第174話 認識を修正したいが
彫石は彼らを一瞥して息吹戸に視線を戻す。同じタイミングで息吹戸も戻した。
「津賀留のことは後で私がフォローしておきます」
「そうして頂けると有り難いです。では」
くるりと彫石に背を向けて、足をあげて一歩踏み出す。
「何処へ行くんですか?」
ピリっとした空気をだし彫石が呼び止めた。息吹戸は手で顔半分を隠しながら振り返る。
「私の怪我は軽傷です。このまま帰って寝たいんです」
「そう言うと思いました。というか、歩いて帰るつもりだったんですか?」
「あ……。そうだった」
息吹戸は瞬きを二回して、口元に手を当てる。
ここには祠堂のバイクに乗って来たことを思い出した。
マウンテンバイクは別の霊園に置き去りにしている。
市街地から距離があり、徒歩にすれば一日くらいはかかるかもしれない。不味ったなぁと視線を逸らす。
「なので、病院までお送りしましょう」
彫石は満足そうに深く頷いた。息吹戸は参ったとばかりに頭を左右に振った。
「自宅に送ってくださいよ。軽傷なので病院行かなくてもいいです」
軽傷という彼女の腹部は血が滲み、全身に細かい切り傷がある。
彫石は目つきを鋭くしながら、彼女の浅い考えを咎める。
「死者の国に入ったのですから検査は必要です。むしろ、何もなければ病院へ行ってもすぐに帰されるでしょう。一緒に来てもらいます」
表に出ていない部分に損傷があるかもしれないと考えるのは当然のことだ。
語尾強く、真顔で睨まれたので、息吹戸はため息交じりに「わかりました」と頷く。今日は下手に逆らわないほうがいいなと、ぼんやりと思った。
救護班が来る予定になっているのでもう少し待つように言われ、息吹戸は時間を持て余した。
なんとなくしゃがんで、黒ずみになっている草木の残骸に、ふー、と息を吐いて舞う姿を眺める。ふわっと浮かび上がってヒラヒラ落ちて細かく砕ける。やることがなくて暇だ。
「眠そうですね」
うとうと、と瞼が重くなってきたところで、再び彫石に声をかけられた。
第二課のメンバーに指示を出すとすぐに戻ってきたので、本日の息吹戸の監視を担っているようだ。
しゃがんだまま、息吹戸は視線だけ上げる。
「眠いです」
彫石が苦笑するように唇の口角をあげた。
「では暇つぶしに。先立って玉谷部長に報告するために、いくつか質問してもよろしいですか?」
どうぞ。と促す。
「地界での勝木と東護の様子はどうでしたか?」
息吹戸は気怠そうに立ち上がった。報告は立って相手の顔を見たほうがいいと考えたからだ。
「えーと、七割くらい転化していました。鏡で解除しているので転化の影響はありません」
出会ったときに七割浸食だった。勝木は八割浸食で救出。東護に至っては九割強での救出だったが、面倒だったので割愛した。
面倒と思った時点で、動くことを良しとせず、詳細を語ることもしないのは、以前の息吹戸と同じであると『私』は知らない。
「死者の国に禍神がいましたか? 内部で何が起こってましたか? アンデッド出現との関連はありましたか?」
「死者の国に召喚の儀式用の符を埋め込まれた霊魂が送られ、揃った際に召喚が完成したと、死者の国の神代行者、岡様から聞きました」
彫石がピクリと反応し「岡?」と呟いたが、無視する。
カミナシの多くは『神代行者』を知らないと、勝木と東護の様子でわかっている。一々ツッコミはしない。
「召喚されたのは悪魔メフィストフェレス。ざっくり端的に言えば、菩総日神様が降りてきて追いかけて行きました。今回は送還の儀を行わず、魔法陣を壊すことで悪魔をこの世界に閉じ込めるよう直接指示されました」
「なんですって!?」
彫石が驚愕の声を上げ、みるみる顔色が青へと変わる。
そりゃ驚くよなぁ。と息吹戸は同情を禁じ得ない。可哀そうにという視線を送りながら続ける。
「アンデッド出現の原因はメフィストが、神代行者の伊奈美様の力をエネルギーとして個別に召喚していました。その魔法陣も破壊して救出されたので、アンデッドがこちらに溢れる事はないと思います」
脳裏に般若になった伊奈美が浮かんで、おかあさま大丈夫かな? と一人心地になる。死者の国が更に死屍累々になった光景を脳裏に妄想して、苦笑いを浮かべた。
「なお、ウィルオウィスプは死者の国の霊魂を融合したものでまちがいありません。そちらは鬼が駆除しているし、坂を封鎖しているので問題ないかと」
彫石は眉間に皺を寄せながら、片手で頭を抱える。
「この度はあちらに禍神が出現。そしてそれを貴女が一人で……すばらし」
「いいえ」
彫石の言葉を即座に否定する。
「一人では無理です。まず岡様が協力してくれたこと。これで時間が大幅に短縮され死者の国に迷わず行けました。そして二人が敵になったときに、戦力をくれたことで勝機を得ました。正気に戻った勝木さんと東護さんが、伊奈美様奪還に協力してくれたから成し得たことです。どれか一つでも欠けていたら駄目でした。私一人の力ではありません。そこの所は間違えないでください」
地界で協力を得ることの難しさ。あの二人と対等に戦える技量。協力面を差し引いても息吹戸の功績は大きい。
彼女の言葉を訂正したいところだが、それでへそを曲げら得る恐れがあるので、彫石は素直に頷いた。
「わかりました。そういうことにしておきましょう。あとで玉谷部長から個別に聞き取りがあります。私と同じ質問をされるでしょうが、省略せずしっかり答えてください」
「……わかりました」
素っ気なく答えると、彫石がじっと観察するように息吹戸を見つめ、
「記憶が戻ったのですか?」
と声をかけた。
息吹戸はきょとんと瞬き二回ほど繰り返して、大きく首を左右に振り「いいえ」と否定する。
津賀留にも同じことを言われたと思い出し、息吹戸は自身を指し示した。
「私はこんな感じだったんですか?」
「そうです。いつも苦悩しているような、混沌としているような雰囲気を発していましたから。てっきり記憶が戻ったのかと」
ふむ。と息吹戸は眉をしかめる。今は無性に虫の居所が悪い。無意識に不機嫌オーラを放っていたようだ。
「あー。今ちょっと機嫌悪いですからねぇ。疲れて……」
そしてパッと目を開いて彫石をみる。瞳孔が広がった猫のような目をみて、彼はぎょっとして小さく体を揺らした。
「彫石さんから見る、いつもの『私』はどんな感じですか?」
何気なく質問をすると、彫石は困った様に瞬きをする。少し間を空けて迷った素振りを見せながら「能天気」と言いかけて。
「いえ、快晴と言った感じですか。春の日差しのようです」
声のトーンを高くして誤魔化した。
勿論、息吹戸の耳にも入ったが、
(能天気。本音のようだけどすぐに言い直しているのでツッコミはするまい)
聞かなかったことにした。
「なるほど。真逆ですね」
「その通りです。……と、時間ですね」
彫石が後ろを振り返った。
息吹戸がつられて視線を向けると。
「あーよかった。息吹戸さんまだいますね」
彼雁がこっちへ歩いてきた。
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