第215話 真似をしてはいけません
「十五匹くらいかな」
あっけらかんとした表情の息吹戸。
礒報が「十五匹も……」と呟き、なんともいえない表情を浮かべた。
流石にこれは不味いことだと気づいた息吹戸は、少しだけ取り繕った。
「実験とかに使うかなーとか、余計なこと考えちゃって」
「まぁ……そうですね。きっとそのような考え方もあると思います」
本当にやんわりと、傷つけないように考えられた返答を聞いて、息吹戸は「はぁ」と落胆してため息をついた。
「残念。ならこの目玉どうしよう」
息吹戸は眼球がたくさん入ったビニール袋を手に取って揉んでみる。こうやってみると、マグロの目玉に見えなくもない。
「美味しいかもしれないから、試しに煮て食べてみようかな」
食に困ることはないが、新しい物はチャレンジしてみたいと素材に対する期待を膨らませたところで。
「でも」
礒報が取ってつけたような声をだした。
彼女の目は完全に泳いでいる。息吹戸の料理発言に恐怖し、行動を止めようと必死で考えていた。
ただでさえ『味覚を破壊されるような筆舌に尽くしがたい味』を産み出すと有名なのに、従僕を材料にしてしまったらどんな猛毒が発生するか分からない。
成功しても失敗しても甚大なダメージを与えるはずだ。危機感がどこに消えてしまったのかと嘆く。
「でも?」
息吹戸が言葉に食いついたので、礒報は「ええと」と話題を保ちながら、素材について何か良い情報がないかと考えた。
「そういえば」
一つ思い当たる節があった。
開発部の一部で従僕の生態調査や実験が行われていたはずだ。そちらで活用できるかもしれない。
しかし礒報が紹介できる人物はいない。
少し悩んだ。こんな案件、ちょっとしたツテがないと門前払いだろう。
散々考えてみたが、これしかなかった。
「彫石さんなら」
開発部と仲の良い人といえば彼しかいない。
「ほう?」
息吹戸がキラリンと目を輝かせる。
なんだか彫石を生贄にしたような気分になり礒報の顔色が若干悪くなる。視線を斜め下へ向けながら、苦笑のようなへの字のような微妙な表情を浮かべた。
「彼は時折、開発部の方々と共同して実験している……はずなので、お聞きしてみてはいかがでしょうか?」
「そっかー。彫石さんに聞けばいいのね。ありがとう」
期待した眼差しが礒報の顔面に当たる。息吹戸を見ることができず、明後日の方向に視線を向けたまま「そうですね」と頷いた。
問題を丸投げしてしまい、心の中で彫石に謝る。
息吹戸は眼球が入った袋をウエストポーチに収めると、ジャンプして柵の上に立った。
重力を感じさせない動きをみていた子供達が、好奇心を刺激されて窓枠に集まりはじめた。
「喋りすぎました」
息吹戸は後頭部をカリカリと掻いて、静かな口調で礒報と隊員に呼びかけた。
先ほどまでの和やかな態度から一転して、ピリッとした雰囲気に変化している。
「片付けてきます」
「あ。はい。お願いします」
礒報が乾いた口調で頷くと、息吹戸はそのままジャンプして隣の木の枝に飛び乗った。
枝がしなる動きを利用して次の枝へ着地してまた次へ。ぴょんぴょんぴょんと、トランポリンを歩くように枝から枝へ飛び乗りつつ去っていった。
「風変りな方ですが、さらに奇想天外な行動を起こすようになりましたね」
礒報が遠くを眺めながら呟くと、後ろから子供たちの喝采が響いた。
「なにあれ目が沢山だったすごいー!」
「かみなしすごいー!」
「かっこいいいいいい!」
「ジャンプしたーい!」
礒報はハッとして後ろを振り返り、しまったと左手で頭を抱えた。子供たちの存在をすっかり忘れていたと猛烈に反省する。
園児になると防災教育の一環で異界の存在と敵の存在は教えられている。生存率を高めるため、異界の侵略や対策について常日頃から指導しているが、死傷による心のトラウマを引き起こさないようにするため、十歳以下の子供になるべく殺傷現場を目撃させないようにとお達しがきていた。
なのに、百歩譲って物騒は良しとしても、せめて眼球くらいは隠すべきだったと、不首尾に終わったことに頭痛を覚える。
振り返った礒報は、興奮している園児たちにやんわり注意をする。
「あれは真似してはいけません」
園児たちが「えー」と不満そうに声を上げる。
「すごかったよー! 目玉たくさんあったー!」
「おばさんもできるのー? 沢山お目々あるのー? みせてー!」
「さっきの人だれー? 木にぴょーんとしてた!」
「やりたーい! やりたーい!」
先ほどまでの怖さもなんのその、園児たちはキャッキャと楽しそうに礒報の足元に集まっていく。
礒報は「はぁ」とため息をついて額に手を当てる。保育士ではないので園児の扱いは分からない。
「ちょっと、そこの……」
話している間にあの隊員は何をしていたのか。と責めるような眼差しを向けると、隊員は横向きに寝かせた怪我人のそばにいる。
「見逃してくれた?」
両膝をついて両手をつき、土下座一歩手前の体勢になっていた。下を向く横顔からは動揺して目が小刻みに揺れているのが確認できる。
「いやそんなはずはない。でも何も言われなかったなんて……無視された? 注意する相手にすらなっていないという意味で? いいや違うはずだ。俺は責務を全うしている。これは、そうだ、忘れたころにネチネチと攻撃を受けるやつだ。こ、こわい、どうすればいい、こわい」
自分で勝手に精神的ダメージを受けている。当分この記憶で怯えるに違いない。
息吹戸は彼に対して何も思っていないと礒報は思ったが、解釈違いを起こすと後が怖いので何も言わなかった。
「さてと。これからどうしましょうか」
礒報は周囲を生ぬるい目で見つめる。
子供達がキャッキャと騒ぎ、ウッドデッキツリーハウスを駆け回っていた。泣いていた子供達すら笑顔が戻り遊び始める。
保育士の女性が集まるよう呼びかけても全員が大人しく従うはずもなく、追いかけっこをしようと呼びかけながらバタバタと走り回っていた。
ただウッドデッキの範囲だけなので、子供達も気をつけているようだ。
「おばちゃんあそぼー」
「あそぼー」
足元にまとわりつき、手を握ってきたりスカートの裾を握ったりする子供達。
礒報は辛うじて微笑を浮かべた。
とりあえず彫石にメールを送ったので、これ以上やることはないだろう。
救助が来るまで結界を保ち、生存者の安全を確保することに専念しようと思いながら、渋々子供達の遊び相手を行った。
一時間後、アメミット隊員の救助隊が到着したことで、やっと礒報の任務が終了した。
車内に戻るとぐったりした表情ですぐに椅子にもたれた。
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