だいきらいな勇者様
わぁああ、と歓声が沸き起こる。
勇者様、勇者様、と無邪気な子どもの声が、拝むような老人の声が、熱狂する若者の声が、大地を揺るがさんばかりに鳴り響く。
それらに応えて大きく手を振るのは、煌びやかな鎧に身を包み、金の光をうっすらと纏う剣を腰に刷いた青年。歓声に応じる青年の姿に、歓声は一層高まった。
勇者の凱旋。一生に1度の、奇跡の体現者。
それを目の当たりにして熱狂する人々を、文字通りのお祭り騒ぎを、リンは冷めた目で眺める。誰にも届かない声で、呟いた。
「……勇者なんて、大嫌い」
そう言って、少女は榛色の瞳を伏せた。
***
勇者。
その輝かしい2つ名は、真っ赤な髪をたなびかせ、エメラルドの瞳を輝かせる青年が冠している。
光の祝福を得た聖剣の一振りはあらゆる魔物を紙切れのように引き裂き、明朗たる声で紡がれる呪文は、ドラゴンブレスすらも凌ぐ大魔法と化す。
そんな奇跡を体現した勇者は、この世界にとってまさに救世主だった。
戦争が長らく続いたこの世界は人々の心が荒れ荒み、負の感情が渦巻いた。負の感情と死という淀みは世界中のあちこちに生み出され、いつしかそこから魔物が湧き出すようになる。
魔物は人だけを襲い、人だけを喰らう。多くの人が、魔物に命を奪われた。
それでも戦は止まらない。
民が魔物の危険に晒されても、自国の利権獲得のために徴兵をやめない国に対して、人々の不満は募る。そうして負の感情は悪循環を始め、ますます魔物が増えていく。
やがて、魔王を名乗る存在が、人類を滅亡させんと立ち上がった。
人類の数は、みるみるうちに減っていく。魔物の中には、病魔を撒き散らすものもいたのだ。体力のない老人子どもが次々に倒れて、助けようと薬を求めて街へ出た親は魔物に食われる。
まさに地獄の相様となり、人々が希望を喪いかけた、その時──勇者が、立った。
光り輝く剣をかざし、魔物を消し飛ばす。朗々と通る声が呪文を唱え、病魔の基となる穢れが浄化される。
奇跡のようなその光景に、人々は涙し、跪いて祈った。まさしく彼は、神が遣わしたもうた、勇者だと。
そうして勇者は、たった数人の仲間を連れて、世界中を飛び回って魔物と戦い、魔王を倒す為の旅を始めた。世界の明確な敵と味方を得た国々は、いつしか、争いをやめて一心に勇者へと手を貸した。
そして、勇者が立って、5年──魔王が、斃された。
勇者は、まさしく、世界の救世主となったのだった。
***
「勇者様、かっこよかったな!」
「すごくかっこよかった! ぴかぴかしてた!」
それは彼の装備だ、とリンは内心で吐き捨てた。興奮気味に語り合うちいさな子ども達に罪は無い。彼らが生まれた時には、勇者は既に勇者だったのだから。
勇者は今、リンが生まれ育った村に滞在している。魔王なき今、復興へと向かう人々を励ますために、勇者はこれまで回ってきた各地を訪問する旅をしているのだ。
魔王を斃した後も、人類の希望で在り続ける勇者に、人々は心から賛頌した。彼の心は、まさしく聖人。力だけでなく心までも素晴らしい御方だと。
そんな声を聞く度に、リンは手に持つものを投げ捨てたくなる。
けれど今リンが持つ食べ物も、少し前まで収穫することも叶わなかった。大地は汚され、木々は腐り落ち、作物は全て枯れた。食糧はほんの限られたものしか無くて、だからとても高くて。裕福な貴族の買い占めもあり、人々はいつも飢餓の苦しみと、餓死の恐怖と戦っていた。
けれど、勇者が訪れて、魔物を斃して。浄化の魔法で大地を元通りにしてくれた。だからリンのような両親もいない村人でも、こうして食べ物を買い、この後の食事にありつける。
リンが今生きているのは、勇者のお陰。──それでも。
