第127話 『私』を見抜かれた
「私は……」
まだ生きている。そう告げようとしたが、女性が「ん?」と眉をひそめたので黙った。
女性は息吹戸の全身を舐めまわすようにじっくりと観察して、重々しく口を開く。
「……お宅、まだ生きてるよね? どこから迷い込んだのかねぇ? いや。迷い込んだのならあの入り口を使ってとしか考えられないけど。凄い度胸で凄い運だねぇ。いや、引き込んだ者の力量ということか……いや、この場合は……」
女性は上から下まで息吹戸の体を眺めて、ブツブツと考えこむ。
息吹戸は躊躇いがちに呼びかけた。
「申し訳ありません、ちょっと急いでいるので。探している人を見かけてないならすぐに移動したいんですが……」
女性は「そうだったね」と頭を振る。
「えーと確かその『体』は、カミナシの『息吹戸瑠璃』かな? 最近、果敢さが増していると聞いていたがなるほどねぇ特殊能力解放に神通力の上限突き抜けに加え類まれなる戦闘センスが更に磨きがかかっている無鉄砲さが増しているようで驚きだよく馴染んでいるので、私でないと一目で見抜けないな!」
息継ぎなく早口で言い「さすが私」と自画自賛で締めくくり、女性は満面の笑みを浮かべる。
それとは逆に息吹戸は返答に困って眉をひそめた。
(もしかして知り合い? まさかこんな場所で知り合いに会うとはわなかった)
数秒無言の後、息吹戸はため息を吐いた。
「あの、私の事を知っている人ですか? すいませんが、私は何も覚えていないんです。貴女の名前を教えて頂けないでしょうか?」
「ん?」
女性は瞬きを二回ほどして、苦笑いした。両手を肩の位置まであげつつ肩をすくめる。
「そうかそうか。記憶まで失くしたのか。それは災難だったね『誰か』さん」
内に含んだ言い方だ。
驚いて息吹戸は目を見開いた。
(まさか。『私』の状態が分かるというの!?)
ぱちぱちぱちと何度も瞬きをしていると、女性はゆっくりと歩み寄ってくる。困っている小動物が混乱して逃げないように、近づける距離を探りながら、ゆっくり、ゆっくり懐へ入っていく。
「禁術が使われたんだろうねぇ。息吹戸の魂はここに来ていない。可哀そうに。なんてこった。なんてこった……。使った相手もタダじゃすまなかっただろうけど、禁術を使うなんて最悪だ。これは菩総日神がお怒りになるなぁ。天地が荒れるぞ」
瞳に少しだけ悲しみを潜ませつつ女性はため息を吐いた。息吹戸が手を伸ばせば触れられる位置まで近づき、見上げて、動揺に震わせる息吹戸の目の奥を覗く。
「『誰かさん』。あなたはどこから来たのかも忘れてしまったのか。それは不安だっただろう、怖かっただろう。でも安心しなさい。この世界はあなたの味方だ。私もあなたの味方だ。さ迷わずに息吹戸の中に根を下ろせたのは大変喜ばしいことだ。だから怯えなくてもいい。あなたに罪はない。最悪は回避できてるからむしろ歓迎すべきことだ」
覗いて『私』に語り掛ける。真実を話せ、信じるからと言わんばかりに。
息吹戸は喉を引きつらせながら、己の言葉を口にする。
「『私』が息吹戸ではないと分かるんですか? 私は別の世界からきた、という確信はあるのにその記憶がなくて、名前すらわからない状況で……。でも私は」
女性はガシっと息吹戸の腕を掴む。びくっと手を引っ込む息吹戸に向かって、女性は人懐っこい笑みを浮かべた。
「分かるさ! 数千年も死者の管理を任されているからね。天路民の霊ではないって、見れば一発さ」
ドン! と胸を張る女性をみて息吹戸に衝撃が走る。
信じてもらえた喜びという認識ではない。これは迂闊なことは喋れないと警戒した。驚くフリをしてゆっくり口を閉じる。
(なんてこった。魂が見える、死者の管理、上半身は人で下半身が死者。となれば、この人は女神ヘルだ! 神様だ!)
北欧神話に出てくる老衰や疫病による死者の国を支配する女神ヘル。唯一、死者を生者に戻すことが出来る人物だ。彼女は上半身が生者、下半身が死者という姿をしている。
彼女が神だとすると、受け答えは慎重にしたほうがいい。相手がいくらフレンドリーな態度でも、言葉や態度一つでコロッと態度が変わることがある。
(どうしよう。死を司る神が禍神だったら負けフラグですけど。でもまあ一応聞いてみよう。好意的に見えるから物は試しで)
『私』の話よりも、懸念に思考が戻される。
息吹戸にとって『私』はついでのようなものだ。
ついでに分かればいい。ここで活動しているのはカミナシの息吹戸だ。
そして今はサブミッション中だ。余計な話は省くべきである。
息吹戸はコホンと咳払いを一回行い、恐る恐る尋ねる。
「つまり貴女は、死を司り支配している神様ですね。なら地界について詳しくわかりますよね。私は任務中なのでそれを早く解決したいのです」
女性はきょとんと目を見開いて、破顔した。
「吃驚した! よくわかったね! 殆どの奴が私を普通の死者と思ってるよ」
「それはまぁ」言葉を濁す。そんなゆるい出で立ちでは神とは到底思えない。
「これだけは確認させてください。貴女は禍神として召喚されたのでしょうか?」
警戒色を込めて質問すると、女性は首を左右に振った。一緒にしては困ると、怒ったように目が吊り上がる。
「いやいや違う。 私は菩総日神に創られた神の代行者だ。地界を管理するように仰せつかっているから敵ではないぞ」
息吹戸がホッと胸をなでおろす。
「よかった。一瞬でも疑ってしまって申し訳ありません」
「許してあげよう。無知ゆえの行動だとわかりきっていたからねぇ」
不敬な物言いだがそう捉えられても仕方がないと、女性は不問にした。
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