第73話 不思議だったから聞いたんだ
「どのような内容でしょうか?」
雨下野に緊張の色が走る。
息吹戸は柔和な雰囲気になるよう気をつけつつ、疑問をぶつけた。
「アメミットは私達が現場に合流する前に禍神の正体をわかってたよね? なんですぐカミナシに追加報告しなかったの? すぐに報告入れたなら、移動中でもこっちに情報が来るはずなんだけど?」
雨下野は表情を硬くて口を閉ざした。
しかし視線を逸らすことなく真摯な眼差しを向けている。やましいことはなかったと訴えているようであった。
息吹戸は肩をすくめて、「ここからは推測だけど」と前置きをする。
「全滅した記録しかないから、こちらに情報を出すことを渋ったとか?」
雨下野は表情を変えない。
「なら、過去出現した禍神の照合に時間がかかり、私達が到着した時に正体が判明したとしよう。当初の目的は討伐だったけど、ヒュドラだと判明したから急遽計画を変更した。だから送還術を扱える隊員が少なかったんだよね。そして送還が失敗したときのために菩総日神様に連絡をした」
息吹戸はにやりと笑う。
「つまりあの作戦は菩総日神様がくるまでの時間稼ぎ。何人死のうが神がくるまで耐えたらいい、持久戦だったんだよね」
雨下野の眉毛が動き、頬が引きつった。中らずと雖も遠からずといった具合だろう。
息吹戸は腕を組んだ。
「ヒュドラの送還術成功。これ、アメミットは予想外だったんじゃないかな」
その言葉に津賀留が驚いたように目を見開き「え?」と呟く。
雨下野は何か言いたそうに唇を動かすが、きゅっと閉じた。
息吹戸は自分の太ももを、トントン、と指でリズミカルに叩く。
「そこで疑問。ヒュドラの危険性を知ったのに対抗する人員が少なかった。時間がなくて集まらなかったという可能性もあるけど、違うよね?」
息吹戸がゆっくりと目を細める。
「ねぇ、教えてくれるかな雨下野ちゃん。あの時点でヒュドラの他に、天路国全域で何件禍神が出没してたの?」
雨下野は視線を下に向けた。
「十六件です。同時ではありませんがほぼ誤差はなく、禍神降臨の儀式の準備段階でニ件。儀式開始時に突入が五件。降臨してしまった件数が……ヒュドラを含め六件です。被害は出ましたが、全て対処することができました」
息吹戸は腕を組んで眉をしかめる。
「それは少ない多い?」
「異常事態です」
雨下野は眉間に力を入れる、グッと手を握り締めた。
「禍神降臨は年に五回ほどでした。でも……あの事件以降初期対応が遅れ、被害が増加しています。アメミットも人員が足りていません」
そこでふぅっと手の力を抜いた。
「これは言い訳になりますが、潜在能力の高い人材を確保できても育てる時間がありません。育ちきる前に戦場に赴いて命を散らし、心身に障害を負い引退することが多いのです」
「あの事件……」
「常夜導長鳴鳥壊滅事件です。あの惨劇をお忘れになったとは言わせませんよ」
雨下野は鋭い目つきになるものの、哀惜の念に堪えない様子だった。
(うーん。息吹戸なら知っている内容みたいだな)
「そう。人員不足だったということね。分かった」
ボロが出ない内に息吹戸は話を終えることにした。
雨下野は深々と頭を下げる。
「この度は、曖昧な情報のまま協力を仰ぎましたこと、大変申し訳なく思っております。時間がないと焦るあまり、そちらの意志確認を怠ってしまいましたことを深くお詫び申し上げます」
息吹戸は「んー」と困ったような声を漏らす。彼女は確認したかっただけで謝罪を求めていたわけでない。雨下野の対応に居心地の悪さを覚えてしまい、つい睨むように見据えた。
「謝罪が欲しいわけじゃなかったんだけど……」
「いいえ。私たちは直前まで情報も与えず貴女方を戦場に向かわせました。それは、ヒュドラと知れば要請に応じない可能性もあると考えてしまったからです。玉谷さんは部下を死戦へ向かわせる方ではありませんので」
雨下野が悲痛な表情になったため、息吹戸は内心焦り血圧が上がった気がした。
本当に一切責めるつもりはない。単にヒュドラを相手にするには人数が足りない気がするとか、人員足りないならどこかでトラブル多発してるのかなと気になっただけである。
なんとか空気を変えようと考えた挙句、東護が思い浮かんだ。
雨下野はきっと東護とも話しているはずだ。彼の行動に倣えばいいと考えた。
「東護さんはこの件で何か言ってましたか?」
息吹戸から東護の名前が正しく出てきたので、雨下野は一瞬だけ訝しむ顔をする。しかし、正しく言いたい気分なのだろうと深く考えなかった。
「いいえ、何も言われていません」
息吹戸は腕を組んで、軽く頷いた。
「なら雨下野ちゃんが謝る必要はないです。ヒュドラと知っても要請に応じたはずなので」
本当に道理に反していたら東護がアメミットに対して何かしら警告するはずである。彼が何も言わないのは、共闘に支障がなかったのだと息吹戸は判断した。
後になって実は警告していたと知ったところで、息吹戸は意見を変えない。ヒュドラでも要請に応じただけのことである。
「ではお話はこの辺で終わりましょう!」
津賀留が笑顔を浮かべて雨下野の腕をやんわりと掴むと、グイグイとドアに向かって押し出した。
「息吹戸さんはお疲れですし、雨下野さんは後のことで色々大変ですよね?」
強硬策をとられたことに驚きつつも、雨下野は「そうですね」と頷いて自らの足でドアへ向かい、「失礼します」と一礼して病室から出て行った。
津賀留は急いでドアに張り付くと、遠ざかっていく足音を確認した。何も聞こえなくなると「ふぅ」と小さく息をついて振り返る。急に悲しくなったのか、眉の中央が上がり口角が下がっていた。
「ごめんなさい。雨下野さんを無理矢理追い出してしまって」
息吹戸が首を傾げると、津賀留は視線を斜め下に落とした。
「あのままだと記憶喪失がバレそうでしたから。貴女の状態を他に漏らしてはいけないんです」
でも絶対に何か疑われました、と津賀留ががっくりと肩を落としながら椅子に座る。
「常夜導長鳴鳥壊滅事件なんですが……」
そして、ぶるっと両手を震わせた。
「最初に言っておきます。私は詳細を知りません。喋りたくありません。ごめんなさい」
「タブーなの?」
「タブーではありません。資料に詳細が記載されています。防衛組織であるならば誰でも知っています」
そこで津賀留の口調が硬くなる。心なしか、顔色も悪い。
「でも私は恐ろしくて口に出せません」
「わかった。気を使わせて悪かったね」
いいえ、いいえ。と口ずさむ津賀留は、心の隅で息吹戸が事件を忘れたままでいてほしいと思った。
でなければ、辜忌を追って無茶をする。あの時は津賀留の命を最優先にして難を逃れた。でも毎回上手くいくとは限らない。
津賀留はくしゃっとした笑顔を浮かべる。
「息吹戸さん。明日は銭湯行きましょうね! とっても楽しみです!」
「オッケー。退院したらすぐ行こうね!」
あからさまに話を逸らされたと分かっているが、息吹戸は追及しなかった。理解するには情報が足りず、錯綜していると判断したからである。
だとすれば、今は明日の楽しみに心を躍らせてみようと、ほんの少しだけ口元を緩めた。
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