第62話 位置について
息吹戸は津賀留に近づいてその顔を覗き込む。汗だくで頬が高揚しており、呼吸が乱れていた。休憩が必要だと考え、もう一度聞き返す。
「本当に大丈夫?」
息吹戸が手を差し出すと、津賀留は首を左右に振って拒否した。
「お手間は、とらせません。だいじょうぶです。がんばります!」
やせ我慢だと分かるが、息吹戸は手を引っ込めて「そう」と頷いた。
「駄目そうなら早めに言ってね」
「大丈夫です。気を使って頂いているから大分楽なんです!」
津賀留は汗だくの額を手袋の背側で拭きながら笑顔になった。
息吹戸たちは本隊とは違うルートで進んでいる。それは特殊能力しか使えない非戦闘員の津賀留に合わせたためであった。ほかに二人のアメミット女性隊員が加わり、合計五人で進んでいる。
雨下野は本隊に加わる予定であったが祠堂から言われたためここに居る。不満は特にない。津賀留は非戦闘員としても非力な存在であるが、特殊能力には目を見張るものがあり、守る価値はあると考えていた。
息吹戸は誘導班に加わるつもりであったが、出発前に彼女を見た隊員が死を宣告されたように絶望したのでやめた。士気を高めるのなら兎も角、削ぐのであれば共に行動すべきではない。
合流するタイミングは息吹戸の好きなようにして良いとお墨付きを得たので、津賀留と一緒に山を登ることにした。
登り続けること数十分。木々に隠れて町が見えなくなった。更に山奥をひたすら登っていた時、不意に、うすら寒い気配が漂ってきた。
この世界の空気ではないと肌で感じた息吹戸は、警戒するようにその場に立ち止まった。
(海水浴中に冷たい水が体を通り抜ける感覚に近い……かな?)
霊でいえば冷気。妖怪で言えば妖気。
そんな言葉が頭をかすめる。
息吹戸は顔をあげて周囲を見渡すと、左側の遥か向こうに気配を感じた。
(あっち側から変な空気がきてる。行こう)
息吹戸が真剣な眼差しになり左側に体を向ける。
少し遅れて雨下野が気づき体を向ける。隊員たちも緊張感を漂わせて左側を見据えると、津賀留が恐怖で体を強張らせた。
「ヒュドラに動きがあったみたいですね。本隊が見つかっていないと良いのですが……」
雨下野は一抹の不安を抱えながら向こうを見据える
息吹戸は「そうだね」と軽く呟くと、四人の顔を見た。
「私は別行動する。津賀留ちゃん頼むね」
「お任せください」
「はい」
雨下野と二人の隊員の返事を聞いて、息吹戸は駆けだす。
あっという間に目の前から消えた。蹴られて舞った葉っぱを見ながら、津賀留はぱちくりと瞬きをする。そして両手を組んで「どうかご無事で」と祈った。
「全速力で行きます。貴女は津賀留さんを抱えてください」
雨下野の指示を受け、一人の隊員が津賀留を抱きかかえ肩に担いだ。
「す、すいません」
津賀留が申し訳なさそうに謝ると、隊員は「いえ。雨下野さんの指示ですから」と冷たい声色で答え、走り出した。
息吹戸は野山をぐんぐんと駆けていく。まるで体がゴムに引っ張られるかのように勢いがあった。
動体視力が良いので走りながらでも周囲の景色が把握でき、目で得た情報を処理して肉体に反映する。並々ならぬ体力と即座に修正できる反射神経はもはや人間の息を越えていた。
簡単に言えば、全速力で走っても枝や地面の根っこや高低差に引っかからない、ということである。
(体がかっるーい!)
颯爽と木々の隙間を駆け抜ける速度は重力から解き放たれた走りだと、感動した息吹戸は笑みを浮かべる。
さらには段差が大きいものは木を使って飛翔し、着地するときは枝に捕まり衝撃を緩和させ、人体へのダメージをゼロにしている。
(おおお。パルクールが自在に出来るってすごいな! 楽しいなーー! 肉体美は伊達じゃない!)
お風呂でみた裸を思い出す。
大きめの乳ときゅっと上がったヒップに見事な腹筋。腕も足も筋肉で引き締まっていた。全身に筋肉がついていながらほどよい脂肪もあり、ボディビルダーよりはダンサーに近い印象であった。
この美しさを崩してはならないと、あの時自分自身に誓って以降、肉体維持に努めている。
その成果はしっかり出たようで、ものの数分で誘導班のアメミット隊員と合流した。
五人とも登山服に身を包み、傾斜の影に隠れて前面の様子を伺っている。年齢は二十から四十代で、背丈は百六十八から百七十三センチ。本人たちは気づいていないが、低い順に並んで向こう側の様子を窺っていた。
(えーと。和魂使いの広戸、久下、坂で、式神使いの正親、四方だったっけ)
指示を出すように覚えた名前を復唱する。
戦闘用フルフェイスヘルメットを被り、服装も全く同じのため、声と背の高さで判別するしかない。
広戸が息吹戸に気づいて後ろを向いた。ヒッと声を出したいのを押えて、手でジェスチャーする。
「息吹戸さん、背を低くして」
息吹戸は呼びかけ通り、すぐに背を低くして彼らが見ているモノを確認する。
ヒュドラだ。
全長が見えるのでまだ距離は開いているが、首を全て動かして周囲を見渡している。警戒しているようだ。
「これ以上近寄るとバレそう?」
「はい。警戒網が広いです。こちらに気づいていませんが、何かが居るとは思っているみたいです」
息吹戸の質問に坂が答えた。
「式神の準備は出来ています。用意できたのは二十体です」
正親と四方が動物の形代を手に持つ。紙には複雑な図形が書かれていた。
「雨下野さんから聞いていますが、本当にこれを食わせるんですか?」
息吹戸は「そうだよ」と短く頷いて、鋭く睨んだ。
「濡れたら爆発出来るようにしてるよね?」
正親と四方は「勿論です」と自信に満ちた目を向ける。
「ならよし。上手くいけばいいね」
息吹戸が提案した作戦は、ある程度ダメージを与えることを前提にしている。
なんたって蛇の禍神だ。逃げ回るだけはこちらの誘導に引っかからない可能性がある。
確実に惹きつけるなら攻撃するのが良い。
そして攻撃するのならダメージを与えた方が気分が良い。
外からの攻撃だと分厚い皮膚がダメージを軽減させるだろうが、内部からの攻撃は弱いはずである。
しかし食べられてまで攻撃するのはリスキーだ。そこで式神を使う。
式神を爆発するように細工してヒュドラに食べてもらう。
口の中で爆発すれば、運がよければ首が飛ぶ。
爆破でできた傷口を和魂が焼けば、首の再生を封じ込むことが出来る。
こうやって弱らせた状態ならば、魔法陣の異変を察知してあちらに向かっても、対処しやすくなるはずだ。
「私もヒュドラを翻弄するから、皆さんは木々に紛れつつ遠距離攻撃お願いします」
そして息吹戸は式神や和魂だけに任せることをせず、自らも出向いて囮になる。
作戦の成功率を上げるというよりは、ヒュドラと戦ってみたい好奇心からであった。
隊員達は「はい」と言いつつ表情を歪める。
自殺行為だと注意したいが、自分たちが滅されるため止めることはできない。
(さて。あとは合図だな。いつくるかワクワクする)
息吹戸は草葉の陰で本隊からの合図を待った。
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