第五話 恩寵
この世界には、解き明かされていない物事が無数にある。
何故夜空に星が輝くのか。昼と夜があるのか。そういった現象はある程度研究がなされ、一定の説明を得られはする。だが、そのようなものよりも人々、特に権力者の関心を引き、故に多くの資源が投じられ研究されているが、それでもほとんど足がかりさえ得られない現象が存在している。
その現象は「恩寵」と言われ、恩寵を行使できる人物は神子と呼ばれる。
人が人の身にして、神の御業かと見紛うほどの力を行使する。事実として、そのような事象が観測されているのだ。繰り返すが、今まで多くの王やそれに等しい存在、あるいは宗教的指導者等が、その現象の解明、いや効率的な利用方法について多大なる投資をしてきた。しかし、人の身に余ると言うことか。まるで神によって隠されているかのように、その姿を捉えることができない。
ある者は、自由自在に火を熾し、それを操ることができた。そして、その力を使い敵対者の悉くを焼き尽くした。
ある者は、癒やしの力を振るい、失われた脚を再生してみせた。
ある者は、遠く離れた人に声を届け、商人として巨万の富を築いた。
神子は、すべからく時の権力者により、その力を自分のために行使するように求められてきた。国家に取り込まれたもの、拒否をして世捨て人となったもの、逃げ切れず、さりとて道具として生きることを拒否し、命を落とす者もいた。もちろん、自ら権力者となった者もいる。知られていないだけで、世捨て人や力を持たぬものとして生を終えた者もいるのかもしれない。
研究によって分かっている、いや分からないことは、神子にはなんら共通点も見いだせず、いつどこに顕れるかは神のみぞ知るということ。この世界に残されている全ての資料を紐解いても、数百年単位で神子の存在が一人も確認されなかった時代もある。
信仰心に着目した者もいた。血統に期待をかけた者もいた。しかし、それを嘲笑うように、不信心者である神子も多数存在したし、二代に渡って恩寵を得て、これはと期待されたものの、以後一人も神子を輩出していない家も存在する。
中には、ペテンに掛けて己を神子であると偽った者もいた。神子であるかどうかを真に認定できる者は誰もいないからだ。もっとも、その多くは命を持ってその代償を支払うことになったが…
学者の首をいくら刎ねようが、神子を作り出すことも、出現を予見することもできない。できることと言えば、広く耳目を張り巡らせ、出現を確認でき次第取り込みにかかることである。
一つだけ確かな事があるとしたら、強力な恩寵を得た神子の存在は、時代を変え得るということであろうか。
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天幕を出た後、アウラと連れ立って、休息用の別の天幕へと足を運ぶ。
「アルスと二人っきり」
嬉しそうに腕を掴んで笑うその姿は、無邪気な少女そのものだ。傍から見るものがいれば、仲の良い兄妹にしか見えないであろう。しかし、この二人は微笑ましさとは無縁である傭兵団にとって欠かせない戦力である。
アルスは隣にいる存在について思いを巡らせる。
――大切な妹だ。本当は危険に晒したくない。でも、次の作戦にアウラの力は絶対に必要だ。
そう、アウラの持つ恩寵は、こと奇襲作戦に置いては無類の力を発揮する。その権能は、ある意味では未来視とでも言える強力なものだ。本人が知りたいと願う物事について、その未来の結果を脳裏に示す。今回の場合は、敵の逃走経路を知りたいと願えば、それが詳らかになるのだ。
もちろん、百発百中になるまでには至っていない。しかし、今までの実績に基づけば、大きく外れることもない。少なくとも、戦略や戦術に長けた者が側にいれば、戦場において比類なき力を発揮することには言を待たないであろう。
難点があるとするならば、知りたいと願う集中力が必要な恩寵であり、皮肉なことにその持ち主は、集中というものと縁遠いことだろうか。しかし、それを補う方法は経験論として既に分かっている。有り体に言えば、アルスが彼女の機嫌を取り気分を良くする、それが解決方法として選択されている。
天幕へ入り、簡易的な寝床で横になる。もちろんアウラも一緒にだ。そして、任務―そういった事を抜きにしても嫌ではないのだが―を開始することにした。
彼女を抱き寄せ、頭を撫でてやる。こうされることを殊更好むことを知っているし、自分自身も落ち着くからだ。
「ふふっ、くすぐったい」
とても嬉しそうにしている彼女を見ると、自分の頬も緩んでいくことを感じる。しかし、気を引き締め、必要な事を言い含めておく。
「アウラ、今回の作戦は言うまでもなく君の力が必要だ。だけど、当然危険が伴う」
彼女の恩寵を十全に行使するためには、想定される未来において、その場所に彼女自身が身を置いていなければならない。当然今回のケースにおいてその場所とは戦場になる。
「今更だよ。アルスもわたしの力は知ってるでしょ?」
この場合の力とは恩寵のことではなかろう。アウラ自身が持つ戦闘能力のことだ。彼女に恩寵があると分かったのは1年前のこと。その力を当てにされて拾われたわけではない。当然、戦場に出て今まで生き残ってきただけの能力を持っている。いや、その評価は過小だ。彼女は年齢を考えたら極めて優れた戦闘能力を持っている。
「誰よりも知っているつもりだ。でも、いつも心配なんだ」
彼女はこう見えて優れた観察眼を持っている。言葉を飾っても見透かされるだけだ。だから、素直な想いをぶつける。
「心配されるのは悪くない気分。でも、やるべきことを為す。それが団の掟」
そう、団長が決断し、決行される作戦だ。既に多数の人員が事を成すために動いている。当然、次の戦いでも死者は出るだろう。アウラを止めることは、彼らを無駄死にさせることに等しい。
「そうだな、だから俺の側から離れるな」
彼女を信頼していないわけはない、しかし、ただ今回の様な危険な作戦では、自分の手が届かない範囲にいることは許容しない。
「分かってる。必ず守ってくれるって信じてるから」
未来視を使ったというわけではないだろう。純粋に信頼されている事を感じる。長い間一緒に生きてきたのだ。その程度の事は恩寵で無くとも分かる。
「そんなことより疲れてるでしょ?いっしょにいてあげるから、寝よ?」
彼女には何でもお見通しのようだ。実際「傾国」との対峙は想像以上に精神的な疲労を誘発していた。今はゆっくりと心と体を休めるべきだろう。傭兵にとって心身の管理は重要な仕事だ。そう考えていると、アウラが更に身を寄せてきた。薄い毛布はあるが、暖を取るためには人肌も必要だろう。そうひとりごちながら、腕の中の存在を抱きしめ眠りにつくのであった。