第76話 矛先を選ぶ
菩総日神の手掛ける世界は小さな四角い箱庭だ。
文字通り、箱の中に世界がある。
地上は四角い土台でできており、天のベールが天幕状に覆いかぶさっている。世界地図をそのまま立体にしたような、おもちゃのような世界だ。
最初はこの形ではなく、初めて作った世界は球体であった。
しかし兄弟神たちの侵略によって壊滅、消滅に追い込まれ、球体を維持できなくなった。
一番上の一柱がその様子を眺めていたら、菩総日神は大創造主のマネをするのをやめて、試行錯誤を繰り返して構築し、この形が壊れても作り直しやすいと考えたようである。
天路国は五つの大陸でできている。
簡易的に地形を描くとしたら、繋がっていない十字の形である。
中央市があるのは天路国真中という大陸で本土とも呼ばれている。
その北は天路国真北があり、南は天路国真南があり、東には天路国東方があり、西には天路国西方がある。
この四方の大陸は真中よりも二回り小さい。
菩総日神が大陸の形を捻らず、ネーミングセンスのない名をつけたのは、何度も世界を創り直したのが原因である。精巧なミニチュアを一日ごとに粉砕され、その都度新しく創り直すのであれば、名前にこだわるのが馬鹿馬鹿しく感じたのだろう。その辺りは兄弟神たちも同情していた。
四つの大陸は天路国真中と陸路で繋がっており、架橋による大橋の陸路、フェリーの海路、飛行機の空路で行き来ができる。
天路国真中中心にすればどの大陸も同じルートを辿れるが、真南から真北、東方から西方へ向かう経路は遠いため、空路が最短移動となっている。
そして真南から東方や西方。真北から東方や西方は、陸路や海路が最短移動となっている。
おおよその地形の説明を勝手に終えたところで、現在地に戻ろう。
天路国真北地方の口田県は、自然豊かな森と標高の高い山脈と広い平地がある場所だ。
都市部が占める割合よりも自然が占める割合が多く、南から中央に人口が集中して都市がいくつもあるが、北側に向かうほど人口が少なく村や集落になっている。
彼の目的地は北側に位置する山頂だ。白の軽自動車を運転して橋を渡り、都市部から東に移動し山の中を進む。
荒れた林道を通り抜け、山の中腹に差し掛かったところで、自然に覆われて廃墟と化した家がちらほら見え始めた。そのまま二時間ほど走らせると一軒の平屋が目に止まった。母屋と小屋を融合させた平屋は歪ではあるものの、何故か趣があった。
「今回はここにいるのか」
そこは木々を伐って更地になった場所である。
段々畑が連なる中で、三反ほど野草に混じって様々な野菜や花が育っていた。
深さのある小川が道路と平屋を隔てているので、そこに手製の板の橋がかけられていた。橋はトラックが一台通れるほどの幅があり、橋の向こうにあるスペースに軽トラが停まっている。家主は在宅しているようだ。トラックの隣に駐車スペースをみつけたので、横幅ギリギリの橋を渡って綺麗に停めた。
運転席から降りてきたのは二十代の青年で、助手席から黒いリュックを引っ張り出すとドアを閉めた。
高身長で痩躯の体つきをしており、分厚いフード付きのジャケットでブーツを履いている。
蝋人形のような整いすぎた顔立ちに、大きめの泣きボクロが右側に一つ。赤や黄や緑で染めた前髪と、ひとくくりにされた濃い灰色の髪が、歩くたびに生き物のようにぴょこんと跳ねた。
山の気温は一℃。風が吹けば身震いするような寒さであるにも拘わらず寒そうな素ぶりはない。
無感動な目が周囲を見渡す。
この場所は小さな集落があった。五十六年前に従僕に襲撃され、十五軒の家族全員が死亡したため、地図から消滅した。本来なら人のいない場所だが、彼は一年前から人間が住んでいることを知っている。その人物と会うため、わざわざ天路真中からやってきた。
「これがそうか。見事な畑だ」
青年の目に青々としげるトマトが映る。葉や実に霜が降りて日差しでキラキラ輝いていた。
今の時期にビニールハウスに入っていない夏野菜が育つのは明らかに異常であるが、青年は興味津々でトマト畑に近づいた。
すると平屋から一人の男性が飛び出した。
「お褒めいただいて光栄だ~」
百キロ越えの巨漢が、間延びした野太い声を出しつつ、雪に足を埋めながら駆け寄って来た。
頭は毛髪がないためツルとしており、小さな垂れた目とふっくらな体格が、幸ありそうな人相を醸し出す。
灰色のゆったりした作業着を着ているが、チャックが全開のため胸から腹が外気に晒されて、そこから湯気がもわっと立ち上がっていた。
青年はゆっくりと振り返ると、男性の立派なビール腹を見つめる。
たゆんたゆんと肉が波打っていたため、無意識に目がいってしまったようだ。
「清栄様、御足労ありがとうごぜぇます!」
見た目よりも速い速度で駆けつけた男性は汗だくとなり、首にかけた白いタオルで頬の汗を拭く。全身から湯気が立ち昇っている姿は湯上りのようだ。
「お早い到着に吃驚ですあ! ご馳走用意しとりますので、ぜひぜひお茶を飲んでってくだされ!」
男性は満面の笑みを浮かべながら唾を吐きだす勢いで歓迎する。
口から大量の白い息を吐きだしているのを眺めつつ、青年こと清栄は、何とも言えない表情を浮かべた。少し距離を開けたいと思うが、これも個性だと割り切る。
「久井杉。ご息災でなによりだ。それよりも」
清栄は無表情のまま畑に視線を戻した。
「聞いた時は半信半疑だったが、本当に完成させるとは。有言実行は嫌いではない」
「そりゃあ清栄様の御力になれるなら苦労なんてねえ! さっそく出来を審査してくだせぇ!」
久井杉は地面に膝を突いて、丹精込めて育てた緑色のプチトマトを取る。実をちぎって真っ二つにすると、中に艶やかな藍色の果実が入っていた。
レーズンほどの大きさの果肉を指でほじくってから押し潰すと、ぴちゅっ、と音を立てながら大量の瘴気が空中に舞った。
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