第82話 誰に聞けばいいのかな
息吹戸は正面玄関横にある小休憩スペースに到着した。
数ある自販機から紙コップ自販機を選びイチゴオーレのボタンを押す。何故だか疲れたらコレが飲みたい。紙コップに入っているイチゴオーレを。
ざらざら、こぽこぽと、紙コップに氷と液体が注がれる機械音が響く。
取り出し口の明かりがついたので中から取り出す。手に伝わる常温が温く感じて、紙コップを揺さぶって液体を回すと、氷に冷やされヒンヤリした。
休憩用小スペースは喫煙室と禁煙室とに別れている。タバコは吸わないので禁煙室に入ると誰もいなかった。
パイプ椅子に座り、姿勢をだらんとさせて寛ぐ。
無音の中、換気扇の音が小さく響いた。
息吹戸は上辺に浮かぶ氷ごと、ジュースを口に含む。
味を確認してぐいっと一気に飲み干した。
「ぷはあ! あまーい! 脳に染み渡るー!」
酒を呷ったような声をあげて喉を潤し、糖分でストレス数値が緩和したところで、空になった紙コップをポイっとゴミ箱へ投げる。
一滴未満の微細な水滴を空間に放ちながら、紙コップはゴミ箱へ吸い込まれた。
ホールインワンに満足しながら座り直し、天井を眺めた。
(私はきっと社会人だな。二十代後半くらいかな? いや三十代くらいかもしれない)
パソコン入力中、今の業務に関係ない内容が次々浮かんできた。数字入力、文字入力。詳しく思い出せないが、企画書みたいなのを打ち込んでいたようだ。
失くした記憶の一部だと推測できる。
(もしかしたら。こうやって小さな習慣を思い出して。そのうち『私』が誰なのか思い出すかも)
そうなればいいな、と楽観してにへらっと笑う。
(となれば、今できることは趣味を始めること。良い素材ゴロゴロあるからインプットは十二分に出来る。今度はアウトプットしたい。BL読みたい。創りたい。出したい。同属と語りたい)
あちこち思考を飛ばしてのんびりすること10分。疲労回復した息吹戸はオフィスへ戻ることにした。
通路を歩いて、人と擦れ違うたび、びくびくした様子でサッと道を譲られる。まるで王族にでもなったかのような対応だ。慣れとは不思議で、今は全く気にならない。
声をかけると逃げてしまうので、会釈でありがとうと伝えている。目が合うだけで素早く逃げられるので、伝わっている気は全くしないが……。
(あの人、どこの課の人だろう。会話できたらいいんだけどなぁ)
上梨卯槌狛犬本部は一階に討伐部。二階に情報部、開発部、医療部があり、対策部と情報部は第一課と第二課があることが分かった。
息吹戸が所属している討伐部第一課で、こちらは戦闘メインである。禍神を退けるための精鋭部隊ともいえる。
第二課はサポート中心だ。召喚・送還儀式や逆召喚儀式、呪解除や結界などで活躍する。
戦闘も行うが従僕の討伐メインであり、禍神との戦闘は行わない。
二課は50人ほどいると津賀留から聞いているが、会話及び交流がないので詳細不明だ。
二階にある情報部も同様に詳細不明。
情報部は地方の上梨支店の管理から、アメミットや藤見の連絡役。辜忌の動向を探り監視などを行っている。とは聞いている。
開発部は少しだけ関わりがある。
禍神に対抗できる武器の開発や衣服の強化を行っており、武器の指定や付属効果を頼める。鉈が気に入ったので同じのを用意してほしいとお願いしたことで、少しだけ会話が出来るようになった。
医療部は呪術や従僕の治療薬の研究と開発を行っている。ということしかまだ分からない。
以上が本部内のザックリ部署説明だ。
(まー。同じ会社に所属しているとはいえ、部が違えば把握できないのは同然だよね)
所詮は平社員。与えられた仕事をこなすだけの存在だ。
「ただいまー。って、あれ?」
息吹戸がオフィスへ戻ると玉谷は席を外していた。デスクに戻ってメールをチェックするがなにも届いていない。
(これは報告書の直しはなし。ということかな? ……いやまて。もしかしたらチェック前に急用で席を外しただけかも。誰かに聞いて……)
チラッとオフィスに居る三人をみた。
礒報はファイミリースペースにいて、沢山の書類をホッチキスで止めている。
彫石は血走った目で画面を見つめ、キーを叩き上げている。
勝木はパソコンと本を交互に睨めっこしていた。
それぞれ仕事に没頭している。息吹戸は話しかけても問題なさそうな礒報に歩み寄った。驚かせないようにゆっくり歩くと無意識に足音を消していた。気づかれないまま彼女の正面に立つ。
「礒報さん。ちょっとよろしいでしょうか?」
「はひ!?」
柔らかい口調を意識して話しかけるが、突然呼びかけられ心底吃驚した礒報は、全身が痙攣したようにビクッとその場で飛び跳ねた。持っていた10枚程度の紙が、ぐしゃっ。と音を立て深い折り目をつける。
「な、なんでしょしょしょ、しょう?」
驚きで声を裏返しつつ礒報が慌てて顔をあげ、引きつった笑顔を浮かべた。
息吹戸は申し訳なく思ったが表面上は気にせずに、礒報の目を真っ直ぐ見つめる。
「部長、どこへ行きましたか?」
「部長、ですか? さきほど情報部に呼ばれて席を立たれました。いつ戻ってくるか分かりません」
「そうですか。あの、私が提出した書類について何か言ってましたか? 直しがあるとか……?」
「いいえ。何も聞いてません」
「そうですか。わかりました」
息吹戸が返事を返すと、礒報は丁寧にお辞儀をして作業に戻る。
皺が入った書類を伸ばして、まとめた紙の束に丁寧に置くと、また書類を一枚一枚集め始めた。
手伝うほど量はなく、話しかけると逆に向こうの邪魔になるかもしれない。と、会話のチャンスを失った息吹戸は、ガッカリしながら自分のデスクに移動した。
(うーん。これは戻ってくるまで待ってるしかない)
どうやって暇を潰そうか。と視線を泳がせたところで、本棚に目を留める。
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