きゃあっ、と黄色い声が上がる。リンが顔を上げると、若い女性の視線が1点に固定されていた。視線の先など確認しなくても分かる。勇者が、こちらへ向かっているのだろう。
「格好いい」
「素敵」
「隣にいるのは、教会の聖女様?」
「きっとそうよ。あの美しい金の御髪、白い衣装は聖女様の証だもん」
「2人が恋仲って本当かなあ」
「私はこの国の王女様と結婚するって聞いたよ」
熱に浮かされた声で語り合う少女達。勇者は21歳。まさに結婚適齢期であり、誰がかの勇者の横に立つのかと様々な憶測が飛び交っている。中でも有力なのが、今も上がった教会の聖女と、この国の王女。奇跡の力で病を怪我を癒し、王家にだけ継がれる魔法で魔物を圧倒する2人は、勇者の旅の仲間だ。
そのうち、聖女様を今日は連れ歩いているらしい。素敵だの、似合いのお二人だのと好き勝手言う彼女達の声に背を向けて、リンは足早にその場を去った。
***
井戸水を桶でくみ出し、水場に移動する。持ってきた衣類を桶に入れて、水で優しく押し洗いする。
ふんだんに綺麗な水を扱えることすら、つい半年前まで厳しくて。泥水で洗うしかなくて、お気に入りの服を駄目にしたと嘆く女性は少なくなかった。
今は、水を沸騰させなくても飲めるし、洗い物や身体を流すのに水を使っても咎められない。そんな当たり前の1つ1つが、勇者のもたらしてくれたもので。
「……ふん」
鼻を鳴らして、リンは衣服を桶から取り出した。緩く絞って、籠に畳んだ状態で重ねて入れる。後は家に戻って洗濯物を干すだけだ。籠を背負って歩き出そうとしたリンは、ざわりと空気が揺れるのを感じて、顔を上げる。
勇者が、そこにいた。
「……」
「……」
いつも連れている王女も巫女もいない。隣にいるのは、勇者が勇者になった初期、剣を教えたという男か。赤銅色の肌をした男は、勇者の半歩後ろに下がって、まるで従者のようだ。見ているだけでリンは気分が悪くなった。
「……」
本当なら、ここは勇者様に感謝の言葉を捧げて、叩頭すべき場面だろう。全ての人々が、喜んでそうするように。
けれど今、リンは濡れて重い洗濯物を背負っているのだ。叩頭なんてすれば、背中がびしょ濡れになってしまう。そこまでして勇者に跪くなんて冗談じゃない。
それでも一応軽く頭を下げて、リンはふいと横を向いて歩き出した。見知らぬ他人と擦れ違った時そのままの対応をするリンの背中に、勇者が声をかける。
「リン。おれだよ」
誰かが息を呑むのが聞こえた。勇者が、神にも等しい存在が、みすぼらしい村娘に声をかけたことに、そんなに驚くか。リンはうんざりした気分で足を止め、振り返った。
「誰」
勇者が言葉を失う。周囲がにわかに色めき立った。
「この……っ」
「誰に向かって!」
「やめて」
リンに向きそうになった敵意は、勇者の一言で霧散した。まるで洗脳だな、と冷めた感想を抱きながら、リンは構わず続ける。
「私は、勇者なんか知らないわ」
「っ、リン……」
「私、勇者が嫌いなの」
金の鎧を、輝く聖剣を、煌びやかな服を眺めながらそう言って、リンは今度こそ顔を前に戻して歩き出した。
「私の知り合いに、勇者なんていないわ。そんな姿で、私の前に立たないで頂戴」
そう吐き捨てて、リンはその場を去った。洗濯物の水気が、背中に染み込んで冷たい。
***
あれからリンは直ぐに村長に呼び出され、激しく叱咤された。
「勇者様になんて口を聞くんだ! 我が村の復興を見捨てられたらどうする!?」
「お前の命は誰に救われた!? 勇者様だろうが!」
怒鳴られ、頬を打たれ、それでもリンはそっぽを向いて。無言のままでいるリンに音を上げて村長が解放したのは、もう日も沈もうとする時間だった。
やっぱり、勇者なんて嫌いだ。
