第69話 力尽きた
神力の光が刺さると、魔法陣に羽状の部品ような切れ目ができてプロペラのように回転しながら開口する。中は闇に包まれており、砂埃が吸い寄せられるように中央に集まり始めた。
するとヒュドラの尻尾が砂のように崩れていき、魔法陣に引っ張られる。
『シュア!?』
二つの頭が驚いたように目を見開くと身体を大きく仰け反らせる。その間にも体は砂のように細かな粒子に変化していき、どんどん吸い込まれていく。ヒュドラは抵抗するように身を引くしたが、
グルグルグルグル、キュポン!
栓を抜いた水が全部流れたのような音を響かせながら、全ての粒子が吸い込まれる。魔法陣が目も眩むほどの光を放ち、空の遥か彼方に飛び去ってしまった。
ヒュドラが送還されたのを目の当たりにして誰もが口を閉じたため、辺りはシンと静まり返る。
静寂に包まれてしまいパチパチと燃える音を聞きながら、隊員たちが信じられない面持ちで声を出す。
「成功、した?」
「ほんとに?」
「空の、あの鏡は一体……」
照らし合わせたかのように隊員たちが空を見上げると、青銅鏡が神々しいく輝いた。
穏やかで温かい光が森全体を照らすと、森を丸裸にしていた炎を鎮火させ、大地に染みこんだ毒素を綺麗に浄化していく。重傷を負った隊員が痛みの軽減を感じて顔を上げた。
「これは、菩総日神様のお力……」
雨下野がそう呟くと、隊員の目に喜びが溢れワッと喝采があがった。
ヒュドラを送還できたこと、生き残ったことを喜ぶ彼らの声を聴きながら、祠堂は茫然と空に浮く鏡を見上げ、度肝抜かれたように目を丸くしている。
「一体誰があれを?」
「……」
東護は眉間にしわを寄せながら見上げながら玉谷の言葉を思い出していた。鏡を出すと聞いていたが、まさか菩総日神の神鏡を映すなどと考えもしなかった。認識が甘かったと舌打ちをする。
青銅鏡は鎮火と汚染された空気と土壌を浄化して、人間が損傷した傷を中程度回復させたのちに跡形もなく消えた。その場にいた全員が空を見上げて神の恩恵に感謝する。
頭を下げていた雨下野はパッと顔を上げて息吹戸を見据える。彼女は両膝に手を添えて体を曲げた状態で立っていた。
「息吹戸さん。今のは……」
駆け寄りながら声をかける。彼女が何かしたから空に鏡が出たと思い、事実を明確にするため問い正すつもりであった。
しかし、顔を上げた息吹戸を見た雨下野は言葉を失い、真っ青になった。
「や、やった……生きてる」
息吹戸は満足そうに微苦笑を浮かべるが、顔面血まみれであった。
目や鼻の細かい毛細血管が破裂して血が流れている。
肩で大きく息をしているばかりか、呼吸に合わせて体が大きく左右に揺れて今にも倒れそうだ。
身の丈以上の力を使った反動で肉体が壊れてしまっている。
雨下野は仰天して思考が停止したものの「だ、大丈夫ですか……?」と乾いた声で呼びかける。
息吹戸が視線を合わせて薄く笑った。
「うん。神様に力を貸してもらった。ラッキーだったげほっ」
話の途中で口から大量出血すると、脱力感から受け身も取らずに地面に倒れた。
「息吹戸さん!」
まさかの事態に雨下野が悲鳴をあげると、アメミット隊員たちは異変に気づいて注目する。息吹戸が倒れたと分かって激しく動揺した。
そんな中、真っ先に動いたのは祠堂である。
すぐに駆け寄ると状況を見て雨下野に呼びかけた。
「ファウストの現身に何があった!」
「げ、原因は分かりません。ですが症状から、枯渇した神通力を補うために何かしら、霊魂を消耗させて……いる可能性もあり……そ、その場合」
「狼狽えるな雨下野! すぐに待機させている救急班呼べ! ファウストは大丈夫だ。怪我人を集めて病院に搬送しろ」
祠堂が力強く指示を飛ばすと、雨下野は深く深呼吸をしてから、凛とした表情になった。
「わかりました。すぐに救助要請をします」
