71.選び取る力
チェシーを見てから、振り返るとウィルの腕から延長されるように伸びる腕は、勢いを増していく。
魔眼のおかげで認識している映像は、ゆっくりと進んでいるように見えるものの、その速度が上がっていくのは解る。
徐々に伸びる腕が、ゆっくりと俺の目の前を通りすぎ、教会の祭壇まではまだ距離がある。
思考する時間が長く感じるものの、自分の身体もゆっくり動いているように感じる。
・・・こんなことは、初めてだ。
魔眼を使っての戦闘をこれまで繰り返して来たが、自分の動きすらも制限されているような感覚など、初めて感じる。
スロー再生された映像を見るような。
理科の資料にあった、ストロボ写真を見るような奇妙な感覚だった。
否応なく進む腕を眺めながらそんな事を考えていると、チェシーの身体まで残り数メートルと言った距離まで近づいていた。
その瞬間、俺の視界は、真っ白になった。
まるで、爺さんと戦った自分の中の世界のように白い光景。
そこには、誰もおらず、俺一人きり。
・・・なんで、今ここに来た?
疑問に思っていると、目の前に4枚のスクリーンが出てくる。
そのすべてに、先程まで戦闘を行っていた教会の内部の様子と、先程まで戦っていた男の姿が映しだされている。
一つは、俺がチェシーと伸びる腕の間に回り込み、まんまと絡み取られている。
一つは、魔力で作った盾をチェシーの前に作り出すと、魔法の腕はするりと、盾を素通りして進む。
一つは、ウィルの頭を胴体から切り離したところで、魔法の腕は関係なく進んでいく。
一つは、全力の一撃で、伸びている魔法の腕を断ち切る俺、直後に隙を見せたウィルの首を狩る姿。
映像が一通り、流れると瞬時に俺は元の場所に戻っていた。
まるで、先程まで見ていた映像の続きを見せられているように。
・・・これは・・・。
初めての出来事に、困惑する心。
荒れる心を押さえつけ、必死に考える。
・・・俺の魔眼が見せた先ならっ
ただ、最良の選択を・・・
いつも魔眼で、見えている速度に戻った途端に身体が反応した。
先程、危険だと認識し距離を取った青白い手に向かって、加速する。
・・・初めてだと、自身が持てない物だなっ。
蹴りだされた教会の床が、割れていく感覚が足の裏から伝わる。
生まれた反発力が、此処までで一番の加速を生み出す。
手に持つ魔法剣に込めた魔力は、残り少なくなった魔力の殆ど。
跳ぶようにして距離を詰め、ギリギリ剣の間合いに到達する。
「ウォラァアアアア!!」
気合と共に、下段から一気に魔法剣を斬り上げる。
殆ど全ての力を使って放たれた一撃は、教会の床、椅子、少し離れた頑丈そうな壁すらも、切り裂き、獣に食いちぎられた後のような、大きな後を残す。
振り切り過ぎた身体が、地面から離れ宙を舞う。
・・・これで・・・あいつは、崩れるはずだっ。
完全にバランスを崩し勢いのなすがままに回っている瞬間がとてもゆっくりと見えた刹那の間。
教会の中に、耳障りな声が響き渡った。
「「それは、読んでいる。」」
殆どの力を使い切り、身体の操作もままならないまま床に叩きつけられると、少し離れた場所からドサリと何かが崩れ落ちたような音が聞こえた。
微かだが、確かに、鼓膜を揺らしたその音は、俺の脳にこびりつくように響いた。
力のうまく入らない身体を何とか起こし、音のした方向に目を向ける。
そこには教会の祭壇があり、それ以外は何も無かった。
先程まで、必死に助けようとしたはずの女の姿も、それを捕らえて立たせていた女の姿も。
遠くでガラガラと何かが崩れる音が聞こえる。
先程の一撃で教会の建物でも崩れているのだろう。
目を一度こすり、重い瞼を見開いて、凝らして視ても、何も見つからない。
不安と焦りが同居したような、何が起こったのか理解したくないような気持で、立ち上がる。
不思議と静まり帰った教会の中を俺はゆっくりと歩き出した。
目的の場所、教会の祭壇。
そこにあったのは、絶対にあってはならない女の亡骸。
青白い、薄くなった肌の色。
・・・何があった?
そんな事、解っている・・・
肩口から、真直ぐに切り裂かれた胴体。
・・・誰がやった?
決まっているだろう・・・
傷口からは、内に収まっているべき臓物と大量の血。
・・・お前のした選択だ。
俺がやったのか?・・・
信じたくもない光景をただ茫然と見ていると、後ろから声がした。
「「魔眼は、こう使うのだ・・・小僧っ!」」
俺の魔眼が見せたのであろう、選択肢にこの光景は無かった。
あの腕を・・・魔法の腕とも呼べるそれを斬れさえすれば、俺の勝ちだと思っていた。
声の方に振り返ると、見えるのは若い男の顔。
両目に収まる蒼い目を光らせ、下卑た薄笑いを浮かべている。
己の勝利を確信したように。
己の欲の達成を眺めるように。
「「おぉ・・・まるで手負いの獣だな・・・いや、心折れた人形か?」」
俺の視線を見ると、目の前の男は続ける。
「「小僧・・・お前は、俺の入れ物だ・・・さっさと身体を寄越せば、その娘は死なんかったかもなぁ。」」
振るえる大気が鼓膜を揺らす。
だが、俺には目の前の男の言葉が理解できなかった。
「「しかし・・・たいして使えぬと思った魔眼も使いようだな。」」
この湧きあがって来る感情は何なのだろうか。
目の前の男の口元が動く度、緩んだ頬が吊り上がる度に、俺の心がざわついていく。
・・・そうか・・・こいつか。
考えた、いや・・・イメージした瞬間に、身体は動いていた。
左足での踏み込みも、右足での蹴りだしも。
使い切ったと思っていた魔力を集め、剣に纏める事すらも。
ただ自然に、静かに。
音もなく。
ただ、普段どおりの軌道で。
身体の動くままに。
一度捻られ、その反動を使い廻る腰。
それに連動し、動く腕。
心のざわめきとは、切り離され。
放たれた一閃。
無駄な動作がそぎ落とされ、閃き、宙に魔法剣の線を描く。
スパッ!
「「さぁ! 俺に身体を寄・・・」」
ボタリと、落ちた首は、それ以降の言葉を発しなかった。
その様子を一瞥するでもなく。
振り返り、俺は彼女に駆け寄った。
すでに動くことなどできない事は解っている。
意識などあるわけもなく。
これまで、殺して来たどの人間同じ。
肉片で、肉塊で。
どうしようもなく冷たくなった彼女を抱き寄せた。
「ああああああああああああああああああぉぉおぉぉぉおおおおぉ!!!」
揺れる視界に、震える手。
鼓膜を揺らす大音響は、俺の物なのかも上手く理解できなかった。