食事を作る為に火をおこすにも、洗濯物を取り込むにも、日が暮れてから外へ出るのは若い娘には危険すぎる。魔物が消えたとは言え、まだまだ不安定なこの世界には、ならず者が多くいるのだ。
そんなならず者にリンがならなかったのは、勇者がこの世界を救ってくれたからだけれど、だからどうした。その勇者のせいで、今リンは食いっぱぐれたし、折角洗った洗濯物が夜気を含んで湿ってしまう。また、明日、洗いに行かなければならない。
「勇者なんて、大嫌い」
小さな声で吐き捨てて、リンは家の門を開けた。死んだ両親が残してくれた平屋は、リンが懸命に手入れしたから、何とか昔のままの姿を保っている。
さて、保存食だけでも口にするか……とリンが台所に向かおうとした時、コツン、と広間の窓が音を立てた。
「…………」
ぎゅっと、手を握りしめた。リンは、リンが待ち侘びたその音が、もう1度コツン、と聞こえる。
窓に掛けよって、勢いよく開ける。顔を突き出すと、下から笑みを含んだ声が聞こえてきた。
「外にいる人を吹っ飛ばしそうなその開け方、直せって言ったじゃん」
窓の枠の下、壁に背を預けて座るのは、生成りのシャツに作業ズボンをはいた男の子。赤い髪が暗闇でもはっきりと見て取れる。
その姿を見た瞬間、リンは、窓枠にしがみつくようにもたれた。脚が震えて、へたり込んで、こいつの姿を見失うのはいやだったから。
「……おそい」
「……ごめん」
「おそい。おそすぎる。……罰として、あっちに干してる洗濯物、持って来い」
「はいはい」
笑みを含んだ声が応じて、男の子が立ち上がる。物干しの位置なんて、こいつはとっくに把握している。悪戯をしてはリンの母親に怒られて、リンと一緒に洗濯物を干したり片付けたり、何度も家事をやらされた。
だから、リンに物干しの場所を確認しようともせず歩き出そうとした男の子は、くいと背中を引っ張られて足を止めた。建物を腕の一振りで吹き飛ばせるような魔物の攻撃をやすやすといなせる男の子は、けれど、指先でつまむように服を掴む少女の力には、抗えない。
「…………おかえり、レオ」
消え入りそうな声に、男の子の顔がほころんだ。
「ただいま、リン」
勇者として旅立ち、5年間1度も帰ってこれなかった幼馴染みを、リンはようやく迎えてやることが出来た。
***
「……おじさんとおばさん、亡くなったんだってな」
「うん。2年前に」
魔物の侵攻が一時期勇者を苦しめていた。知性を持った魔物が、魔物を従えて軍として人間を襲ったからだ。新たな戦闘スタイルに勇者が手こずっている時、リンの家族は死んだ。
リンの両親は、織物を売る仕事をしていた。どんな状況下でも、衣類は必要とされるのだと言って、両親は織物を作り、街に売りに行っていた。道中は必ず、指定された時間帯に、騎士団の護衛付きで安全に移動していた両親が死んだのは、街そのものを襲われ、全滅したのだ。
「あの時か……」
その地獄を、きっとリンよりもありありと目の当たりにしてきたレオは、それだけ言って溜息をついた。相変わらず窓の外で壁に背を預けて座ったまま、頭上のリンと会話をしている。
「その後は、織物作って生活してたんだな?」
「そう」
「村長の家、扉の飾り布変わってたよな。あれ、リンが?」
「そうよ」
「すげー綺麗だった。流石」
他愛のない会話をして、リンの近況を聞いて。レオは、自分の事なんて1つも語らずに、リンがこの5年間何を見て、聞いて、どんな生活を送っていたのかを知りたがった。
「当たり前。私はレオと違って、ずっと母さんの手伝いしてたもの」
「ははっ、そうだな」
「……おじさんたちは?」
「会ったよ、一応」
「……」
「聖母扱いされて、めちゃくちゃ居心地悪そうだった。周囲が拝むもんだから、2人とも恐縮しきってさ」
