第194話 抜け落ちている
言い放った息吹戸の心に達成感が沸き起こる。
先憂に綴られた羅列に埋めてしまった想いが、散る前に伝えられてよかったと。
(約束したんだ。タイミングがあるとき伝えてあげるって)
視界が闇に包まれる。
(だよね。息吹戸瑠璃)
永遠の時間のような感覚で、刹那の会合を果たした。
お互いに、若い身空で……と、悲しむ時間はなかった。
――菩総日神がくるまでは全て忘れるんだ――
最後の最後に、鋭い口調で、『私』に忠告するように
――大丈夫。神はすぐに気づく――
強く手を握りしめたまま、
――こんな世界なのにすまない。頼ってすまない。すまない。あり――
崩れていった。
息吹戸は自身の右手に視線を落としてから玉谷に視線を戻す。暖かみを帯びた黄緑色の瞳は玉谷をみていない。どこか遠くの、誰かの言葉を思い出すように、述べる。
「だから、間に合わなかったことを嘆かないでください。彼女が精一杯やったことを讃えてください」
「瑠璃……?」
と、玉谷はかすれた声で呼びかける。彼女から感じる気配は変化がないのに、漂う雰囲気はまるで別人だ。
「彼女の意図を、意志を、汲んだからここにいるんです。最後まで、貴方と津賀留のことを心配していました。『私』がここへ」
「やめなさい!」
玉谷が椅子から立ち上がると、ガタン、と一冊の書類が床に落ちた。音にビクッと反応した息吹戸は、書類を目で追って瞬きを繰り返す。
「あれ……私は何を、言いましたか?」
呆然としながら玉谷を見る。
彼も不安の色を深くしながら、警戒するように息吹戸を見ていた。
息吹戸は気圧されるように二歩ほど後退した。
そして何かの反動から庇うように両手で顔を覆う。
「……ええと、私はここへ……何しにここへ……? 私……私は……」
途端に自分という存在が不明確になり、強い不安に襲われる。
――私は。
焦げ臭い匂いがして顔を上げる。
火の海にいた。
怖かった。悲鳴をあげたかったけど声がでない。
もう駄目だと諦めた。
だから最後は夢をみたいと思った。
全てが無くなる前に、最後に幸せな夢をみながらいこうと思った。
でも邪魔をされた。
助けて。と泣き叫ぶ声が心に届く。
無視することができず、いくべき道を外してそちらへ向かった。
それでいいと決めた。だって助けるべきだから。
闇の中で小さく消えそうな光が視界に入って、手を伸ばした。
強い力で掴まれた。
冷えきっていたが柔らかい手だ。
触れば散ってしまう儚い光が取引のような話をし始めた。
それを望むなら、と、光の意志を受け継ぐことに決めた。
だって私たちはもうたすからない。
でも可能性があるなら受け取る。託された分、最善の努力する。
だからもう少し頑張って。少しでも残って。
この世界は貴女のものでしょ。
少しでも光を掴もうと手を伸ばすと、握り返された。
暖かい男性の手の感触を感じて、『私』はまだ早いと全てに蓋をした。
両手で顔を覆った息吹戸は、何かから逃げるように踵を返そうとしたので、玉谷はすぐさま駆け寄って息吹戸の腕を掴んで引き寄せた。
「しっかりしろ息吹戸! 儂の声が聞こえるか!?」
顔を覆う両手を剥がして彼女をみると、目が左右に泳いで動揺しているようだ。体を左右に動かしつつ玉谷から逃げようとする。ここで逃がしてはまずいと、玉谷は左手を息吹戸の腰に回してがっしりと固定して、右手で手を握る。息吹戸は過呼吸のようにパクパク口を動かすだけだ。
「落ち着きなさい! 儂が分かるか!?」
(まだ蓋をすること)
息吹戸はそう結論づけて闇から抜け出し、現実に戻った。
「はい! 聞こえています! なんでしょうか……」
緑色の瞳に光を戻して、返事をしながら、ヒュっと息を飲む。
真剣な眼差しの玉谷の顔が視野全体に広がっていた。ときめきで、ドクン、と心臓の鼓動が一度だけ大きく跳ね上がると、パニックを起こして硬直した。
(ひょえええええ何事おおおお!?)
推しの顔が唐突にパノラマに広がるのは心臓に負担がかかる。
一気に頬が紅葉色に染まり、落ち着くために視線を動かそうとするが、玉谷がじっと顔を覗き込むので、またヒュッと鋭く息を飲んだ。
腰を抱き留められている感覚もある。
(推しが抱きしめてるううううう! 恥ずか死ぬ! 今日は私の命日かああああ!)
嬉しすぎるのと恥ずかしすぎて心臓がもたない。
ショック死するかもしれないと焦った息吹戸は、玉谷のデスクの電話が鳴っている事に気づく。
玉谷を呼ぶ音であるが、彼は一切注意を払わず息吹戸の様子だけに集中していた。
「き、ききききききこえます。っていうか、部長。電話鳴っております」
それどころではないと、玉谷は言いたかったがやめた。
息吹戸の眼の色が元に戻っているので、正常に戻ったと思っていいだろうと、玉谷はゆっくり息をついた。
「もう大丈夫だな?」
息吹戸はゆっくりと頷き、「もちろん、大丈夫です」と表面上は冷静に答えた。
(何が大丈夫なのかわからないけど、心臓を安静にさせたいから離れてほしいです)
玉谷は「わかった」と言って、息吹戸からすぐに離れた。
「業務に戻りなさい」
一声かけてからすぐに受話器を取って話を始める。
はー、はー、と息吹戸は荒い息をあげる。全速力で走ったような動悸が発生し、手の甲で額をこする。うっすら汗が浮かんでいた。
ちょっと落ち着こうと、息吹戸は自分のデスクにふらふらと戻っていった。
時計を見ると二十分は経過している。
こんなに長く話す予定ではなかったので、邪魔をしてしまったなぁと、ちょっぴり後悔した。
(えーと。いろいろ記憶が飛んでいるきがするんだけど。菩総日神様に逢うまでに色々やらなきゃいけないんだった。屍処の覚醒はさておき、元の世界に戻る方法探さなきゃ。とりあえず早く業務終わらせようっと)
気をとりなおして、息吹戸は事務処理を始めた。
なんたってここは異世界。神々が召喚される世界だ。元に戻る手立てくらいどこかに記録されているはずだ。
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