいしい」
たどたどしいが、エマの国の言葉だ。エマは胸が詰まって床に突っ伏す。
「こちらこそ、ありがとうございます。ザシキワラシ様のおかげで、ケヴィンの病気が治りました。この御恩、一生忘れません」
そんなわけで、ケヴィンはすっかりよくなり、エマの家はなにもかもがうまく行くようになった。父が手掛ける事業はことごとく当たり、不思議なくらいにお金が儲かる。エマにも縁談が降るほど持ち込まれる。でも、エマはどれも断っている。
父が許してくれるなら、エマはとある平民と結婚したいのだ。
「私は平民ですから。エマ様とは身分が釣り合いませんよ」
「ザシキワラシ様のために、危険を冒して東の国近くまで行って、茶色いスープの素を見つけてくれたのは、あなたよ。私は本当に嬉しかった。ザシキワラシ様の笑顔、あなたにもお見せしたかったわ」
エマは商人の手をそっと握る。
「いつか、あなたとザシキワラシ様と一緒に、東の国に旅行に行きたいわ」
「東の国は遠いですよ。でも、エマ様のお父上がお許しくださるなら、ぜひ」
彼は照れながらも、エマの手を握り返してくれる。
「船の上でも、お米って炊けるかしら?」
「手配しますよ」
「酸っぱい梅のピクルスと、茶色いスープの素をたくさん買いたいわ」
「手配しますよ。でも、まずはお父上のお許しを請わなければなりませんね」
ドキドキしてふたりで父と母に話しに行ったら、あっさり許された。
「平民なのに、いいのですか?」
「いいのだ、いいのだ」
「いいのよ、いいのよ」
父と母はニコニコしている。
「我が家は豊かになりすぎて、嫉妬とやっかみが怖い。エマを巡って貴族家同士が揉めていたりする。どこの派閥にも属していない、商人の君が一番ありがたい」
「エマが好きな人が一番よ」
家族に見守られ、ザシキワラシに祝福され、エマは愛する人と婚約した。貴族令嬢だけれど、東の国の料理が得意なエマは、恋人に手料理をふるまっている。
<完>
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