第183話 足りないモノはぽちっとな
大切な私物は残そうと決めていたが、整理中に出てくるものはゴミか、着られない服やリサイクル不能な物ばかりだった。
それを全部片づけると、必要最小限の荷物すらないことに気づいた。
着の身着のまま、使えなくなったら捨ててしまう生活。
あえて大切な物は手元に置かないという意志が感じ取れた。
(寂しい生活。いつ死んでもおかしくない職場だから、あえてなにも残さないようにしていたのかも。愛着を持たないようにとか……)
息吹戸は振り返ってリビングを見渡す。どこかに消えた『本来の持ち主』を想い、一瞬だけ感傷に浸った。
しかしすぐ気を取り直す。
(はぁ。でもちょっと怖いな。間違えて大事な物捨ててないといいけど。でも許してほしい。ゴミ屋敷で暮らしたくないから)
戻った時に許してもらえますように。と軽く祈ってから、息吹戸は紙コップに水を入れて飲む。
少しだけ塩素の匂いが鼻について、飲み水の浄化方法は同じなのかもと思った。
喉が潤ったところで少し空腹を覚えた。一人用の冷蔵庫を開けて眺めて、うーん。と唸る。
昨日買った150mlの牛乳と6個入り卵パックと食パンが中で冷やされている。それを取り出し、小さな片手鍋で牛乳入りのスクランブルエッグをつくる。
「もう少し大きい冷蔵庫欲しいなぁ。大きめのレンシレンジも欲しい。浄水器も食器もコップも買いたいし、包丁の種類も足りない。あとテレビ欲しい。本棚も欲しいし、服も下着も靴も新調したい」
欲しい物を言葉にしながら、出来上がったスクランブルエッグをパンの上に置き、挟んで簡易サンドイッチにすると、コンロの前でそのまま食べ始めた。
パンが唾液を吸い取って口の中にくっつくので、紙コップに牛乳を入れて交互に食べる。
半分くらい食べおわったところで、息吹戸はまた買うものリストを考える。
「無駄遣いは厳禁、『私』のお金じゃないし」
調べてみたら結構な額が備蓄されていた。ある程度節制すれば五年は無職でもなんとかなるレベルだ。そして喜ばしいことに、この世界では日用品の物価は安く、基本給が高かった。『私』の記憶にある基本給の三倍はある。
実は昨日が給料日で、そこでこの職業の平均基本給額を知った。基本給に加え討伐ボーナスまであったので、金額のゼロの位が一つ間違っているのではないかと、何度も聞き返して玉谷に呆れられたくらいだ。
なので、購入しようと思えばいつでもできるが、これは息吹戸瑠璃が稼いだお金だ。
日々節約して何か買いたい物があったかもしれない。その大切なお金に手をつけて良いものかと迷う。
しかし、快適な家にしたい。という強い希望もあり妙な板挟みを味わっている。
(人様のお金で揃える気分だけど、荷物少なすぎるからもう少し豊かにしたいのは本音。折角の美貌なのにお洒落系全くないし。いや。お洒落はともなく、生活服が少ないのは大問題)
サンドイッチを半分ほど食べた。もう少し時間を置いてしっとりさせる方がよかった。
(リビングを改造しすぎると、私が元の世界に戻った時に本来の息吹戸が吃驚しちゃうからなるべく抑えたいんだけど。でもさぁー)
苦々しい表情で、必要最小限の生活必需品すら揃っていないキッチンを眺める。
(このままだと料理も出来ない。いくら家に帰る頻度が少なくても、軽食ぐらいはササッと作りたいよねぇ)
周囲は外食産業に富んでいる。早朝から定食を出すお店、昼、夜、深夜にも食事を出す店がある。種類は和洋が中心でそこに中華とインドがねじ込んでいて、基本的に日本と全く変わらない印象だ。
そうすると外食が楽だけど、緊急招集で食べずに出ることもある。そこを考慮すれば自炊が落ち着く気がする。
だってレトルト食品や缶詰など、何もしなくてもすぐ食べれる保存食が充実している。味も質も申し分ない。種類も多い。時間を気にするよりもこっちが良いのではと息吹戸は考えている。
食べ終わって軽く片付けをしてから、リビングに戻った。ベッドを背もたれにして座りこむ。
リアンウォッチを起動させて空中ディスプレイをだし、ネット通販の画面を開く。
この世界にもネット通販があり、購入の仕方も元の世界と同じなのでなんら迷う事はない。なんなら光熱費や家賃などの銀行振込もこれで出来るし、自動引落しになっていた。
最大の問題はパスワードを新たに作りかえたころだろう。ごめんと思う。
「必要最小限……ぽちっと押しちゃえーー!」
おたまやフライ返しなどのキッチン用品と、炊飯器とドライヤーを購入した。
心臓がバクバク音を立てる。このぐらいなら許されると己に言い聞かせるが、見知らぬ人のキャッシュカードを勝手に使った犯罪気分をしばし味わう。
「なんかいけないことしている気分……」
疲労困憊になりながら、ぼふっと頭をベッドに乗せる。
「とりあえず今からやる事。ベッドのマットレスを掃除して軽く部屋干しする。半ドンだから仕事のあとは服と下着を買い物する」
最初にここで寝た時布団がカビ臭かった。布団を天日干ししても匂いが取れなかったので、マットレスにカビが生えている可能性がある。少量なら見ないことにしたいが、あまりにも酷かったら廃棄しなければならない。本日はその確認だ。
「さて、やっちゃうか」
気を取り直して立ち上がり、20キロのマットレスを持ちあげた。ひょいっと効果音がでたような気がする。普通なら辛苦な重さでも、息吹戸なら片手で楽々だ。
「よいしょ! ……ってあれ?」
ベッドフレームをにビニールに包まれたA4サイズの封筒が三つ敷かれている。長い間マットレスに敷かれていたのか、所々ビニールに深い皺がついていた。
「後で確認しようか。今はこっち」
優先順位は変えない。まずはマットレスの状態を確認するのが先だ。
持ち上げて壁に立てかける。裏はカビだらけで漂白剤をつけても駄目な気がした。掃除は断念してすぐに通信販売サイトを探してマットレスを検索する。
大手企業の商品だったのですぐに同じタイプをみつけた。即座に購入。新品が届くまで古い方はこのまま使うことにする。
マットレスはこれで終了。
息吹戸の興味は封筒に移った。
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