第108話 嘘の中に嘘を突っ込む
笑いの波が引っ込んだところで、息吹戸は後方を振り向かずに声をだす。
「私は実力不足を指摘しないよ。そんなに親切じゃないから放っとく」
「そうだ、放っておいてくれ。お前の言い方は指摘じゃない。自尊心を殺して再起不能にさせるから何もしない方がアメミット隊員が助かる」
あんまりな言われようにちょっと悲しくなった。
おそらく正当性を前面に出しつつ、相手のもつ価値や存在意義を真っ向から否定するタイプなのだろう。
(相当頭良かったんだなぁ息吹戸。勿体ない。なんでその才能をフル活用しなかったんだろう。悪印象に捉えられない言葉選びをすればいいだけだったのに。ここまで悪評だとワザとやっているようにも思えてくるわ)
あくまでもキャラクターの性格として、第三者視点から傍観しているからこその印象である。実際に生きた人間として関わればまた違った印象になるだろう。
しかし息吹戸本体と直接話す事はもうない。と『私』は思っている。
(今は体を間借りしているだけ。私が自分を思い出せばきっと夢から醒めて現実に戻れる。思い出しても自動的に戻れなかったら、召喚や送還術がある。私の意識を元の世界へ還すことだって出来るはず。今は堅実に本能の赴くまま生きていこう)
そう再確認したところで、歩きながらさりげなく話を変える。
「ところで祠堂さん、今の会話で偽物の疑いは晴れた?」
「今の会話だけで分かるわけないだろ。……ファウストの現身の神通力の色と、オーラの輝きをずっと視ていた。別段、何の違和感もない。記憶の欠損で性格が変わったと言われれば、そうだと思わざるを得ない」
「ん? なんで記憶の欠損があるって分かったの?」
そう口走って、息吹戸は反射的に口元を押さえた。完全に失言してしまった。
祠堂は瞬きを数回繰り返して、軽く首を傾げる。
「そりゃ何度も、記憶がないファウストの現身に会っているからだ。記憶が少々なくても戦えるなら前線にでるのは当然だろう?」
息吹戸はあんぐりと口をあけた。間抜けな表情になったが、口を押さえた手がカモフラージュになり、目がカッと見開いただけになる。
「カミナシもアメミットも狂戦士か! 全く覚えて無くてもとりあえず戦おうとするなんて狂ってる! もっと自分を大事にしようよ!」
口から手を離し、息吹戸は頭を抱えた。
突然の叫びをポカンと眺めていた祠堂だったが、すぐに我に返る。嫌な汗がでてきた。
「……いやまて。ちょっと待て」
祠堂は早足になり、咄嗟に息吹戸の手首を握った。息吹戸は吃驚して目を点にする。そんな彼女の心情を推し量るように視線をあわせた祠堂は呻くように声のトーンを落とす。
「お前、どこまで忘れてるんだ?」
息吹戸は色んな意味で心臓がドキっと跳ね上がった。隠し事がバレた焦りと困惑と祠堂の風貌の良さが混ざって感情が混迷する。
息吹戸は引きつったような笑みを浮かべた。
(やっべぇー。理不尽だったから思いっきりツッコミ口調で叫んじゃった。完全に墓穴掘ってしまったーー)
「いくら呪術を受けて記憶が失われても、全て覚えてないなんてありえない。精々、エピソード記憶が多少影響をうけるくらいで……」
エピソード記憶は長期記憶の陳述記憶の一つであり、個人的に体験したことや出来事の記憶である。時間や場所、その時の感情が含まれる。意味記憶と相互に関係し、物語にたとえることができる。
記憶を改ざん及び消失する呪術では、情報を『覚えて』『貯蔵して』『思い出す』のうち、思い出す部分に意図的に障害を起こさせる。なので、呪術障害を取り除けば思い出すことが出来る。
天路国の人間は呪術による耐性があるため、記憶の完全消失は発生しにくい。数時間忘れさせるだけのモノから、年単位で記憶の忘却をさせることも可能ではあるが、『覚えて』『貯蔵して』の部分は一切手をつけられないため改ざんされない。キッカケがあれば芋づる式に思い出してしまう。
なぜ改ざんされないのかというと、情報を『覚えて』『貯蔵して』の部分の大半は魂に記載されるからだ。この部分を改ざんするためには魂に手を出さなければならない。
『魂』という『自我・意識』を扱える術式を完璧に扱える人間はそう多くない。
その術式は菩総日神の力の領域で、禁忌の類でもあるからだ。
だからこそ、祠堂は驚いた。
魂の記憶を改ざんされた前例はない。それが息吹戸の身に起こったとしたら、生きているのが不思議な状態になる。
それを払拭したくて、殴り飛ばされる覚悟で強めに詰問を行う。
「もう一度聞くぞ、どこまで忘れてるんだ」
再確認されて、息吹戸は首を傾げながら悩んだ。まずは話をそらしてみる。
「時間、押してるって分かってるよね?」
「それとこれとは話が別だ。精神のダメージ具合によっては戦闘離脱もやむを得ない。それに最近は和魂を使っていないよな? 記憶の欠如と関係あるのか? 答えろ」
(ううむ。なんか祠堂さんが真剣だ。言い逃れできない空気になったぞ。どうしようか。どこまで正直に話せばいいものか……)
祠堂と見つめ合って数秒。
出した結論は。
「うーん。そうだねぇ……。祠堂さんは覚えていない……っていう感じ」
『関わっていた人だけ』忘れた事にした。
「は?」
「初めまして。どうぞよろしく。な感じ」
「…………それ、マジで言ってんの?」
「大真面目。とはいえ、困ってないから大丈夫だけどね。今までも困らなかったし。まぁつまり、人間関係の一部を忘れてしまった、ってことだよ」
息吹戸は掴まれた手を振り払った。
「はぁ。無駄話が過ぎたわ。誰かさんが余計な話まで盛り込むから遅くなっちゃった。ってことでこの話は終わり」
息吹戸はちらっと祠堂を一瞥して駆け出す。これ以上の話は受け付けないという意思表示だ。これ以上の質問は殴ろう、そう決めた。
駆けっていく後姿を眺めつつ、祠堂は軽く頭を振る。動揺しすぎて手が震えていた。
「まじか……五年分の記憶がないってことなのか? ……ってことは、俺が言った事も忘れてるって事……か。くっそ……」
期待はしていなかったが、もしかしたらという気持ちも少なからずあった。
言葉にするとより一層辛くなり、祠堂はその場にしゃがみ込んだ。
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