第206話 すぐに遭遇しました
林の中に入ってすぐ、結界を張っていることを示すテープが木に貼られていた。護符の簡易結界である。数人のアメミット隊員が結界を守りながら周囲を警戒している。
いつも現場で見かける服装とは違っているので、息吹戸は不思議そう眺めた。
ここにいる隊員たちは紺色に白が混じった色合いの上衣をズボンに入れてベルトで固定しており、袖口が絞ってある。黒いヘルメットをかぶり防護ベストを着ている。首元と前腕から手首、膝から下に防具が取り付けられている。
説明は期待できないので、会話や雰囲気から判断することにした。
礒報と息吹戸の姿を発見した隊員がすぐに仲間を呼び、背筋を正した。そのうちの一人が駆け足で礒報の元にやってくる。彼が責任者のようだ。
「ご苦労様です」
小さな会釈に、礒報も会釈で応える。
「ご苦労様です。現在の状況を教えていください」
隊員は頷く。
「確認されているラミアの数は八匹。全長10メートルで通常の二倍。人間部位は全員女性。誘惑するラミアが多数で魅了にかかった隊員が十名、そのうち五名が重症です。残念ながら、我々の力では歯が立ちません」
結界の近くにいる数人の隊員が俯いた。
現在、アメミットの精鋭部隊は数か所の禍神案件に対応していたため、少々人手が不足していた。そのため今回は安全治安課にお呼びがかかった。安全治安課は天路民同士の事故や事件に対応する業務なので、異界からの侵略には役不足である。
案の定、敵のレベルに対応できず、本部に応援を求めたらすぐに、カミナシ第一課に要請したと折り返しの連絡があった。
無力感を覚えながらも、カミナシ第一課が来たなら勝ったも同然だと安堵の色が浮かんだ。
礒報はラミアの数に難色を示す。集団で追われていたら助からないと園児達の身を案ずる。しかし隊員達を責めることはできない。管轄が違うのだから倒せないのは当然であった。
「安全治安課ですから。死者が出なくて幸いでした。ところで女性隊員の姿がありませんが、捜索中ですか?」
「女性隊員達は全員重体です。男性隊員よりも執拗に襲われてしまい真っ先にやられてしまいました」
「ラミアは男を襲う怪物だから、女が嫌いなのかもしれないねー」
ひょこっと息吹戸が会話に割り込んだ。彼女の声をきいたアメミット隊員の顔が青くなり、さらに背筋が伸びた。
「要は林に潜むラミアを全部倒せばいいんでしょ? イベ導入時間惜しいから、私はさっさと中に入るよ」
隊員が慌てて止める。
「待って下さい。林の中は広いうえ、ラミアは木々の隙間に隠れています。正確な位置が把握できないと、息吹戸様とはいえ奇襲を受ける恐れが……」
ちゃっかりと『様』呼びされていたが、息吹戸は聞かなかったことにした。
「匂いを辿るから大体わかるんじゃないかな」
隊員たちは怪訝そうな表情になり、礒報が「匂いですって?」と聞き返した。
「うん。ラミアは悪臭を放つから。なーんか、林の奥がめちゃくちゃ小便臭いんだよねぇ」
スンスンと礒報とアメミット隊員が鼻を動かす。隊員は首をかしげたが、礒報は「これが?」と眉をひそめた。
「確かに糞尿のような悪臭の微細な匂いが……というか、これが匂いですか? まぁ、なんとなくわかりました」
悪臭というよりも残り香のような気がする。と礒報が呟く。
「ラミアは獲物をさっさと食べちゃうから、保護するなら急いだほうが良いですよ」
「わかっています」
息吹戸が手を軽く振りながら、「ではお先に」と声をかけて駆け出す。
「お気をつけて」
後ろから声を掛けられたので、こぶしを握った右腕を空に向かって声に答えながら、結界を越えて林の中へ突入した。
整備された道を進む最中、強烈な悪臭を感じたので道から逸れて右に曲がった。木々の隙間を縫うように真新しい血痕がポタポタと地面に垂れている。血痕を追って移動すると、血だまりの傍に細い枝と布の切れ端が沢山落ちている。
息吹戸は上を見上げて……太い木の幹に巨大な蛇が絡みついている光景に目を輝かせた。
「わぁ。ラミアって綺麗!」
上半身は全裸の女性で腰から下がつやつやとした青い鱗を持つ蛇だ。
灰色のロングストレートヘアをもち絶世の美女の顔を持っている。細く切れ長の青い目、つやつやのピンクの唇、化粧が必要ないしっとりとした色艶の良い肌、豊満で形のよい胸、きゅっとしまった腰。ゆら、ゆらとゆっくりと上半身を揺らす仕草は妖艶で愛の園へ誘っているようだ。
しかしその手は蝙蝠のような指で五本全部がナイフのように鋭い。血に染まった手から肘まで鮮血が滑り落ちる。枝と一緒に散らばっている衣服の切れ端は、アメミット隊員が来ているジャケットの切れ端だ。血の色と滴り具合から推測するに、隊員を襲った直後だろう。
息吹戸を見下ろすラミアは無表情だったが、少々残念そうな眼差しを向けた。男性を好んで食すからだ。
しかし女性を食べないわけではない。
『シャアアアア』
ラミアは大きく口を開けて威嚇音を上げる。顎がはちきれんばかりに下へ伸び、長い舌がへそまで垂れた。人差し指はあろうかという二本の牙が毒液をまき散らす姿は醜悪そのもの、百年の恋も終わりそうだ。
ガサ、ガサと周囲の葉が揺れた。
そちらを一瞥すると、滑るように高枝を移動して一匹のラミアが、茂った葉の間から顔をのぞかせた。
こちらも10メートル級。灰色のショートボブの髪型、顔のつくりはほぼ同じでくすんだ青い目と鱗を持っている。こちらは鼻下から胸の周りに鮮血がべっとりとついている。最初の一匹に倣うように二匹目のラミアも大きく口を開けて威嚇音を放つ。
(髪型が個性なのかも)
息吹戸はうっすら笑顔を浮かべて観察していると、二匹のラミアが両手を伸ばしながら木から降ってきた。枝から引きちぎられた葉が宙を踊る。落下の重みと自分の重みで獲物を押さえつけてから締め上げて食らう算段のようだ。
息吹戸は一番近いロングショートヘアのラミアに向かってジャンプする。伸びきった腕を足場にして、ラミアの肩を飛び越えるついでにその顎を左手で捉えた。
顎を軸としてグルンと体を半回転すると、ラミアの背後に回り込む。
右手で額から頭部を掴むと、ラミアの頭部を力いっぱい回した。
グゴキンッ。と頸椎の骨が粉砕した音と衝撃が手に伝わった。
ラミアが落下を終える。地面に着地する前に素早く手を放した息吹戸は、ラミアの背から浮き上がる。落下の威力を加えながら、ラミアの後頭部を踏みつけた。
ボコン、ブチュ。と骨の破損する音が響いた。
着地と同時に同族が仕留められたのを目撃したショートボブのラミア。着地した途端に驚いたようにこちらをみて、上半身をゆっくり伸ばした。
『あ、い、あ、う』
壊れたアコーディオンのような音を発したラミアは、背中を仰け反らせると、くるりと体を反転させて、息吹戸に背中を向けて逃げ始める。
背中を向けて無防備になった瞬間を、息吹戸が見逃すはずもない。
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次回更新は木曜日です。
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