54.血だまりの中で
いったい何時間、続けただろうか。
俺の中だと言う白い世界で、俺と爺さんは、かつて生活を共にしていた頃のように激しく打ち合っている。
怪我と言える程ではないが、細かい切り傷を俺の身体に刻みながら、目の前の爺さんは笑っていた。
・・・死んでりゃ疲れもしないってか。
俺は、息が上がり肩で呼吸をしているが、爺さんは、ただ平然とそこに立っている。
右腕に持った魔法剣を身体で隠すように持ち、俺の行動を見極めるように青白い目が光っていた。
その姿は、一分の隙もなく、ただ立っているのに、俺の攻撃は当たる気がしない。
「・・・経験の差かのぅ。」
「はぁ、はぁ、はぁ・・・。」
呼吸が荒くなり、碌に話すこともできない俺に、打ちかかりながら爺さんが話した。
「見えているモノから隙を探しても無駄じゃよ・・・。」
疲労した身体で、何とか躱し、反撃する。
しかし、俺の一撃はしっかりと受け止められてしまった。
「・・・何の為に、魔眼を使っておる。」
鍔迫り合いのような形になった途端に、爺さんの空いた拳が俺の腹に突き刺さった。
身体がくの字に折れると、左手ごと魔法剣をはじかれ、側頭部に蹴りを食らう。
「・・・これでは、右腕は戻せんのぅ。」
数メートルすっ飛ばされ、倒れた俺に爺さんが言った。
「それに・・・小僧には、剣聖の名は重荷のようだのぅ。」
ふらつく頭を何度か振り、膝を立ててから立ち上がる。
「・・・それを俺に押し付けたのは・・・あんただろっ。」
まだ目の前は、ふらついているが、何とか立っているという状態だった。
「・・・ふむ・・・ならばその身体・・・わしが使おう。」
「はぁ?」
「なに・・・小僧があの娘に幽閉された時と同じじゃよ・・・。」
一瞬、爺さんが何を言っているのかわからなかった。
「小僧・・・世界を渡ったお前の身体・・いや、魔眼は特別じゃ。」
「・・・いったい・・・何を?」
俺に魔法剣の剣先を向けながら、爺さんが続ける。
「・・・どうせ小僧では、満足に使えぬ魔眼だ・・・わしが使ってやる。」
爺さんの蒼く澄んだその目は、真剣そのものだった。
「どうせ大した目的もないのだ・・・生き残るという意味では、わしが使った方が有意義だのぅ。」
「・・・安い挑発を・・・。」
「挑発?・・・これは重症だのぅ・・・まだわしが小僧を育てた意味を考えんとは・・・。」
俺の言葉に、爺さんが重ねるように言った。
「剣聖ジェフ・ジークの名を・・・まさか偶然で名乗っていたと思っていたのか?」
その声と共に、爺さんだった男の姿が、黒い靄に包まれた。
「・・・これが、本来の姿だ。」
冷たい、重厚な声が響く。
爺さんのモノとは思えない声色だった。
靄が晴れると、そこには深い紫色の短髪と同じ色の目を持つ男が立っていた。
黒で統一された装備、すべてが金属製の全身鎧だったが、薄く黄緑色に輝いている。
その容姿は、どこかチェシーを思い出させた。
「・・・さて、身体を貰おうか。」
深い紫色の目が、徐々に青白い光を放つ。
その色は何度も見た。
間違いなく、爺さんのと同じ色だった。
「ぐぅあっ!!」
突然、動かなかった俺の右肩から先が、無くなり激痛が走った。
左手で握っていた、魔法剣を落としてしまい、ガランッと音を立てて消えた。
鋭利な何かで切り取られたように、その断面は、真っ赤に染まる。
反射的に、左手で傷口を抑えたが、ただ痛みが増しただけだった。
「あああぁああああぁあぁぁ!!」
痛みが激しく、立っていられず、辺りを転げまわった。
「心配するな・・・身体なら、俺がうまく使ってやる。」
何とか頭だけで見上げると、紫色の髪の男の右腕に俺の腕が付いていた。
そこだけが、俺の腕になり、全体を見るとかなり歪だ。
「・・・なに、お前の大事な娘は、すぐに送ってやるさ。」
奇声を上げる俺を見下ろしながら、言うその男の言葉は、酷く冷たく、重厚さを感じさせた。
「なにせ此処は、お前の中だ・・・この身体で殺してしまえば、現れるだろう。」
俺を見下ろす男の姿は、徐々に変わっていく。
右腕から、胴体、右足、左足、左腕・・・徐々に鏡で見るかのように俺の身体になっていく。
激痛と共に、見せられたそいつの姿は、完全に俺の顔になっていた。
「ずいぶんとうなされていたみたいだけど・・・大丈夫?」
「・・・問題ない。」
「そう?・・・君は、たまにそうなるわよねぇ。」
チェシーが起こしに来て、心配そうな顔を向けている。
「・・・俺の剣、持っているか?」
「え? あぁ・・・そういえば、君は武器を壊しちゃったのよねぇ・・・しかたない。」
チェシーがそう言いながら、腰の後ろ辺りに手を回し、刀身のない剣の柄を出した。
「柄なんて無くてもいいんじゃなかったの?」
「・・・あった方が、戦いやすい事は事実だ。」
柄を受け取り、左手で握ると確かめるように、手首を動かし八の字を描く。
「ふーん・・・まぁいいわ。 迎えも来たみたいだし、君も準備しなさい。」
いつも通りの口調だが、チェシーの声色はどこか優しい。
何かいい事でもあったのか、刺々しさが無かった。
部屋のドアに振り返った、チェシーに後ろから声を掛ける。
「・・・準備は、済んだ。」
「え?」
ドスッ!
音と共に、握られた魔法剣の柄には、黄緑色の曲刀があり、振り返ろうとした彼女の胸を貫通させる。
「・・・え・・・なん・・・で?」
突き立てられた魔法剣の柄を持つ手にチェシーは、弱々しい力で掴む。
「・・・俺の為だよ。」
冷徹で重厚な声が静かに告げた。
「剣聖とは・・・俺の名だ。」
チェシーの瞳に映る目は、青白く光を放っていた。
「チェシー、ジェフー? まだー?」
中々来ない仲間の名前を呼びながら、アーネットは滞在していた部屋をノックする。
あの2人は、まぁ色々な意味で仲がいいし、気を使うべきかとも思ったが、今は一緒に行く予定の帝国兵達も外で待っている。
そろそろ、しびれを切らしかねないので、ベールを置いて呼びに来た。
コンコン!と軽く叩いても中から返事がない。
「・・・寝ちゃったのーー? はいるよー?」
一応声を掛けてから、ドアを開けた。
そこには、見知った紫色の髪の女性が床に倒れ、辺りは赤黒く染まっていた。
「チェシー!!!」
驚きと共に、大声が出た。
急いで駆け寄り、肩の辺りを叩く。
「ジェフ!! いるんでしょ?!」
もう一人の仲間の名を呼んでも返事がない。
部屋の中を見回すと、2人分のカバンがチェシーの使っていたベットの上にある。
装備も姿も見えず、見覚えのある白い外套だけが、カバンの当たりに乱雑に放置されていた。
外に向かって聞こえるように、叫ぶ。
「ベール! すぐに来て! チェシーが!」
アーネットは、すぐにチェシーの上半身を抱きかかえ、治療の魔法を使った。
「・・・下手だけどっ、我慢してねっ!」
膝のあたりは、すっかりと彼女の血で汚れたが、そんなことは関係なかった。




