62.少しの平穏
「ガハッハッハッハ! 久しぶりだな! ガレイ殿!」
肩に大斧を担ぎ、装備を着たままで修練場に現れたのは、ドワーフだった。
「おお! ダッド! 久しぶりだな!」
若い兵士に稽古をつけていたガレイが、その手を止め知人に挨拶をした。
彼としばらく打ち合っていた若い兵士は、肩で息をしているが、ガレイはそこまでではない。
軽くジョギングをした後のような、汗は出ているものの、まだまだ余裕があった。
元とは言え、人間でありながら帝国騎士までなった男と、まだ兵士になったばかりの新米では、差が出て当然だ。
斥候の結果は、エルフの伝令兵に任せることにしたガレイは、兵士達の訓練を買って出ていた。
共和国の兵士達の末路を目の当たりにしたことと、ジェフと言う男の底知れぬ強さを垣間見た彼に、今できる事は、伝令に走る事ではなく、少しでも兵士達の底上げをする事だった。
ジェフの話では、自分達を裏切り、共和国に協力した魔族・・・いや、魔法使いは生きていると言う。
であれば、その魔法使い達もジェフと同等の強さと思って間違いないだろう。
その読みを信じ、訓練する事が重要だと思っているのだ。
例え付け焼刃でも、何もできずに死ぬよりはましだと、今はそう思い込むことにしている。
「こっちの方がずいぶんと楽しそうだな!」
訓練の様子を見てか、血の気の多すぎるドワーフは、ニヤリと笑う。
定期的に、ガス抜きをしなければ維持できない側面を持つ、ドワーフの兵士は、たまにジェニムの街から近い町や村を回り、道中の魔物を斃す。
ある程度は、戦っておかないと、爆発してしまう爆弾のようなものなので、こういった処置が必要になる。
それでも、ジェニムの街に近ければ近いほど、冒険者が多くなるのも事実で、偶然魔物に出くわしたとしても、少数である事が殆んどだ。
それ故か、あまりガス抜きにならない事も多い。
そうなってしまうと、ただ無駄に兵を移動させたことになり、帝国にとっては、マイナスだ。
近いとはいえ、兵を動かせばそれだけ金がかかる。
最低限、移動にかかる日数分の食料に、野営に必要な諸々の消耗品。
行軍の訓練も兼ねている為、馬も移動させる。
そうなると、更に金がかかる。
しかし、金がかかるからと言って、悪い事ばかりではない。
必然的に、各地を回る事によって、帝国の力を誇示する。
なにより、消費が絶対に起こるので、経済面では、助かっている領民も多かった。
いわば苦肉の策として、これまで取られ続け、帝国騎士団の習慣として定着している文化も、なくてはならない物になっているのだ。
「活きが良いのが多そうだ!」
ダッドが笑顔で言うと、ガレイは、焦った顔になる。
「魔物は出なかったのか?」
「でたさ! 勿論、俺達の敵ではない!」
「まだ動き足りないってことか・・・。」
「そういうことだ!」
ニヤニヤとしたままの、ダッドは続けて若い兵士に声を掛ける。
「おい! 若いの! 次は俺が相手だ!」
「え?! あ、はい! 」
「やっぱり! 活きが良い!」
ダッドは、片手でガレイをどけると、そのままズンズン進んでいく。
彼の肩に担がれた、ギラりと光る大斧を見て、若い兵士が聞く。
「・・・あの・・・それ、真剣ですか?」
「ガハッハッハッハ! これか?! 訓練用だ!」
「ダッド! 待て! それどう見ても刃がついてるが?」
後ろになったガレイに振り返ると、ダッドは唇に人差し指を当てる。
「なぁに、当たらなきゃいいんだ!」
「・・・やめろっ!」
悪い予感が的中したガレイは、顔がみるみる青くなる。
「ガハッハッハッハ! 活きが良い若者はいい!」
「・・・クルム! 当たったら死ぬぞ!」
今の状態のダッドには、何を言っても無駄だと思ったガレイは、若い兵士に声を掛ける。
「え?! ・・・訓練用なんですよね?」
「ガハッハッハッハ! 訓練用の真剣だ!」
ダッドは、ばれたらしょうがないとでも言いたげな顔で、肯定する。
