第95話 噛み合わせない
リアンウォッチ操作にモタモタしていると、それにしても、と祠堂が口を開く。
「よく幻術と気づいたなファウストの現身。あんなに実体に近かったのに騙されなかったとは。その、あれだ」
本音を言えば悔しさはあるが、あれを見破れることができた息吹戸が一枚上手だと認めざるを得ない。
「……感心する」
祠堂は賛辞を述べたのち押し黙る。心なしか顔色が悪い。
彼の脳裏にはこれと似たような場面が浮かんでいた。純粋に感心し尊敬の念を込めての賛辞に対して、息吹戸から返ってきた言葉が、勉強不足・思考に柔軟性が乏しい。と説教じみた批難だった。その言葉にショックを受けて凹んだ事もある。
何を言っても彼女からは批判しか返ってこないと理解していても、凄いと思ったことはつい素直に伝えてしまう。
これ性分だと諦め、今回はどんな皮肉が返ってくるかと内心身構える。
息吹戸は「そうだね」と頷き、
「みんなの会話に違和感があって、なんかおかしいなって思ってて、それが何なの分からなかったけど」
リアンウォッチを弄るのを止めて鉈を拾い上げた。
「実際に体験して、これはVRゲームに近いかもって閃いたんだよね」
血みどろで刃こぼれがあったはずの鉈が、使用前の状態に戻っている。
アンデッドを切った手ごたえがしっかりあったことを思い出し、感心したように、ほう、と息を吐いた。
肩透かしを食らって目を丸くしている祠堂に一切の興味も示さず、腰につけている鞘にするっと鉈を納める。
「思い込みの力を利用されたってことね。凄いなぁ、脳の誤作動」
「……それだけか?」
いつものように批判はしないのかという意味で聞き返した祠堂の言葉を、他になにか気づいたことはあったのかという意味合いに捉えた息吹戸は、うーんと首を傾げた。
「あとはそうだなー。ゾンビから腐った匂いがしないから、おかしいなーって思ってたんだけど」
「はあ? 腐った匂いがしなかっただと?」
質問の答えと違う言葉が返ってきたが、耳を疑うような内容に祠堂は驚きで目を見開いた。
「うん。全然。泥とか砂の匂いしかしなかった」
息吹戸は祠堂のリアクションを不思議そうに眺める。至って真面目に返事をしただけなのに。と心のなかで付け加える。
「マジで? あれだけハッキリ悪臭があったのに? あれは実体と同じくらいの完成度だったぞ!?」
腑に落ちないと言わんばかりに矢継ぎ早にまくしたてるので、息吹戸がどうどう。と手で落ち着くよう示した。祠堂はぐっと小さく呻いて口を閉じる。
「うーん。そうだなぁ」
息吹戸は悪臭を感じ取れなかった原因を思い浮かべる。
答えはすぐにでた。『私』が体験したことがないからだと。つまり腐敗した遺体に遭遇したことがないからイメージ出来なかった。
(でも一度、初めて来た時にゾンビと出会った。その時は腐臭なんてなかったもんなぁ)
ビルにいたゾンビから腐敗臭はしなかった。死んで間もないモノだったのか、それとも寄生型だったからか理由は分からないが。腐敗と思わなかったのは確かだ。
「おそらく、『私』は死臭を匂った事がないから、イメージできなかった。だから体現できなかったんじゃないかな。記憶にないモノは体現できない。特に匂いは現場に出遭わないと記憶されないから」
幻術は脳から記憶を引き起こし、ある筈のない現状を体感させる術でもある。
そう考えるとこの術は、死線を潜り抜けた者ほど強烈に掛かると予想できる。祠堂のように現実と幻想の区別が把握できないくらいに。
(他の皆が少し心配。思い込みは中々覆せないから)
杞憂だと思うが息吹戸は表情を曇らせた。
祠堂は腕を組み、彼女の言葉を一から十まで考えて、怪訝そうに眉をしかめながら呻いた。
「……ふざけてるのか?」
その姿をみて息吹戸は片手で頭を押さえた。『私』よりも息吹戸瑠璃を知る祠堂からすれば、頓珍漢な発言だったはずだ。
ついつい、考えたことを素直に言ってしまうのは、この体ではきっと悪い癖になる。記憶喪失を隠している以上、人物像をぶらせる事になり混乱させるだけだ。
「ああ、ええと、今のは」
「死臭を匂った事が無いわけないだろう? 俺よりも早く現場に入っているくせして」
「え? 私、祠堂さんよりも現場出る期間、早かったの?」
口が滑った事を誤魔化そうと思った矢先にうっかり興味を惹かれ、息吹戸は祠堂に視線を向ける。好奇心旺盛の視線に彼はちょっとたじろいだ。
「はあ? そりゃそうだろ。俺がアメミットに就職したのが20歳。その頃もうすでに、カミナシ討伐部第二課に所属して前線に出てたじゃないか」
息吹戸は目を丸くした。年齢の計算が合わない。息吹戸は現在22歳と教えてもらった。学校を卒業してすぐ就職する時、早くても18歳だと思っていたが。
「祠堂さん今何歳?」
息吹戸は真剣な眼差しで指導に年齢を聞く。彼は頭部に「???」を沢山浮かばせながら「……25歳」と呟いた。
「五年前……息吹戸はいま22歳だから、17歳くらい? その時期からもうカミナシにいたの? まだ学生では?」
「いや。知らねーよ。出会ったのがそのぐらいで、それよりも前からカミナシで仕事してたんだろ」
「この世界の労働基準法どうなってるの?」
祠堂は首を傾げつつ「ろうどうきじゅんほう」と棒読みで復唱したので、息吹戸は内心ああああああああああと叫びながら、手を乱暴に振って彼の注意をそらせた。
「なんでもない。なんでもない。気にしないで。寝ぼけてた」
「言ってる意味は良くわからないが。要は適性検査と試験に合格したから現場に早く入る事が許されたってやつだろう? 神通力が高いとそーいう事がよくある。アメミットでも年端のいかない子が入ってくるが……お前のその口だろうが」
そこまで説明して、祠堂はむうっと眉を潜める。
「前々から思っていたが、お前、少しおか……」
「ああっと! ここにはもう用はないし、部長に連絡しなきゃいけないね! 時は金なり! 急がないと!」
祠堂の声をかき消すほど大きな声を出し、手をパァンと叩いて、くるっと後ろを振り向いて駐車場へ駆け足で向かう。
あからさまに話題をそらしたが、祠堂はやれやれと頭を振って言葉を飲みこんだ。態度に違和感を覚え気になるものの、それを追求する間柄ではない。津賀留にそれとなく尋ねるかと思いつつ、彼も駐車場へ歩き出した。
息吹戸はマウンテンバイクの横へ立つと、腕時計を押してディスプレイを出し、玉谷の通話ボタンを押す。
「えーと。玉谷部長に報告は、ゴーストに仕込まれた魔法陣が、アンデッドを召喚しているってこと。あのゴーストが誰の従僕なのか分からないけど、アンデッド騒動解決の糸口になるかもしれないってことだね」
少し遅れて駐車場に来た祠堂に「部長に報告するから、少し静かにしてね」と伝えると、彼は静かに頷いた。
息吹戸は腕時計の通話を起動した。玉谷はコール十五回で通話に出る。
「お疲れ様です部長。終わりました。それで報告があ……」
『終わったか! なら次の場所へ移動してほしい! 大量のアンデッドが霊園に同時出現した!』
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