第一話 日常である戦場
習作です。
頭が痛く、視界はぼやけ、土と血の味がする。
「状況は・・・」
どうやら一瞬意識を失っていたようだが、無意識的に思考と身体は動き始めている。彼にとって日常の行動なのだから。
目覚めてから、自身の肉体も含めおおよその状態を把握するのにかかった時間は数秒だった。
側頭部を強打し、右手は折れるまでにはいたっていないが強い痛みが残る。
気を失う直前の記憶を手繰り寄せると、馬上の騎士より痛烈な一撃を食らい吹き飛ばされたのだろう。
「まだ戦える」
この判断は強がりでもなく、純粋な事実であろう。
齢はおそらくは15歳といったところだが、戦場には後方支援も含めればもう10年は立ってきた。
冷静な判断が下せるし、気負いもない。
しかし、騎士の突撃は一瞬で通り抜けたであろうが、それにより空いた穴に敵歩兵が殺到してきている。
実際に、周囲の味方は混乱の極みにあり、自身が配置されていた左翼部隊はまとまった防御を行うことは最早不可能であろう。
「この感じだと、指揮官はもう駄目だろうな」
本来なら、この状況を立て直すべく命令を下す声は聞こえてこない。指揮官は戦闘不能となったか、逃げ出したと判断するべきであろう。
この時、彼の頭の中には二つの選択肢があった。
一つは、なんとか付近にいる兵の混乱を収め、遅まきながらも組織的に守備を行うこと。
もう一つは、さっさと逃げ出すこと。
本当はもう一つの選択肢があったが、それには対価が見合っていない。
前者は、現実的に考えて難しいであろう。何故なら、混乱した兵を立て直すには何らかの説得力、言うなれば命令を聞かせる力がいる。15の子供(自分ではそうは思っていないが)で立場は傭兵。言うことを聞かせられるかどうか分の悪い賭になるし、時間的猶予もない。
「ここは逃げの一手だな」
そうと決まれば行動は早い方がいい。脚の動きは全く問題ないし、速さには自信がある。
周囲の兵の多くは逃げられないだろうが、戦場とはそういうものだし、自分でなんとかできないようならそこまでの運命だ。
もちろん、同じ傭兵団の仲間がいるなら話は全く変わってくるが、今回はとある事情によりその心配はない。
そう考えながらも既に走り出している彼は、ようやく潰走を始めた友軍部隊を尻目に、既に数キロメートルの猶予を稼いでいる。
このまま逃げ切り、中央に布陣する友軍部隊に合流しよう。そう考え走りつづける彼の目に、異様な光景が飛び込んできた。
遠目に見えてきた合流するつもりだった中央に配置された部隊も、自身の古巣と同様に崩壊しているようなのだ。
「何が起こっているんだ?」
一般的に騎兵は瞬発力と衝撃力には長けるが、持続力には劣る。自信の記憶によれば、敵は中央に配置された部隊に対して突撃をかけられる騎兵部隊を配置していなかったし、歩兵部隊や弓兵部隊による攻撃ならここまで即効性はない。
考えられるとするならば、自分が配置されていた左翼部隊を抜いた敵騎兵部隊が、中央の部隊をも突き崩したということぐらいであろう。
一般的に、中央に配置される部隊は最も厚みを持つ。総大将が指揮を取る本陣を守る部隊であるという性質を持つからだ。
今回の布陣も例に漏れず、そのような配置となっている。もちろん、騎兵部隊に側面を突かれた歩兵部隊は脆い。しかし、最悪でも左側面に配置されていた部隊は陣形を変え、槍衾を形成する時間はあったはずだ。
今回総指揮を取っているパラティオン公国の将軍と配下は、無難な指揮を取ることができる能力はあったはず。となれば、敵の騎兵部隊が余程優れていたのだろう。
馬の披露も考慮して、最小限の動きで最大限の効果を発揮してせたに違いない。見れば中央舞台の混乱も指揮を取る者がおらず、混乱している様子がうかがえる。恐らくは指揮官を狙って潰されたのであろう。
「これは負けたな」
左翼が潰走し、中央の前衛部隊がこの有様では最早勝利は望むべくもない。普通の傭兵が取るべき行動としては、戦場からの離脱一択であろう。
しかし、彼の属する傭兵団は普通ではなかった。雇い主が窮地に陥っているということは、稼ぎ時であると考えるのだ。
敵騎兵部隊の姿が見えない以上、右翼まで突き抜けたか本陣に向かったかどちらかだ。この局面で右翼の救援に向かう意味は皆無だし、とある事情からそもそも右翼が崩されることは心配していない。
だとするならば、本陣の救援に向かうことが一番金になる可能性が高いであろう。
「さっきの借りも返さないとな」
正直なところ、自身を一瞬とは言え戦闘不能状態に陥らせた騎兵には12を超えてからは初めて出会った。借りを返しがてら顔でも拝んでやろうと、本陣に向けて少年が風の如く駆けていく。