第172話 大事なこと
「津賀留ちゃん」
息吹戸が一声かけると、津賀留はビクッと体を震えさせた。
声の響きがいつもと違う。
頭から冷水を浴びせられたように小刻みに震えながら、恐る恐る息吹戸を見下ろした。
手で隠れていた目が見える。軽蔑が入り混じった怒りの眼差しが津賀留を射抜く。
そこにはいつもの柔和な彼女ではなく、機嫌が悪いときの彼女がいた。
「降りてくれる?」
は、い。と、声を振るわせて、津賀留はゆっくりと降りた。
息吹戸は渋い表情をしてゆっくり起き上がり、小さくため息をつく。
酷く頭が痛いような表情を浮かべ半眼で視線を向ける姿は、記憶が無くなる前の彼女だ。さらに説教が始まる前の動作だと、津賀留の心と体が震えた。
でも記憶が戻るのは喜ばしいことだと気を取り直す。
「あの。もしかして、記憶が……」
枯れたような声でそう聞くと、息吹戸は小さく首を左右に振った。
「いいえ。ちょっと虫の居所が悪くなっただけ」
そう短く答えると、津賀留を睨んだ。
津賀留は俯き、呼吸が荒くなる。気に障る事をしたんだと気づいて、恐怖と不安が込み上げてくる。
「ねぇ。津賀留ちゃん」
息吹戸が小声で静かに呼びかける。
「はい!」
津賀留は反射的に返事をしてから、説教を待つ子供のように身を固くした。視線を息吹戸に向けて真正面から見つめる。
「もう一度言う。貴女は今回の件では役に立たない。私でも自分の身を守れないと思うことがあった。貴女まで気が回らない。……無駄死にをさせるほど私はお気楽じゃないんだよね」
津賀留は俯く。攻撃も防御も出来ないようじゃ駄目だと断言された。
「自分の能力や特性を理解してる? してるのにあの発言では頭が痛くなる。分かっているでしょ?」
「は、い……」
「あれだけグダグダ文句をいうのなら、自分の欠点を補う補う方法をみつけなさい。護符やアミュレットとかよくわからないけど色々あるはず。最低限自分の身を護ることができなければ、危なくて私の傍に置くことができない」
津賀留は涙を浮かべる。耳が痛かった。
「あと。私の相棒だからって、私の特別ではないし、一蓮托生でもないんだから。……そんなに必死になる意味が理解できないんだけど」
え……。と声を無くす津賀留。
慌てて顔をあげると、息吹戸は半眼で冷笑を浮かべていた。
「『同行できなかった』なんて、くだらない事に責任を感じなくていい。必要以上に心配しなくていい」
津賀留はショックを受けたように目を見開き、喪心する。
息吹戸が『相棒であるから面倒をみている。特別ではない』という認識だと知っている。
だが、津賀留にとって彼女は『特別な存在』だ。唯一無二の大切な先輩で、人生の目標で、姉のような存在だ。絶対に失いたくない存在だ。
「心配、しなくていい……? そんなの。そんなの……」
やんわりと想いを拒絶されたも同然である。
絶望が心を占めていく。他の誰でもない息吹戸からの言葉だからこそ、心が深くえぐれる。
呆然として固まった津賀留に、息吹戸は苦笑を浮かべた。
「まぁだから。余計な気を使って私に愛想振りまかなくても大丈夫だから。失敗したからって、何もできないからってことで特に嫌いにはならない。……今のような態度の方が、気分が悪いの」
「ーーっ」
津賀留の目の前が真っ暗になった。
本当に本気で心配したのに伝わっていない。それどころか拒絶されてしまった。
悲傷により頬に涙が伝っていく。
息吹戸が疲れたように頭を掻く。少しぼさぼさだった髪が、さらにぼさぼさになった。
「キツイ言い方して悪かった。でも大事なことだから伝えた。気をわるくしないでね。うん、とりあえず待っててくれて有難う」
息吹戸は微苦笑を浮かべて立ち上がった。
「あ……」
津賀留が手を伸ばそうとするが、息吹戸はするりとかわす。
「あの、息吹戸さん、私……」
息吹戸は振り返らない。こちらを見ない。
津賀留は言葉を失った。
彼女の中で津賀留の存在は必要ないと思い始めているのではと、そんな想像が頭に浮かぶ。
それは嫌だ。と震えた。
やっと認めて貰えたと思っていた。
好意を渡せば好意を返してくれる。それがとても心地よかった。
心地よい関係を保ちたいから、あからさまに好意を寄せた。喜んでくれていると思っていた。
彼女が津賀留に何を期待して、何を求めていたのか考えず。
一方的に自分の気持ちを押しつけてしまった。
それを嫌がられた。
先程の事だって。息吹戸の体の具合を確認せずに力いっぱい抱きしめた。あまつさえ押し倒した。
息吹戸の話を遮って自分の言葉ばかり並べた。彼女の言葉をよく考えず、相棒という免罪符を使い責めた。
おかしいじゃないか。
急を要する事態にシャワーを浴びたのは自分だし。死者の国に行けないのは力不足だというのに。
津賀留は己の行動を恥じる。
「私は必要以上に甘えていたんだ」
彼女が求めるのは対等の関係だ。
甘えてすり寄ってくる相手ではない。
心を落ち着かせてから目を開く。津賀留は真剣な眼差しになり、息吹戸の背中を凝視した。
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