俺の斧は、斬れると。
「・・・ガレイ殿っ! 止めてもらう事は?」
驚愕の顔を隠せない若い兵士が、すがるような目でガレイを見る。
「・・・すまんが無理だ!」
「ガハッハッハッハ! そういう事だ!」
その宣言と同時にダッドは動き出した。
大柄な見た目では、身体を俊敏に動かし、若い兵士に迫る。
「ちょっ!・・・待ってっ!」
若い兵士は、手を広げ前に出しながら、慌てて静止を求める。
「待てんっ!!」
一気に打ち下ろされた、大斧は、若い兵士の足元に着地すると、ドゴンッ!と大きな音を立てる。
立ち上る砂ぼこりが、その威力の高さを表していた。
「・・・ひっ。」
死を感じさせる一撃が、身体のすぐそばを通った事を認識し、若い兵士が飛びのいた。
その様子を見て、ダッドは嬉しそうに笑う。
「ガハッハッハッハ! ケイトの奴より断然いいっ!!」
地につけた大斧を、再度担ぎ上げ、構えた。
「逃げるだけでは、終われんぞっ!!」
身体を動かせることに喜ぶドワーフの顔の奥で、自分の尊敬する元騎士が合掌している。
その光景は、この無茶苦茶な訓練がまだ続くのだと、若い兵士が理解するのに十分だった。
「ジェフさん以上にっ!!・・・厄介だ!」
習慣として、訓練中も外すことのない真剣の片手直剣を抜きながら、構えた。
「やはりっ!! ケイトなどより断然いいぞっ!!」
抜かれた剣を見て、更に元気のよくなったドワーフは、容赦ない一撃を若い兵士に向けた。
ギャリィイイイン!
金属が擦れ、火花が出る。
大斧での一撃を、何とか剣で受け流し、軌道をそらした。
「ガハッハッハッハ! 俺の一撃で、死なんとはっ!」
何をされても嬉しくて仕方のない、ドワーフは高揚したような顔を目の前の若い兵士に向けていた。
宿屋の一室。
大きめの窓はあるが、暗い雲行きのおかげで部屋の中は少し暗かった。
4人分のベットがあり、今は1つだけ使っていない。
使われていないベットには、前の使用者の持ち物が、綺麗に纏められ置かれている。
黒いローブのような外套、同じ色を基調とした防具。
短剣がしっとりとした革のホルダーに入れられ、畳まれた外套の上に置かれている。
大きめのカバンには、しばらく分の食料と野営ができる道具が一式。
それらを持てば、しばらく山に籠っても問題ないだろう。
しかし、使われずにただ置かれたまま、オブジェとなっていると、少しの寂しさを覚える。
食事の後、久々に装備の点検を行う事にした俺は、一人宿の部屋で自分の使っているベットに腰をかけ、眺めていた。
・・・短剣か・・・どう使うのかも見たことないな。
思えば、彼と過ごした時間は殆ど王国兵に捕まっている時間だった。
変身の魔法を使った彼との会話は、くだらない事が殆んどだった。
本来の姿とやらを見てからは、そんなに会話をしたような気がしない。
まぁ、大体俺が一人で魔物を狩っていたので、仕方のない事ではあるのだろうが。
彼はおそらく、チェシーの集めた魔眼持ちの中でも、強い方だったのだろう。
それを証拠に、裏切ったウィルは、ベールの存在に注意を払っていた。
使える魔法の相性が悪いとはいえ、あの場で向こうも引いたし、俺も彼に助けられた。
それ程の成熟した戦士だったのだろう。
そんなことを考えながら、自分の物を床に並べて確認する。
小さめのカバンの中身は、壊れた魔法剣の柄が2本分。
腰に巻いていたホルダーには、2本が刺さるようになっているが、今は古ぼけた柄が一本収まっている。
まだ、新調したばかりだった防具は、肩口からずっぱりと斬られてしまっていて、ギリギリ着れる程度。
インナーと白っぽい外套も、同じように切れていた。
酷いのは、上半身だけで、下半身の汚れは酷いが、洗えば問題ない程度だろう。
後は、買っておいた食料が1日分。
財布の中身は無し。
・・・できれば直しておきたいが。
金がないでは、装備も直せない。
中でも魔法剣の柄は、こっちの大陸では無理だろう。
