第105話 予想できなかった事態
死者の門へあと一歩のところに、まばゆい光を纏う集団が現れた。
大きさは百八十センチ。横幅四十センチほどの光の集団だ。光に包まれているが人間の顔が鈴なりについているのが分かる。例えるなら顔のついた光るブドウだ。
異形の形をした光の集合体が十を超えて立ちはだかり、浮遊しながら様子をみるように、ゆっくり彼らに近づいてくる。
泣顔ばかり集まった顔を眺めていると平常心を失いそうになり、四人は一瞬思考が真っ白になった。
「……なんだあれは?」
勝木と東護は走るのをやめて前方を凝視する。見たことない大きさだが、あの輝きは見覚えがあった。
「ウィルオウィスプの……集合体?」
彫石が呟くと、三人はなるほど。と頷いた。
「でも、あんなの見たことないですよ!」
彼雁が顔を青くして背中を逸らす。逃走衝動を必死で抑えていた。
「……だからどうした。片付ければいいだけだ」
面食らっていた東護が立ち直り、和魂を呼び出す。水の蛇がうねりながら東護の前に立ち、威嚇音を出す。
東護はウィルオウィスプを凝視した。
「そ、そうだな」
勝木も我に返ると、炎を引っ込めて光る鳥の和魂を喚びだす。そしてウィルオウィスプを凝視した。
「こんな現象は今まで見た事がない。二人共十分注意して……」
彫石は初めてみる形のウィルオウィスプに全力で警戒しながら注意深く観察する。
意識を集中させると、ウィルオウィスプから一つの顔が浮かび上がって、思わず一歩後退した。
「な、に?」
浮かび上がったのは彫石と似た顔だ。否、顔は同じでも年齢が違う。現れたのはニ十代の彫石だった。
その顔を見た瞬間、胸の奥がギュッと締まる。
思い出の中にいる大切な人だ。
「ま、さか……兄さん?」
彫石には双子の兄がいた。
しかし二十歳の誕生日に禍神の生贄として辜忌に連れ去られ、帰らぬ人となった。
それが今、彼の目の前に生前と変わらない姿で立っている。一番楽しかったあの頃の記憶が色濃く蘇る。
「兄さん、なのか?」
『玄太』
兄は微笑みを浮かべて自分を優しく呼んだ。
こっちへおいで。とーーーー
「兄、さん……」
目頭が熱くなる。一歩、一歩と兄に歩み寄る。
一気に走らないのは違和感が心に残っているからだ。彼の元へ行って抱きしめたい衝動を、辛うじて抑えている。
『おいで玄太。おいで。こっちにおいで』
それでも、この奇跡にすがりたいと、一瞬思ってしまった。それだけで違和感が薄れていく。
「兄さん。生きて……いたんだね。よかった……!」
足かせがなくなったように走り出す彫石。もう大丈夫だ。間に合った。兄はまだ生きている。
「今、そっちに」
パァン!
頬から伝う涙が顎に到着する前に、誰かに頬を思いっきり殴られた。衝撃で涙が宙を舞っているのが見える。
ドサっと地面に尻もちをつくと、色と音が戻ってきた。少し遅れて頬に痛みが走る。
「彫石さん! それは幻覚です! しっかりしてください!」
「!?」
彼雁の声が聞こえ、ハッとして意識を戻す彫石。殴られた頬を押さえながら周囲を見渡すと、彼雁が横から強く抱きしめている。ウィルオウィスプから彫石を庇っていた。
ウィルオウィスプは二体まで減っている。赤い糸の防壁に体当たりしながら、こちらに近づこうとしている。
東護と勝木の姿はどこにもいない。
「一体何が……。彼雁、なぜ私を抱きしめているのですか?」
声がして彼雁は彫石の目を覗き込む。強い意志のある目だと分かって、彼雁の真剣な眼差しがほんの少し緩んだ。
「正気に戻った! よかった!」
そして軽く脱力しながら情けない笑顔を浮かべる。
「ふう。彫石さんだけでも取り戻せてよかった」
彼雁? と、呼びかけると、肉が焼ける不快な匂いが鼻腔を刺激した。怪訝に思いながら彫石は彼雁にの肩に視線を止める。
匂いの原因がわかった。
彼雁の左肩から腕が炎で焼けただれている。肩から煙立ち上り、衣服が溶けて、そこから割れた皮膚から焼け爛れた筋肉が見えている。
彫石が驚いて目を見開いた。いつ彼が酷い傷を負ったのか覚えていない。
「その傷は!?」
「大丈夫です、致命傷は避けました。それよりも大変です! 東護さんと勝木さんが洗脳されました。状況は最悪です!」
悔しそうに顔を歪める彼雁。
「何があったのか、その時の様子を教えてください」
「ウィルオウィスプに囲まれて、二人は動きを止めました。そして二人は亡くなった人の名を呼んで、心あらずの様子になりました。ウィルオウィスプは彼らを囲うように……。だから二体だけ残ってるんです。二人は死者の門をくぐった感覚します。早く連れ戻さないと」
彼雁はナビゲーターの能力がある。敵味方の現在地をリアルタイムで把握することと、味方の状態異常が把握できる。
彼の脳裏には周囲の地図浮かび、『死者の門』と書かれた穴に『洗脳進行中、東護』と『洗脳進行中、勝木』が消えていったのを感知している。
「私は、何故助かったんですか?」
「ええと、咄嗟に洗脳防御措置を展開したんですが、ウィルオウィスプに破られてしまって。三人とも失うのはマズイって焦って。彫石さんは抵抗していたので時間があったし。正気に戻そうとして、どの術が効果的か思い浮かばずに、その、咄嗟に荒治療を……すいません。頬を殴りました」
彼雁は苦笑いしながら頬を示した。
なるほど、確かに力技だと彫石は頷く。そして彼雁の腕を示す。
「その怪我は?」
「ああ。これは、東護さんの暴走した和魂が……俺を攻撃しただけです。呼びかけたのが相当鬱陶しかったんでしょうね。酸性の熱湯がかかっちゃって」
「後で東護に謝らせましょう」
「そうしてくれると胸がスッとします。で……」
彼雁がチラッと二体のウィルオウィスプに視線を止める。輝きを増しながら彼雁の最も会いたい人を映し出そうとする。
彼の会いたい人は平均寿命を全うしており、会おうという気にはならない。しっかりお別れをして受け入れたものだったから、術が効かなかったのだろう。
だが、そうではなく、突然離別を余儀なくされた人。後悔を引きづっている人には、術の効果が強いようだ。
その証拠に、彫石はウィルオウィスプに視線を向けようとするも、すぐに視線を外して苦しそうに首を左右に振っている。これでは戦えそうにない。
「死者の門から新たにアンデッドが増援されました。撤退を希望します」
「部が悪いのでそうしよう。部長に連絡を。彼雁、手当が後になりますが、我慢できますか?」
「死にたくないから我慢します」
「よし」
二人はウィルオウィスプの洗脳から逃げるべく、戦線離脱を決意した。
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