第123話 彼雁の認識
妙な空気になったと、彼雁は「?」を浮かべて瞬きを繰り返す。なんとなく話が進まないような気がして、横やりを入れた。
「あれ意外ですね。てっきり息吹戸さんについていくかと思ったのに」
祠堂は舌打ちをしながら彼雁へ顔を向ける。いつもの雰囲気に戻った。成功だ、と内心ガッツポーズをする。
「一応、俺もアメミットで立場と責任がある身だからな。通常ならいざ知らず、死者の門を通るのは上の許可が必要だ」
そして「多分、絶対許可は下りない」と苦々しく吐き捨てる。
「二分経ちましたよ。確認終わった?」
息吹戸がリアンウォッチを見ながら時間ピッタリに声をかける。「はい」と彫石が答えると、破顔一笑する。
「私一人で行くってことですね。やったー! 折角だから一人旅したかったんです! 死者の国だなんて滅多に行けないですよね! 行きながら逝くなんて凄く楽しみ! どんな世界が広がってるんだろうドキドキするー! お弁当用意すればよかったなあ」
欣喜雀躍とはこのことか。文字通り、スズメがぴょこぴょこ飛び跳ねるような仕草で小躍りしながら大喜びをする。
息吹戸のテンションが爆上りし、ピクニックに行くようなノリの軽さに、男性達は目を点にして絶句した。
我に返った祠堂がすぐに怒鳴って、小躍りに水を差す。
「その気軽さはなんだ! あっちに行くのは死と同じなんだぞ!」
「えー。普段絶対にいけない場所にいくからテンションあげてるんだけど」
「死ぬんだぞ!」
「いや、べつに、そんなに『死』に拘らなくても。ここにいても運が悪ければ死ぬし。遅いか早いかってだけで同じでは?」
さも自然なこととニュアンスを含めると、祠堂は驚きで口を噤んだ。
基本的に考え方が違っていると思っていたが、ここ最近はそれを極めている。
彼女の意識を変える……こちらに気を引く取っ掛かりがないと暗に感じてしまい、祠堂は悔しさから拳を握りしめる。
そのやり取りを眺めていた彼雁は心の底から焦った。息吹戸は生への執着がないという印象を受け取ったからだ。
以前とはまるで違う。
生きるために、目的を遂行するために、必死で戦ってきた姿ではない。
彫石が言っていた『意識を改善させる』とはおそらく息吹戸ではない。彼雁の意識だ。
彼に『今の息吹戸は昔と違うので注意するように』と伝えたかったに違いない。
そこに気づいた彼雁は焦りとともに妙な責任感を前面に出す。自分がしっかりしないと大変なことになると。
「やややや、やばい! しっかり魂留めします、絶対にヘマしませんっ!」
彼雁が気合を込めて右手に光る糸を出現させた。彫石はにやりと小さくほくそ笑む。
「息吹戸さん左手貸してください!」
「はい。どうぞ」
十歩ほど、力み足でやってきた彼雁に息吹戸は左手を差し出す。
そこへ彼雁は自分の神通力に術をかけて赤い糸を紡ぐ。手縫い糸くらいの太さをくるくる、くるくるくる、とリストバンドほどの太さになるまで手首に巻き付けると、彼雁は深くしゃがみ、糸の先端を地面に突き刺した。
「留まれ」
赤く発行し、糸が玉になって楔のように地面に固定される。シュルっと音を立ると、息吹戸の左手に巻かれた糸が見えなくなった。
ふぅ。と額の汗を拭いながら、彼雁は軽く会釈をする。
「できました。固定完了です。帰るときに手をこう、クイクイ引っ張れば。糸が光りますからそれで帰り道が分かります」
試しに左手を屈曲すると赤い糸が光を放つ。
(まるで運命の赤い糸ね。この場合はお釈迦様の蜘蛛の糸、かも)
「地面の球を取らなければ死ぬまで解除できませんので、戻ってきたら左手で地面から球を取り外して下さいね」
「なるほど、わかりました。ふふふ。釣り糸みたい。さしずめ私は疑似餌というわけね」
「例えが……」と祠堂が呆れた様に呟いて、追い払うように手を振った。
「行って来いよ。どうせお前が戻ってこなかったらアメミットも動きだす。死者の国で何かあったとしても救助がくるさ。最長二十四時間、飲まず食わずで耐えてれば助かる」
「うーん。二十四時間……飲まず食わず無理そう」
「おい……」
「うそうそ。気をつけるね!」
「マジで気をつけろよ」
腕を組んで半眼で返事をした祠堂だが、その瞳には彼女の身を案じるような暖かさがあった。
その暖かさを軽く無視して、息吹戸は彼雁に向き直る。
「彼雁さんの能力の持続は……えーと、二十四時間以内に戻ればいいんだっけ?」
彼雁の顔色が真っ青に変わる。勢いよく首を左右に振って完全否定すると
「いやいやいやいや。その前に僕が力尽きるから十六時間……いや。五時間! いや。四時間! 三時間でもいいです! できるだけ早く解決して速攻で戻ってきて下さい。本当に力尽きちゃうんで! 絶対四時間以内で! でないと、僕が玉谷部長と小夜ちゃんに本気で恨まれますから! この通り頼みますから! あとでどんな小言でも仕事でもやりますからどうか! どうか!」
半泣きになりながら必死に拝み、訴える彼雁の圧力に、息吹戸は目を白黒させてたじろんだ。
「わ、分かりました。出来るだけ早く戻ってきます!」
「絶対ですよおおお」
「約束する」
息吹戸は口約束を今も昔も破ったことがない。約束を取り付けることができて彼雁はほっと息をついた。
情けない姿を晒したが、恩情に訴える方法が息吹戸に作業を行わせる効果があると知っている。先輩……というか彫石の要件を飲ませるために彼雁がよく行う手段の一つだ。
課で一番年下で、かつ可愛げがある者しか使えない手である。
津賀留なら九割の成功率。彼雁なら七割の成功率だ。
今回はうまくいったとニンマリ笑いたいのをこらえて、少しだけ微笑む。
彼雁の行動にぽかんと口を開けて固まる祠堂。その肩越しにいた彫石が緩む口元を手で隠す。バレないように少しだけ笑ったあと、深呼吸をして感情を沈めた。
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