しかし、いつでも戦える準備をしておく方がいいのは確かだ。
魔術ギルドの通信の道具を考えると、どこでどういった情報が回っているかわからない。
今のところは、この町で生活できているが、いつ追い掛け回されても良いようにしておく必要がある。
・・・今更、逃げる気も、隠す気もないんだけどな。
「・・・はぁ。」
自分一人で考えているのに、矛盾した事に気が付き、ため息が出た。
・・・あまり使いたくない手ではあるが・・・ガレイかな。
どうしたものかと、うんうん唸っているとガチャリッとドアが開く音が後ろから聞こえた。
「戻ったよー。」
間延びした声の持ち主は、部屋に入るなり俺に言ってくる。
「・・・裸でなにしてんの?」
後ろを向くとアーネットが信じられない物を見ているよな目でこっちを見ていた。
「装備の確認だが?」
「なんで裸に?・・・まさかっ!」
目をぐるぐると回しながら、普段は白い肌の彼女の顔がだんだん赤くなっていく。
「・・・だから、装備の確認だが?」
「装備・・・装備ね、ふーん・・そっ、そんなにたまらないなら、私、今日はお酒飲みに行くからっ!」
「はぁ?・・・お前なんか勘違いしてるぞ?」
「いやいやいや、そうよね・・・うん、まだ若いんだしっ・・・2人は仲いいものねっ。」
真っ赤になったエルフは、そのまま回れ右すると、ピューっと音を出してまた出ていった。
「・・・今戻ったんじゃないのかよ。」
慌ただしく出ていく物音は、バタバタと聞こえた。
その音が収まると、すぐにまたドアが音を立てて開いた。
「戻ったわ。」
チェシーが言いながら普通に部屋に入ってくる。
そのまま俺の真横にあるベットに腰を掛けた。
「・・・装備の点検?」
「ああ・・・。」
引き続き、斬れてしまった防具の具合やら、汚れはどうして落とそうかなど、広げた装備を眺めながら考えていた。
「さっきアーネットがすごい顔して走って行ったけど・・・君、何かしたの?」
「何もしてないが?」
「そう? 昼から裸の野獣でもいたような雰囲気だったけど?」
チェシーを見ると、いたずらっぽい顔をしていた。
「はぁ? パンツは履いてるだろ。」
「・・・君ってもしかして、見せたがり?」
頭痛のしそうな言葉に、俺は額の辺りを抑えながら言った。
「・・・どうしてそうなった。」
「エルフも変態は怖いのね・・・。」
「・・・まてまて・・・俺が変態だって言いたいのか?」
「あら?・・・違うの?」
俺は立ち上がると、まだ目を細め、じっと見てくる彼女にゆっくりと近づいていく。
「・・・そんな風に見えるか?」
「変態そのものじゃない。」
「どこが?」
彼女の目の前で立ったまま、聞くとチェシーは、俺の身体についた、大きな傷を指でなぞり始めた。
「・・・この辺とか。」
最近できてしまった、大きな傷は、エルフの魔法でも直せなかった物だ。
見た目は、痛々しいが痛みはない。
傷跡の代わりに、少し敏感になった感覚は、ぞくぞくと背中に鳥肌を立てた。
「・・・はぁ、そうかよ。」
「そうね。」
・・・そんな目を向けられても正直困るんだが・・・。
少し潤んだような目で見てくるチェシーは、とても魅力的に見えた。
だが、俺の心持ちとしては、いかんせんタイミングが悪い。
俺のせいで彼女は、死にかけている。
それが事実として、俺の心にのしかかる。
「・・・。」
何も言えず、俺は振り返り、まだ汚い装備を着始めた。
「・・・着ちゃうんだ。」
「・・・。」
今度も彼女の言葉に、何も言えなかった。
そのまま、無理やり装備を身に付ける。
「・・・少し、飲んでくる。」
肩越しに、そう言った俺の腰あたりを、ギュッと掴む手があった。
「・・・一人に・・・しないで。」
そう言った彼女の目は、潤んで滲んでいた。
また俺は、彼女にこんな顔をさせてしまったのかと、後悔した。
「・・・わかった。」
そう言う事しか、今の俺にはできなかった。