祠堂は息吹戸の呼吸と脈を確認する。正常範囲内であった。
意識があるか分からなかったが、トントンと肩を叩いた。
「意識あるかファウストの現身!? あるならそのまま維持しとけ!」
「救急班と連絡取れました。すぐに来ます。私が声をかけ続けますので、祠堂さんは業務に戻ってください」
雨下野が息吹戸に声をかけ続ける。
祠堂は「まかせた」と言ってから立ち上がり、動揺している隊員たちに怒鳴った。
「呆けるな! ヒュドラは送還できてもまだ従僕が残っている。捕獲はもとより、この一帯を調査して辜忌の痕跡を探すぞ! 行け!」
アメミット隊員たちは「は、はい!」と不協和音で返事をしてから、のたのたと動き始めた。疲労がピークに達していても証拠の保存と後始末がある。休んでいる暇はなかった。
息吹戸は周りの騒々しさをよそに一人心地になっていた。
(いったー。変な倒れ方しちゃった。怪我してないといいなぁ。まぁいっか)
体が破裂すると思ったので、転倒ダメージくらい大丈夫であろうと楽観する。
必死に呼びかける雨下野の声を聴きながら、
(他にも重傷人いるだろうに。こっちにかまけてなくてもいいんだけどなぁ。うーん。返事したいんだけど疲れた。ダメだ。このまま寝てしまおう。…………起きたら元の世界に戻っているといいな)
息吹戸は気を失った。
その光景を、東護は無表情で眺めていた。
息吹戸が倒れたのは知っているが放置して、津賀留を探した。彼女は魔法陣から数十メートルの位置で寝ている。全身をチェックして大きな怪我がないと分かると、横抱きでかかえて戻って来た。
救護班が到着しても目を覚まさなければ彼らに預けるつもりだったが、その少し前に津賀留の意識が戻った。
瞼をゆっくりあけながら、まず目に入った東護の顔に驚く。見慣れているとはいえ、寝起きに顔面偏差値が高い顔に心臓が飛び跳ねた。
「ひゃあ!? と、とうごさん……!?」
東護と目が合う。津賀留は困惑しながら左右を見て、横抱きされている状態に気づいた。
「起きたか」
「す、すみません! 気を失っていたようで」
「痛みはないか?」
「痛みはありません。息吹戸さんに助けていただいたのだと思います」
津賀留は息吹戸が抱きしめてくれたことを思い出すと、嬉しくて頬を赤く染めた。
東護は安堵したように「それならいい」と呟いて、津賀留を下ろした。
「あの。ヒュドラはどうなりました? 息吹戸さんは……」
津賀留が躊躇いながら聞くと、東護は担架を示した。そこで担架で運ばれている息吹戸を目撃して、目を見開いて両手で口を押えた。サァと血の気が引くのを感じる。
「い、息吹戸さん。何が……も、もしかして、私のせいで……?」
東護は冷ややかな目でヘリを見ながら津賀留の肩に手を添えた。ガタガタ震えていたので「はぁ」とため息をつく。
「出来るはずもない送還術に加わり倒れただけだ。現場の後片付けは俺がやろう。津賀留はあれについていけ」
「すみません。有難うございます。行ってきます」
津賀留は舌を噛みそうなほど早口で返事をすると、東護に会釈をしてから、大型ヘリの元へ駆けだした。
ヘリに乗り込もうとした雨下野に気づいて、慌てて声をかける。
「あの、私も連れてってください!」
「津賀留さん」
雨下野が静かな目を向けると、津賀留は責められているような気持ちになった。送還で役に立てなかった負い目が彼女の勢いを削ぐ。
「搭乗人数に空きがあれば……で、良いのですが……」
「ご無事で何よりです。こちらへどうぞ」
雨下野は手を差し出し、津賀留を招き入れた。
他の重傷者と共にヘリで近くの病院に搬送される間、津賀留は息吹戸の無事をひたすら祈った。
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