第51話 映画のエキストラ気分
息吹戸は津賀留たちの心情を気にも留めない。興奮が高まり小躍りしている気分であるが、表面上は静かに写真を凝視しているだけであった。
「ヒュドラが実在するとは凄すぎる」
ヒュドラはギリシャ神話に出てくる怪物だ。
不死身の生命力を持っており九個の首のうち八個の首は倒せるが、中央の首は不死とされている。
さらに猛毒を持つ蛇として有名であり、毒を含んだ息を吸っただけで死に至るとされている。
(確か、生えてくる首を焼き切って再生能力を止めて。中央の首は石で潰し続けたんだっけ)
その死後は、うみへび座として夜空に輝いているとされる。
(色んなゲームの敵モンスターとして出てるから凄くなじみ深いや。それにしても蛇頭で良かった。これがもし色んな生物の頭だったら、あっちの神話モンスターになるから結構やばかったかも)
息吹戸はホッと胸を撫でおろしながら、写真を雨下野に返した。
「どうもありがとー」
お礼を聞いた雨下野は驚いて目を見開く。数秒固まってから「え、はい、そう」と言葉を途切れさせながら受け取る。
そしてさらに数秒考えるように動きを止めてから、咳払いをして気を取り直した。
「ヒュドラの降臨は記録に残っているだけでも六回あります。そのうちの二九〇年前、一六〇年前の時は、こちら側にくる直前に降臨を阻止できましたが、今回は間に合いませんでした」
「痛恨のミスだ。監督が行き届いてなかったのか?」
東護が腕組みをしながら軽蔑したような口調で訊ねると、雨下野は残念そうに首を左右に振った。
「お恥ずかしい限りで。こちら側の偵察隊が真っ先に従僕化されてまい、辜忌に堕ちていました。その為、この件は地域住民の通報で把握できた次第です」
東護はやれやれとため息をつく。
味方が敵の手に堕ちる事はよくあるため彼女を責めても仕方がない。
責任は辜忌側に堕ちたアメミット隊員にある。
「過ぎたことは仕方がない」
雨下野は立ち止まり、
「ご理解いただけて光栄です。これ以上悪化しないように最善を尽くします」
恭しく東護に頭を下げる。
「今はどうなっている?」
雨下野は顔を上げて再び歩き始めた。
「各方面全て能力者が足りません。町と森に結界を張りヒュドラが外に出ないよう処置をしています。従僕化した住民は森に入りヒュドラに捕食されておりますので、できるだけ捕らえて保護。可能な限り転化解除をしております」
「住民の転化は生贄ではなく食料か」
「そう推測しています」
淡々と話す二人を眺めながら、息吹戸は「ふふふ」と楽しそうな声を漏らした。
(ホラー映画のエキストラになった気分。この場合は怪獣映画かなぁ? わくわくする! でもにやにやするのはマズイよね。我慢我慢)
必死で平常心を装うその横で、津賀留が「息吹戸さん。楽しそう」と呟く。彼女にはしっかりとバレているようだった。
山の中の一本道の道路を歩いていると、ぽつん、ぽつんと民家が見えてきた。窓のカーテンはしっかり閉められており、人の気配はなかった。
車が通る道路が横にあるが歩行者を照らす街灯はなく、日が沈むと瞬く間に暗くなっている。
木々に囲まれた民家は不気味さが漂うなぁ。と偏見じみた視線を向けながら、息吹戸は黄昏時の空を見上げた。
(あれ?)
進むはるか先の山の上に、いつもと装いが違う空があった。
空の一部が、絵具を混ぜたように渦巻、ぽっかりとネジ穴のような隙間ができている。
見間違いかと目をこするが、確かにそこに変なモノがあった。
(見間違いじゃない)
もっとよく視ようとしたら感覚が研ぎ澄まされたのか、ある情報が浮かび上がり、唐突に理解する。
(穴は魔法陣が空けた通り道だ。あの下から変な気配がする。これが禍神と呼ばれる神様……いやヒュドラは怪物だだったね。だとするとおかしいな。どうしてまだ空の向こう側と情報が繋がっているの? この状態だと多分、儀式は……)
「息吹戸さん。どうしましたか?」
津賀留が声をかけてきたので我に返る。
いつの間にか立ち止まっていて三人と距離あいていた。そのため呼び戻しに来たようである。
息吹戸は「なんでもない」と答えてから、雨下野たちに続いた。
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