第153話 あの日の惨劇
あの惨劇は東護がカミナシに所属してニ年目のことだった。
故郷の地が降臨の儀に使われていると知って急いで現場に駆け付けた。状況を確認する時間も惜しみ、真っ先に家族の待つ家に向かったが――すでに手遅れだった。
『……嘘だ。こんなこと……こんなこと……』
玄関から廊下の途中に異形の死骸が転がっていた。狼が人の胴体をもち二足歩行得たような姿だ。喉と腹部に裂傷があるソレは、母親の服を着ている。
『父さん! 龍美!』
異形が倒れているすぐ目の前はリビングがある。ドアを開けて愕然とした。室内は無残に荒らされており、ドアの傍に父の服を着た異形が胴体を斬り裂かれて死んでいた。
『そ、んな……』
じわじわと、両親が従僕になり死んだ現実を脳が認識する。
東護は放心状態になりがっくりと膝をついた。
『龍美は……』
フロアにべったりと二人分の足跡がついている。一縷の望みをかけ、東護はゆっくりとカウンターキッチンへ向かう。
龍美はすぐに見つかった。
台所の冷蔵庫に背中をつけ、横向きで倒れている。喉についた深い傷から血が流れ終わり、血溜まりを作っている。手遅れだった。
しかし妹の死にショックを受ける前に、彼女の傍にしゃがんでいる人間に目を止めた。
やや紫を帯びた暗い赤色、葡萄茶色の袋を着ている。カミナシ第二課の戦闘服だとすぐに気づいたが、それよりも、血が滴る刃渡り四十センチの大きなナイフを握りしめ、妹の肩に触れているその人物をみて、東護の表情に困惑が浮かび上がる。
『なぜ、貴様がここに……?』
それは息吹戸瑠璃だった。
彼女は潜入捜査の一員として本隊よりも先にこの町に送りこまれていた。
年齢の関係でアルバイトという立場でありながら、重要な案件を任される将来を期待された有能株であり、東護もたまにバディとして組まされる相手だ。
東護が来たことに気づくと顔をあげ、ため息を一つ。
『遅かったな』
残念そうに声をあげて立ち上がり、龍美の傍を離れる。彼女の体に返り血はついていなかった。
『彼らは降臨した禍神の影響下によって転化し、従僕化した。居合わせた時、既に理性を失っていた為、規則に則って命を奪った』
東護に近づきながら淡々と言い放つ。
『貴様が……、俺の、家族を……』
『そうだ。この家族は私が殺した』
息吹戸は血に染まった手を見せた。
『これはあんたの家族の血だ。わかったか? 私が殺した。理解したか? 私があんたの家族の仇だよ東護サン』
喜怒哀楽の感情が籠っていない目が東護を映す。狼狽して絶望して涙を流す自身の姿を、彼女の瞳を通してみることができた。
『なぜ、だ……』
ショックだった。この現場には転化を解除できるカミナシがいることを知っているはずなのに。
『呼べば……磐倉はすぐに応じてくれる。俺の家族が、助かる事が……出来たかもしれないのに。なぜだ!』
非難の声をあげたが、息吹戸はスッと東護の横を通り過ぎる。まるで雑草を踏むように彼の気持ちを踏みにじる。
『次の持ち場にいく。気が向いたらこっちへ戻ってこい』
淡々とした口調で言い放つと、東護を無視してその場を後にした。
沈黙が室内に響く。遠くで戦闘音や罵声、絶叫が流れてくるが、どこか遠くの出来事のように感じた。
茫然自失の中、ゆっくりと妹を抱き上げた。指の爪が二本欠けているくらいで、首の傷以外に目立った傷はない。それでもその姿は妹ではなかった。
驚くことに体はまだ暖かかった。
ついさっきまで生きていて、ついさっき殺されてしまったのだ。
涙をぽたぽたと流れ、龍美の頬に落ちる。
『……っ、何故……。こんなことに。うわああああっっ』
東護は声を出して泣いた。
間に合わなかったことに、救えなかったことに対する怒りの矛先は、己自身と……
『なぜだ息吹戸! なぜ……見捨てたんだ!』
息吹戸へ向けられた。
早々に救助を諦め、あっさりと殺傷処分を選んだ彼女を心底憎んだ。
もう一度、激しく泣き叫ぶ。
ひとしきり感情を爆発させて落ち着きを取り戻した東護は、血で汚れた父と母と妹の顔を綺麗に拭きとり、シーツをかぶせて仰向けにして並べる。
家族の霊魂が異界から解放されて少しでも安らかになるよう、気休めに祈りを捧げた。
『父さん、母さん、龍美。間に合わなくてすまなかった。助けられなくて、すまなかった』
もう家族にできることは何もない。
東護は立ち上がる。その目には憎しみの色が濃く浮かび上がっていた。
『見ていてくれ、必ず息吹戸を討つ。そしたら……会いに行くから』
東護は復讐を誓い、生きることを決めた。
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