55.呼びかけ
「チェシー! しっかりしてっ!」
アーネットは、傷口を抑えながら必死で呼びかける。
血を流し、衰弱するチェシーは、ぐったりと彼女の膝に寄りかかっている。
「お嬢様っ!」
声と共に、部屋のドアがバタンッ!と大きな音を立てて開けられた。
アーネットが首だけで振り返ると、そこには息を着させたベールが立っていた。
ベールは、部屋に入るなりチェシーに駆け寄る。
「・・・これは・・・代わります。」
アーネットが手をどけると、ベールが代わりに傷口を抑える。
アーネットがベールを見上げると、彼はすでに魔眼を発動し、目を紅く染めていた。
「・・・ベール。」
「これから起こる事は・・・他言無用でお願いしたい。」
ベールは、アーネットに真剣な面持ちで一瞥する。
「・・・わかったわ。」
彼の気迫に押されるように、アーネットは彼の願いを聞き入れた。
ベールは、その返事に軽くうなずくと、チェシーへと視線を落とす。
「・・・魔眼とは、特別なものです・・・中でも私の魔眼は。」
傷口に当てていた手をゆっくりと放していく。
そこにあったはずの、大きな切り傷は、すでに綺麗に塞がっていた。
「・・・変身の神髄とは・・・相手の感覚を誤認させる事。」
今度は、チェシーの目を覆うように、手の平を当てる。
「・・・私のすべてを使い・・・死すらも誤認させてみせよう。」
ボンッ!
音と共に、3人は白い煙に包まれた。
アーネットには、何が起きたのかも分からなかった。
しばらくすると、煙が収まり隣にいたはずの、ベールが姿を消していた。
「・・・ベール?」
アーネットがわけも解らず、声をかける。
だが、それに応える者はいなかった。
膝の上で抱えたチェシーは、先程までとは違い、寝ているように呼吸をしていた。
徐々に、体温を取り戻していく彼女を抱え上げると、そのままベットへ移した。
「おい、ジェフ!起きろっ!飯だぞっ。」
かつての仲間の声が聞こえた気がした。
やたらと重い身体を起こし、瞼を開くとロイが俺を見下ろしていた。
「ほらっ言った通り起きただろ?」
クリストフの声が聞こえ、左を向く。
そこには、手を頭の後ろに回し、笑顔のクリストフがそこに立っていた。
「・・・むーん、伊達に長く過ごしていないのである。」
今度は、右側からガッツの声が聞こえた。
両腕を胸の前で組み、落ち着いた表情だった。
「・・・ほらっ」
ロイが俺に手を出して来た。
その手を掴もうとしたが、躊躇する。
「・・・ロイ・・・俺は・・・。」
ロイの顔を見上げると、困ったような、優しいような表情だった。
「ほらっ・・・。」
ロイはそのまま、俺に手を取るように促した。
その手を掴み、立ち上がる。
辺りを見回すと、そこは真っ白な部屋のままだった。
爺さんが、俺の中だと言っていた場所だ。
「・・・それが、元いた世界の恰好か?」
「え?」
視線を落とし、自分の着ている服を見ると、見覚えのある黒いスーツを着ていた。
手の平にびっちりとできていた剣ダコもなく、裾をまくると白く細い腕が付いていた。
「・・・似合わないな。」
ロイが、笑いながらそう言った。
「あーわかるっ、俺もそう思ってた!」
「・・・ジェフにしては、ひ弱そうである。」
ロイの言葉に、クリストフとガッツも、いつものように声を掛けて来た。
「ロイ、ガッツ、クリストフ・・・俺は、お前らを・・・。」
「今は、やめておこう・・・。」
言いかけた時、ロイに止められた。
「・・・あの時は、俺達も止まれなかった。」
「だが・・・しかし・・・」
頭を横に振りながら、抱えてしまった。
ガシッと俺の右肩を掴む懐かしい感覚があった。
「・・・大丈夫である。」
ガッツが優しく、笑顔で言った。
「・・・負けるの解ってても、仕掛けたのはロイだしねぇ。」
クリストフは、軽くニヤニヤと笑いながら言った。
「おいっ!・・・」
ロイが、クリストフに文句を言いたげな顔を向けている。
そこには、もう二度と見る事はないと思っていた、懐かしい光景があった。
「・・・俺は・・・死んだのか?」
「いや?・・・生きている。」
俺の問に、ロイが応えた。
「まっ、俺達は死んでるけどねー。」
クリストフが軽く言った。
「・・・すまない。」
俺は彼の言葉に、また下を向いてしまった。
「もう終わった事である。」
ガッツの声が優しそうだった。
「・・・まぁ・・・身体を奪われたままでは、ジェフも死んだようなもんだな。」
ロイが、冷静な声で事実を告げる。
その言葉に、俺は顔を上げた。
そこには、ロイの真剣な表情があった。
「・・・大丈夫だよ・・・お前なら取り戻せる。」
よほど心配そうな顔をしていたのか、ロイが笑顔で俺に言った。
「なんたって、ジェフだ・・・俺達の誰より強い。」
そう言いながら、ロイは右手で拳を作り、俺の方に向けて来た。
それに合わせるように、クリストフとガッツも拳を出した。
・・・そう言えば・・・。
右手が動く事を確認し、顔の前で何度か、開いたり閉じたりを繰り返した。
「・・・来いよ!・・・ジェフ!」
ロイが笑顔で言ってくる。
恐る恐る、俺は右拳を3人に合わせる。
「・・・受け取れ!・・・ジェフ!・・・微力だが役に立つことを願うよ。」
その男は、突然現れた。
一方的な勝利の後、更に戦果を挙げようと、意気揚々と言った心持で、行軍をはじめしばらく時間が経った時だった。
青黒い髪に、青白い目を輝かせ、黒い外套に身を包んだ男が、突然現れエルフの軍はその歩を止めた。
「・・・まさか・・・そっちから来るとはな。」
「ヒャハハハハッ! こいつぁいい! おい、お嬢はどこにいるんだよ?」
軍の先頭を進んでいた、黒いローブを着た魔法使い達は、その男を知っているらしい。
「・・・殺した。」
青黒い髪の男は、冷徹に・・・静かに言った。
「ヒャハハハハッ! お嬢っ! 人望ねぇっ!」
「えぇーー、どんな顔して死ぬのか楽しみだったのにぃー。」
顔を隠した男は、その言葉に喜び、女の方は残念そうな声を出す。
「・・・お嬢を裏切って、俺達に何の用だ?」
ウィルが、立ちはだかる男に聞いた。
「・・・剣聖。」
立ちはだかる男は、短く、静かに応えた。
「・・・つまりは俺に用があるという事か。」
ウィルは、馬から降りると、立ちはだかる男へ向かってゆっくりと歩を進める。
その目は、徐々に蒼い光を放っていく。
「・・・フッ・・・お前程度が剣聖?」
男の言葉に、ウィルは怒気を露わにする。
「・・・また英雄気どりか?!・・・貴様が生きているのは、ベール殿のおかげだ!」
「ハハハハハハッ!」
ウィルの言葉に、男は嗤う。
そして両手を広げる。
右手には、刀身のない剣の柄だけが握られていた。
「・・・なにがおかしい?」
ウィルは、言いながら目の前の男と同じように、刀身のない剣の柄を抜いた。
すぐに、碧い直剣が姿を現す。
「・・・本物の剣聖を見せてやろう!」
言いながら、ウィルの方を向いたその男は、不敵な笑みを浮かべていた。
ギラリと青白い光が、その両目から放たれる。




