第54話 雨下野の笑いのツボ
勧められたベッドに腰を下ろすと、ストーブからの熱がほんのりかかる。
息吹戸は寝ころんでベッドの弾力を計る。布団が薄いため硬い感触であるが、地面と比べれば圧倒的に寝やすいだろう。風邪をひかないよう、服は脱がずこのまま寝た方がいいだろう。
(やっぱりキャンプみたい)
天井の皺を眺めている横で、津賀留がいそいそと鞄から上着を取り出して着込んで身震いした。肌寒いようだ。
ベッドに身をゆだねて目を瞑る。寝るというよりも耳を澄ませて聞こえる音に集中した。
外から色々な音が聞こえる。足音、話し声、羽ばたき、動物の声など。音を聞いて暇を潰している。
そのまま三十分ほど経過して、息吹戸がパチッと目を開けて上半身を起こした。
(きた)
テントの入り口が開き、雨下野が入ってきた。待ってましたと言わんばかりに、息吹戸が軽やかにベッドから立ち上がる。
「息吹戸さん、津賀留さん。お待たせしました。祠堂さんが偵察から戻りましたので作戦室へご案内します。ご同行お願いします」
津賀留は「わかりました」と言いながらのそのそと立ち上がった。
すでに西日が沈み夜の色を表していた。テント周囲に設置している明かりが煌々と輝くため、足元の心配はいらない。気温がぐっと冷えており、走る隊員たちの全身から湯気が立っていた。
息吹戸は「さむっっ」と身震いしながらその場で足踏みをして暖を取る。津賀留は身を縮ませながら両手をポケットに突っ込んだ。
「ううう。肌寒いかなぁと思ってたけど、やっぱテント内は暖かかったんだ」
ストーブで暖を取れていたんだと身に染みた息吹戸がそう呟くと、
「暖房器具を置いていますから」
雨下野がしれっと答えて視線を向けた。剣呑な雰囲気が少し和らいでいる。
「ストーブの有難味がわかる。それでヤンキーお兄さんのテントはどこ?」
「!?」
雨下野がピシッと固まった。少し間を空け、震える声で「ヤンキーお兄さんとはどなたでしょうか?」と聞き返す。息吹戸は「ああ」と思い出すように斜め上に視線を向けた。
「祠堂さん。その人から『名前で呼ぶな』って言われたから、ヤンキーお兄さんって呼んでる」
「…………」
雨下野の目が点になりぽかんと口を開ける。そして徐々に両眉が下がり頬が高揚してくると、慌てて両手で口を押えた。
息吹戸と津賀留が不思議そうに見つめていても取り繕えない。そればかりか「んぶ!」と変な声を上げて体を震わせる。
息吹戸はすぐに察した。これは笑いを耐えているのだと。指摘するのも悪い気がしたので落ち着くまで待つことにした。
雨下野は一分ほど耐えたのち、笑いの波が引いたのかゆっくりと口から手を離した。真っ赤な顔のままだがキリっとした表情に戻っている。
仕切り直すように「こほん」と息を出した。
「祠、堂さんを、ヤンキーと呼んで、らっしゃるんですね。初耳、でした」
笑いで声が震えている。
一体、何がそこまで彼女を笑わせたのだろうかと息吹戸は不思議に思ったが、「そうだよ」と当然のように頷いた。
「っぶは!」
雨下野がふき出した……がすぐに手で口を押える。
「もっし訳ありません! しょしょ、お待ちください!」
くるりと背中を向けて深呼吸を数回行った。メンタルが落ちついて再びこちらを振り返る。
「醜態をみせてしまい申し訳ありませんでした。では参りましょう」
やや波打ったような声である。雨下野は息吹戸の顔を見ずに、そそくさと歩き始めた。
息吹戸は困った様に頭を掻く。
「そんなに面白いことだったかな?」
「はい」
息吹戸は「そう?」と首を傾げるが、津賀留には雨下野の気持ちが手に取るようにわかる。
「息吹戸さんを知っている人ほど、あのような態度になると思います」
今の息吹戸は前とは違い過ぎるため色々衝撃を受けたのだと、津賀留は密かに同情した。
進入禁止テープが張られている道のすぐ手前に、ひときわ大きなロッジテントがあった。入口の両隣にアメミット隊員が立って周囲を警戒している。
雨下野は隊員たちに挨拶をしてから入り、二人はそれに倣った。
テント内も広かった。
両隣にメタルラックや台の上に電子機器及び呪具が置かれおり、二名の若い男女のアメミット隊員が僅かな変化も見のがさないよう目を平らにして画面の動きをチェックしていた。
中央には長テーブルが二つ重ねてある。上には地図が広げられ駒などが置かれていた。
テーブルを囲うように祠堂と東護。そして四名の隊員がいる。
空気は緊迫しており、小競り合いの声が響いていた。
「だから、こっちから回るって言ってるだろうが!」
「その案は没だ」
祠堂と東護がテーブルを挟んで向かい合ってバチバチと火花を飛ばしている。
作戦会議という名の討論バトルが始まっているようだ。
「なんだと!? お前来たばっかりだろう! 俺はたった今、ここから戻ってきたんだよ!」
「貴様は正面からぶつかるしか脳が無いのか。地図を見ればここはこうしたほうが良いに決まっているだろう」
「はあ!?」
「落ち着いて。祠堂さんも東護さんも落ち着いて」
白熱を通り抜けて喧嘩腰となっているため、四十代前後の男性アメミット隊員が泣きそうな顔で二人を止めようとしている。
他の隊員も冷や汗を流し「まあまあ」や「おちついて」を連発して、必死に宥めようとしていた。
喧嘩だけは避けたいと、その表情が物語っている。
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