第74話 東護の報告
軽自動車が上梨卯槌の狛犬本部の入り口付近に到着した。後部座席から降りてきたのは東護である。多少の擦り傷はあれど殆ど無傷であった。
運転側の窓を軽く叩くと、三十代半ばの男性が窓を開ける。
「ここまで送ってくれて助かった」
「いえ。このくらいのことしかできず申し訳ありません」
東護が礼を述べると、男性が小さく会釈を返す。
彼は舟不町に在住するカミナシ職員であり、この度の討伐に力及ばずのためサポートに徹していた。
「住民に死傷者がでてしまいましたが、お陰様で被害が広がらずにすみました。本当に感謝しております」
各市町村に上梨卯槌の狛犬の事務所、いわゆる支部が設置されている。
禍神や従僕が多発する市町村は戦闘員が常駐しているが、船不町は禍神の出現率が低いため非戦闘員が常駐していた。
非戦闘員は結界・封印維持や物資素材の確保に徹しており、異変をみつけ次第、本部に通達するのが主な役目であった。
今回はアミメットがいち早く異変を察知。作戦責任者祠堂の采配により、禍神討伐協力要請を舟不町のカミナシに提出。それが本部に伝わり東護、息吹戸、津賀留が応援に駆け付けたという流れであった。
「住民の避難がスムーズにいき、負傷者がいなかったのは貴様たちの努力だ。おかげで討伐に集中できた」
「も、もったいないお言葉です!」
東護が付け加えると、男性が輝くような笑顔を向けた。
本部在中のカミナシに強い憧れを抱く者が多い。男性もまた本部勤務の職員に憧れを抱いており、その中でもトップクラスの東護からの労いを受け、疲れが吹っ飛ぶような心境であった。
「では、失礼します!」
車が発進して去った。
東護は一応見送りをしているが、その顔には疲労の色が浮かび上がった。
「はぁ……疲れた」
原因はあの男性である。
車内で休もうと思っていたが、彼は道中ずっと喋っていたうえいくつか質問をしてきた。帰路の足なので無言と無反応に徹すると、その姿勢が男性にはかっこよく見えたのだろう。好奇心丸出しの質問が飛んできてストレスが爆上がりした。
東護は軽く頭を振って気を取り直してから、オフィスに戻る。
「戻りました」
オフィスは玉谷がいる。
チラッと予定表を見ると、担当地域の数か所で従僕が出没している旨が書かれており、全員が出払っていることが記されていた。
東護は玉谷のデスクに近づいて足を止めた。電話中なので静かに待つ。
「わかった。ご苦労。こちらに戻ってきたら顔を出すように」
電話を切ってから、玉谷は声をかけた。
「ご苦労だった東護」
「戻りました。あちらから連絡はありましたか?」
「ああ。あった。禍神の正体を隠したままで協力を要請したこと、ヒュドラと判明してもそのまま作戦に組み込んで戦闘を行ったことについて詫びがきた。まぁ情報と食い違うことなんてよくあることだ。それでも一歩間違えればお前達全てを失うところだったので、遺憾の意は伝えておいた」
「そうですか。結局のところ、持ちつ持たれつ。どんな敵でも倒すか還すだけになります」
東護はそう断言してから、でも、と続けた。
「アメミットに確認しましたが禍神降臨が同時期に頻発しています。これは屍処が増えた証拠です。過去に三名ほど同時出現を体験しましたが、今回はそれ以上の数が同時出現しているのではないでしょうか」
辜忌の幹部。通称屍処。
天路国の生まれでありながら異界の神の血を引く半神人だ。
総勢七名で全員が揃う事は稀とされている。しかし数が増えるほどに禍神出現が増加すると伝わっていた。
玉谷はため息を吐いてから、ゆっくりと頷いた。
「儂も同意見だ。数人ほど秘密裏に動いているが収穫はない。死体や行方不明にならないだけまだマシだが……」
そう付け加えると小鳥が脳裏をよぎった。彼は行方不明となり死にかけたことを思い出して、目を伏せた。
「長鳴鳥が壊滅したことが痛手でした。少しでも生き残っていれば、もっと多くの情報が得られた」
「言うな東護。あれは予想不能だった」
「そうですね。まさか一夜にして組織が全滅するなんて想像もできませんでした」
と東護が呟くと、玉谷は沈痛な面持ちで黙り込んだ。
天路国に点在する特殊情報機関『常夜導長鳴鳥』が、同時刻に一斉に死亡するという奇怪な事件があった。
組織の建物内に居合わせた者も殺され、その数はおよそ五百人を超えている。しかし正確に死体を数えたわけではないので、およそ、という言葉がついてしまうが、おおむねそのくらいの人数が一夜にして惨殺された。
それだけの大量虐殺が発生したが、理由や原因については未だ解明されていない。
「この件は現在も調査中だ。朗報がくるのを待つしかない」
そこで玉谷は笑顔を浮かべて話題を変えた。
「今は送還を無事に終えて全員生還できたことを喜ぼう。よくやった東護」
東護も過ぎ去ったことは仕方ないと、気を取り直した。
「報告をします」
ヒュドラの送還、誘導役、儀式役の行動を述べたのち、息吹戸について見た限りを伝える。
一通り聞いた玉谷は腕組みをしながら考え込んだ。
「息吹戸が、ヒュドラの情報をそこまで仕入れていたとは……」
「はい。このカミナシでも把握していない情報です」
「そして彼女が頭部破壊をも行った。……それは本当なのか? 文献に載るあのヒュドラをそこまで弱らせることが出来たのか?」
玉谷が信じられないと呻くが、死傷数が少ないうえ半日以内で決着がついている。いやがうえにも信じるしかない。
東護も同じ気持ちであったが、自分の目で見たことが真実であるとキッパリと述べる。
「誘導役五名から、息吹戸が提案した作戦でダメージを与えた、という証言を得ています。そしてアレは和魂を使わなかったと聞いています」
玉谷は黙った。
息吹戸が誰かの力を借り、協力して戦ったという話は一度もない。疑心が募る一方である。
「あと部長が言っていた鏡ですが、出現しました」
「なんだと!? どんな鏡だった!?」
玉谷が立ち上がって促すので、東護は数回瞬きを繰り返した。
「巨大な青銅鏡です。魔法陣の姿を映しとり送還の儀式を行いました。それも菩総日神様の力を移して」
「な!?」
「儀式を維持していたアメミットからは、途中の組み換えから最終段階まで殆ど息吹戸一人で完成させたと言っています」
急激に玉谷の顔色が悪くなる。
「一人で送還を!? そんなことをしたら瑠璃の体が!」
東護は引っかかりを覚えて首を傾げた。しかしあえて聞き返す必要はないだろうと気に止めない。
「ですから、病院に担ぎ込まれたとご連絡しました」
「……ああ、それが原因で担ぎ込まれて……そうか」
玉谷が安堵した表情になったので、東護が首を傾げた。視線で言いたいことを察した玉谷は、苦笑いを浮かべて電話機に視線を落とす。
「先ほど津賀留から、息吹戸が目を覚ましたと連絡があった。体に異常が無いので明日退院するそうだ」
「電話の相手は津賀留でしたか」
東護は考えるように顎に手を当てる。そして敵意で表情を歪ませながら「異常なしとは」と低い声で毒づいた。
「……なんなんだあの女。あのくらい力を使えば反動で死ぬだろう普通。良くても内臓損傷くらいあるだろう。無傷だと? 禍神並みにしぶとい女だ」
玉谷はしっかりと聞いていたが窘めなかった。二人の関係は壊滅的なので、この場合は聞き流した方が穏便に済むからである。
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