第16話 禍神の置き土産
「ごめん、なさい。息吹戸さんの、お手間を取らせ、ごめんなさい。忠告……のに。こんな事になってしまって」
『私』に抱き着いた津賀留は、口から大量の泡を吐きながら、嗚咽まじりに謝罪を始める。カタカタと小刻みに体が震えているのは囚われていた恐怖と、これから受けるであろう叱咤を想像したためだ。
「助け、来ていただいて、本当に、こーえいです。息吹戸さん。ありがとございます」
津賀留の身長は百五十センチほど、ぶかぶか白いローブを着ている姿はとても愛らしいものであった。例えるなら親の服を着た子供のようである。
(溺れているみたいな声だけど、苦しくないのかな? まぁ聞こえるから良いけど)
『私』は津賀留の頭をゆっくり撫でる。
「助けられて良かった。でもビルから逃げるまでは油断禁物だよ」
「へ……?」
津賀留の動きがピタリと止まる。
そ~~~っと見上げて『私』の顔色を窺うと、若干怯えた眼差しを携えながら、手を放してゆっくりと後ろに下がった。
「あの。それだけ、ですか? 私に、言う事……は。他に、あります、よね?」
「それだけって? 例えば?」
津賀留は視線を泳がせて、胸の前で両手をこすり合わせながら「ええと」と呻く。
「ぐず、とかドノロマ……と。役立たず、くせに、あれこれす……じゃないとか。わ、たしができない、し、仕事、を引きうける、なって……お叱り、ことば……」
「んっ!? なにそりゃ」
驚きすぎて『私』は舌を噛みそうになった。
(私の設定は鬼教官なのか!? 怒れないよ。命からがら助かった人に石を投げるつもりはないんだけど)
『私』はそれに答えず、話題を変えるため倒れてピクリとも動かない小鳥を指し示した。
「あっちは大丈夫かな? ええと、小鳥さん?」
「あ!」
津賀留は急いで小鳥の傍に行き、膝をついて座った。
「その人、誰?」
『私』がおそるおそる聞き返すと、津賀留は「え」と不思議そうに声を上げたが、
「姿が、違う、分からないの、も無理、ありまひぇん」
と、小鳥のフードを取る。
それは背の高い痩せこけた老人だった。肌は水色マーブル模様になっていて、つるつる頭にフジツボがびっしり生えていた。
「カミナひ、第二討伐、ぶしょの小鳥かちょ、です。辜忌がおこひた、千草町じゅうにん、失踪事件の、ちょーさをたんとーして、いて一か月、ほど行方ふみぇいに、なっていました」
津賀留の目に憐れみが浮かぶ。
小鳥は意識がない。息が絶え絶えになっているので早く治療を受けないと死んでしまうだろう。
「私が受ける、痛みを、庇って……こんな、ひひょい傷を……」
津賀留は悲しそうな表情を浮かべて『私』を見上げた。
「しゅでに、分かっていると思ひ、ますが私は、小鳥さんのそうしゃく、していました。息吹戸さん、警告を無視して……でも、いばひょを突き止めたかっ、ったんです。でも単身で、せんにゅしたら捕まって……こんな、お手を、煩わせてしま、って」
(蟹のように泡を吐きながらストーリー説明を頑張っている。敵組織が気になるけど、なんでフジツボが頭にひっついているんだろう)
『私』は小鳥の頭が気になって仕方がなかった。耐え切れず、話し半ばで頭を指で示した。
「このフジツボはなに? 津賀留ちゃんの頬にもあるけど病気かなにか? それともその姿が普通だったりする?」
津賀留が怪しむように「……え?」と声を上げる。
(ああもう。これは一般常識でしたか)
『私』は夏休みで遊び呆けて覚えた事をほとんど忘れ、久しぶりの授業についていけない気分となった。血反吐をはくイメージすら頭に浮かぶ。
いたたまれず眉を潜めると、津賀留が顔色を変えて「あ、いえ、すみまひぇん」と恐縮しながら丁寧に謝った。
「私の、見解を……自分に、なにが起こったのか、理解すりゅために」
『私』は否定したかったが、我慢した。
一つでも情報が欲しいので喋ってもらいたいという打算である。
「転化、していまひゅ。禍神と同化しやすひひょうに」
「転化……?」
「異世界の生物と、なひゅ、呪ひです」
津賀留が解説を始める。
(その調子でどんどん教えてください)
「小鳥さふは、転化だけ、でゎなく、禍神に、命をしゅい取られたので、老人ぼような見た目になっでいまひぅ。適切な治療を、すひば、元通りに、なります」
『私』はそうだったのかと心の中で驚きながら、頷く。その表情はひどく冷淡であった。
津賀留はゆっくり息を吐いてから、
「でももぶ、解除ふぁできない、んでぶ。息吹戸さんが、優しく、の理由も分かって、います、それは……うっ、うう!」
津賀留は突然号泣した。これは歓喜ではなく絶望の涙である。
『私』は驚いて「え? ど、どうしたの?」とどもりながら呼びかけると、津賀留はあふれる涙と、口から出る泡を手で拭いながら『私』を見上げた。
「私は、このみゃみゃ死ぶから、最後だから、優ひくしてくへふんですよね!」
「んん!?」
寝耳に水であった。どうリアクションすればいいのか迷って、『私』は棒立ちになる。
「転化して、禍神の、子孫になってひまって……ごめ、ごめんなさい、うわああああああん!」
泣き叫んでいる津賀留を静かに眺めながら、
(別の神の子孫になるってすごい設定だ)
『私』は夢の設定の細かさにただただ感激していた。
読んで頂き有難うございました。