第110話 物足りなさ過ぎ
とはいえ、ゾンビを倒す弊害もやってくる。
倒すことによって悪臭が更に濃く、濃厚なカヲリを発する。それが鼻から脳に刺激が届き、息吹戸の脳裏に『真夏に焼いたまま数日放置された鍋の中の鶏肉の匂い』が思い出された。
彼女の記憶ではこれが一番近い匂いのようだ。
(なるほど、これがゾンビ臭というやつか)
腐敗臭に咳き込むことはなかったが、生き物は臭いなぁと呻く。
腐敗した生き物の匂いは鼻にこびりつくと嘔吐を催し、数日は体から消えないと言われるほど強烈な死の匂いだ。
一般人であれば、即座にこの場から遠ざかるしか選択肢が浮かばないだろう。
しかし息吹戸の肉体はその異常ステータスを緩和する力が備わっている。そのため、ちょっと臭うなという程度で済んでいる……と本人は知らない。
「お? そろそろ起き上がる?」
ゾンビの群れの一割を踏み潰したところで、立ち上がり始めたゾンビがいた。そして周囲からワラワラとゾンビの群れが歩いて来る。
「追加もきた!」
爛々《らんらん》と目を輝かせて、そろそろ出番だと鉈の柄を握り締める。
(でも、体に返り血は汚いし嫌だから、回避する方向で攻撃しなきゃ)
靴やズボンの裾の汚れは許しても、上半身に血が付く事は嫌いな息吹戸は、飛び散る方向を計算しながら鉈を振った。
「よーーーっと!」
シュン! シュンシュンシュンシュン!
風を切る音が木霊する。
狙うは鼻から上。真上から振り降ろしにはタイムラグが発生するので、横に凪ぐ。
狙いをつけて一閃すれば三体同時に対処できる。
一歩進んで鉈を振り、一歩進んで鉈を振る。頭部を踏みつぶすように歩きながらブンブン鉈を振り回して、右手が疲れてきたら左手で、交互に両手を使いながらゾンビを凪ぐこと――――十分弱。
息吹戸はピタッと動きを止めて周囲を見渡した。もう動くゾンビはいない。
「うっそ!? 全部倒しちゃった!?」
周回作業ゲーのような気分で倒していたら、いつの間にかゾンビの群れを一掃してしまったようだ。あの大軍をこの短期間で片づけたなんて、と息吹戸自身が一番吃驚している。
「追加ゾンビいないの!?」
彼女の叫びに応える声はなく、霊園は静けさを取り戻していた。
「なんてこと……」
少し落ち込む息吹戸の足元に、致命傷を負い活動停止したゾンビが倒れている。
周囲の地面を埋め尽くすばかりか、所々重なって小山になっている屍の数は百を優に超える。
規格外の体力と戦闘技術を備えてこそ出来る無双だ。
霊園の奥を見つめて、息吹戸は拍子抜けしたように声をあげた。
「もう終わりだなんて……。あっさりしすぎてつまらない」
「『もう終わり』って……それだけやりゃ、十分だろーが」
ツッコミと共に、やっと祠堂が結界の中に入ってきた。
本当なら最初の段階で戦闘に加わるはずが、無駄がなくサックリ倒していく息吹戸の手腕をみて、手出しをするタイミングを失った。
彼女は狂喜乱舞であった。目尻は笑っているのに抜き身の刃のようにギラギラした目をみた途端、背筋が凍って動けなくなった。下手に混ざれば巻き沿いをくらうと思い、正気に戻るまで待っていた。
かくして、正気に戻った息吹戸に話しかけたのだが。
「祠堂さん。これ追加あるのかな?」
まだ殺し足りないのか、ゾンビを示しながらソワソワした様子で聞かれ、祠堂は「知らん」と短く答えた。もうこの話題を終えたい。
「中ボスとか出てこない?」
「中ボスってなんだ?」
「ノーマルゾンビよりも強いゾンビ」
「どんなゾンビだ。そもそもノーマルゾンビってなんだ?」
「そこから!?」
息吹戸は吃驚仰天して瞬きを繰り返す。祠堂は怪訝そうに眉を潜めた。
「そっか。共通語じゃないんだ。そっか」
ショックを受けてガックリと肩を落としてから、息吹戸は苦笑いを浮かべた。
「……私の造語だよ。ノーマルゾンビは特殊能力がない普通のゾンビを示すの」
何故ガッカリしているのか、色々思考を巡らせたが全く理解出来なかった。結局、質問する内容が浮かばなかったため祠堂は数秒無言の後、そうか。と相槌を打っただけで終わった。
「もっと沢山くると思っていたのになー」
残念そうに言いながら、息吹戸は服が身ぎれいなゾンビの衣服に、鉈の血を擦り付けて汚れを落とす。
「よくもまぁ。和魂を使わずにここまで綺麗に倒せたなぁ」
祠堂はゾンビの体を足で動かす。彼の行動は死者冒涜だが、さっきまで生者を喰らおうと躍起になっていた怪物である。足で突っついたり蹴ったりするくらいは許されるはずだ。
「んー。所詮は人間だし弱点わかれば即死攻撃通じるのが助かる。まーぁ、最終的に筋力と持久力が必須だけど。あとはゾンビがやってきやすい道筋をつくっておくこと。かな」
「道筋?」
「四方からこられると手が回らないけど、二方向ならなんとかなるでしょ? この体だと三方向からの攻撃が余裕で出来るから吃驚する。後方もなんとなくわかるし、だからまるで……」
高性能のロボット機体に乗ってるようだ。と息吹戸は口の中で言葉を転がした。この世界にはAIなど人工知能が存在しない。その代わりを神霊が担っている。ロボットという言葉も通じないだろう。説明しづらいと思った。
「道筋か。強い敵なら自分が戦いやすいように敵を誘導することもあるが。それが明らかに弱い敵であってもそれを意識するってことか……」
祠堂が深い部分まで考え始めたので息吹戸はこれ幸いにと話を終わらせる。
(祠堂さんって。色々突っかかってくるんだけど私の言葉をよく聞いてくれるからついつい余計なこと喋っちゃう。……さて、武器の状態はどうかな)
拭き終わった鉈をチェックする。刀身は刃こぼれ一つなく輝きを保っていた。硬い骨を斬っていたとは思えないほど綺麗だった。
(わー頑丈。開発部に鉈メインで攻撃するっ伝えたけども。強度改良したとは聞いていたけども。何をどうやったらこんな強い鉈になるのか……)
息吹戸は半眼鉈を見つめる。感心半分、呆れ半分の心境だ。
(まぁいいか。切れ味落ちにくいのは助かるもんね。研ぎ石あっても私は砥げないし)
引き続き使うため、鉈を仕舞った。
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次回更新は木曜日です。
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