第229話 初心者オーバーヒート
「あの、息吹戸さんにも、誰にも言いませんので、安心してください」
津賀留の言葉を聞いて、章都と礒報がほーっと安堵の息をつく。
「あービビった。下手なこと言わなくても殴られるからなぁ。彼氏じゃんとか言ったら入院になっちまう」
苦笑いを浮かべた章都はガリガリと髪を掻いた。
「章都さんは発言に気をつけて下さい。私まで巻き込まれてしまうところでした」
ギロリと礒報が睨む。
「ノリノリだったくせに」
「なんですって?」
「はいはいワタシが悪ぅございました」
章都は口先だけ謝った。心が全くこもっていなくとも礒報は謝罪を受け取る。
「じゃぁこの件は終わりでえーと、何を話していたんだっけな」
しばし沈黙のあと、章都は「そうだ」と声を弾ませた。
「礒報もさユッキーのメイクテクに参加しろよ。アンタが着飾ったらきっと東護さん褒めてくれるぜ」
礒報はぎょっとして
「お人好しも大概にしなさい」
と鋭い声を出す。
章都はふへへとだらしない笑い声を出した。
「ワタシたち三人は恋のライバルだ。だから礒報も化粧で綺麗になろうぜ。東護さんが選ぶのに困るぐらいにならなきゃ面白くねーだろ?」
「だからって……!」
敵に塩を贈ってどうすると礒報は毒づくが、章都は流し目をしてにやりと笑った。
「何言ってんだ。あの手この手使って高感度上げる努力をやるべきだ。好きな奴の目に留まらなかったら意味ねぇって分かるだろ。あと勘違いすんな。ワタシは仲良し小好しで誘ってるわけじゃねーよ。あんたはいい奴だから東護さんに選ばれてもきっと祝福できる」
そして視線を正面にもどした。
「とはいえ、ワタシは負ける気しないけどなー。今日のはしっかり手応えあったしさぁ。へへへ」
章都の強気な横顔をみて、礒報は歯を強く噛みしめながら下を向く。
彼女の強さと大らかさ、そして平等さは否応なしに惹きつけられる。
ちょっとした事で嫉妬してしまう自分が、つまらない人間だと突きつけられているようで劣等感が生まれる。
でも章都はマウントをとっているつもりはなく、すべて親切心からの行いだと、礒報は良く知っていた。
「そんなことだから、私は貴女が気に食わないんです」
だから、こう言い返すのが精一杯だった。
「いいじゃん、最高の誉め言葉だ。で? 返事は?」
礒報は章都に顔を向けた。目を輝かせて、積極的な心構えを前面に押し出す。
「参加します!」
「そうこなくっちゃ」
流石戦友、と章都は嬉しそうに頷いた。
そんな二人の友情が育まれるシーンを、津賀留は全く見ていなかった。
頬を染めながら顔面を引きつらせている。体を少しだけ前に傾けて、両足をぴたりとくっつけ、両手を握りしめて両膝に置く。
瞬きもほとんどなく、握りこぶしに視線を落とすが手を見ているわけではない。
心臓の音が津賀留の体を震わせる。
ドキ、ドキ、ドキ、と全身が巨大なポンプになったような気分だ。
『あいつは津賀留の保護者やってるようなもんだし。もしかしたらカレシ気取りかもな』
頭の中で章都の言葉が響いている。
「恐れ多いというか高望みというか、そもそも女性同士……だけども息吹戸さんが私の……」
呟くと同時に顔に熱が広がり、津賀留の瞳孔が開いていく。
口にしていいのか迷う。お門違いだとわかっている。だけど言ってみたい。
津賀留は勇気を出して、蚊の鳴くような声を発する。
「私の……私だけの息吹戸さん」
口に出した途端、津賀留の思考がオーバーヒートを起こした。頭上から湯気が出ているように熱くなり願望が輪郭を帯びる。
「息吹戸さんが私の恋人……」
キュウウウウウ、と自分の脳から変な音が出た。羞恥心と背徳心が強くなり、茹蛸のように顔が赤くなった。それを隠すため、津賀留は座席の上で体育座りなり膝の上に顔を置く。
会話に夢中になっている章都と礒報は津賀留の変化に気づいていない。互いの恋愛のノウハウを押し付け合い、付き合ったときの行為について願望を語り合う。
楽しく語るというよりは、必勝法を討論し、互いにダメ出しをしてけん制していた。
不穏まではいかないが、車内にピリッとした緊張感が漂う。
「だからやっぱりさー。胸の谷間なんだよオトコってやつぁー」
「そんなことありません! 綺麗で澄んだ瞳に目を奪われるんです」
「そんなわけ……おっと。ここに停めるぞ」
章都は会場の近くにある自走式立体駐車場の中へ入る。連結されたスロープを走行して三階まで上がった。駐車スペースにほとんど駐車しないため、エスカレーターがある場所の近くに停めた。所要時間は一時間十分。
サイドブレーキを引いてエンジンを切ってから、章都は背伸びをして固まった体をほぐした。
「んー! 無事についたー!」
「お疲れ様です。運転有難うございました」
先ほど白熱をつゆほども見せず、礒報はお淑やかに礼を述べた。
変わり身が速いと苦笑しつつ、
「津賀留寝てるか? 着いた……」
章都が運転席から振り返って後部座席を見ると、津賀留は膝を抱えて丸まって座っている。その耳が真っ赤になっているので、章都は目を丸くした。助手席の椅子に肘をかけながら上半身をひねり後ろを振り返る。
「どうした津賀留」
章都の声に反応して後部座席をみた礒報は、勢いよく顔を上げた津賀留と目が合う。
「あ!」
津賀留は顔を真っ赤にして気恥ずかしそうに視線をそらした。礒報は瞬きを数回繰り返す。
「あら。真っ赤ですね。どうしたのですか?」
「こ、これは……っ!」
津賀留は慌てて両手を頬に当てた。手のひらがホカホカと温かくなる。
「体調不良じゃないよな?」
章都が怪訝そうに眉をひそめると、津賀留が頬から手を離しブンブンと勢いよく顔を左右に振った。
「ち、違います! これはその……お、お話が……そ、想像して、しまって。は、はずかしくて……なんだかその……」
意味なく浮かせた手がゆっくりと降りていき、肩をすぼませながら視線を窓の外へ向ける津賀留。
章都と礒報はお互いの顔を眺めながら、同時に首を傾げた。
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