「……目に浮かぶよ」
慎ましくも村人らしい豪快さで生活していた2人が、突然崇め奉られておろおろするのが目に浮かぶ。そんな2人と、家族水入らずで過ごす事は、叶わなかったのか。
「ねえ、レオ」
「うん?」
「……また、行っちゃうの?」
「……そうだな」
リンの問いかけに、レオは苦い笑みを滲ませて答えた。
「勇者は世界中で必要とされていて、勇者は人類に希望を与えるのが仕事だから」
「いつまで?」
「……」
「いつまで、必要とされるの?」
リンの問いかけに、直ぐには答えが返ってこなかった。とうに真っ暗になった外で地べたに直接座り込んだまま、レオはぽつりと答える。
「勇者はさ、魔王を斃してお終いじゃないんだ」
「……」
「勇者は死ぬまで、勇者なんだ」
空気に溶けるようなレオの言葉に、リンは固く目を閉じた。
ああ、本当に。
「……勇者なんて、大嫌い」
長く長く、沈黙して。レオはぽつりと言った。
「うん。俺も嫌い」
リンが目を開けると、レオは悪戯が見つかって母親に叱られる時の顔で、笑った。
「ありがとう、リン」
***
勇者様、勇者様と人々が騒ぐ度に、リンは思う。
人々が夢想するような勇者なんているわけがないだろう。人々のために戦って、人々の幸せが自分の幸せで、その為に命をかけられる、そんなの人間じゃないし、勇者を神の遣いだと言い訳したって無理がある。
だって、「勇者」は、ただのクソガキだ。人よりちょっと運動神経が良くて、でもその分ガキ大将で。リンのスカートを捲っては、毛糸玉を投げつけられて逃げ回るような、そんなどこにでもいる子どもだ。
甘いものが好きで、野菜が嫌いで、友達と追いかけっこをするのが1番大好きで、お手伝いが大嫌いな、元気溢れるただの子供だ。
父親に少しは家の仕事を手伝えと怒鳴られ、母親に泥だらけの服を見つかって拳骨を落とされ、それでも懲りずに悪戯を考えるレオの面倒を見るのは、リンの仕事だった。両親の仕事が外に出るものだったから、互いの家に預けられ合いながら、2人は兄妹のように育ったのだ。
そんな、1つ上のレオが、突然いなくなった。
レオは神様に選ばれた勇者様なんだと、魔王を倒す為に戦わなければならないのだと、その為に旅に出たのだと、両親から告げられた。意味が分からなかった。
だってあいつはただのガキで、戦いなんて何にも知らなくて。たった数日前、リンと冒険と称して突撃した森の中で、きらきらと綺麗に輝く剣を、おれたちの宝物だと笑い合いながら引き抜いたばっかりで。
だから、そんな、勇者の証だなんて、しらなくて。
……自分が言いだした冒険のせいで、レオが勇者になってしまった、だなんて。
悪い、冗談のようだったのだ。
***
──明日の祝福は、ちゃんとやれよ。国のお偉いさんが来るから、今日みたいな感じだと、殺されっぞ。
そう言って、レオはどこかへ去っていった。泊まっていけば、というリンの昔のままの誘いに、レオは薄く笑って首を横に振る。
──出来るなら、おれもそうしたいんだけど、な。
その言葉に、リンはますます勇者が嫌いになった。
***
明くる日の早朝。全ての村人が各々の家の前で跪き、勇者を今か今かと待っていた。
勇者が家を1つ1つ周り、人々が勇者へ祈りの言葉を、勇者が人々へ祝福の言葉を。そうして希望を分け与える、という「儀式」が執り行われて、勇者の訪問は終了となる。
リンは冷め切った気分で、家の前に佇んでいた。儀式というのは、神殿の仕事じゃないのか。折角着いてきている聖女はお飾りだとでもいいたいのだろうか。ばかばかしい。
歓声が次第に近付いてくる。レオの警告に従うなら、そろそろ跪いて到着を待つべきなのだろう。けれどリンは、真っ直ぐ地に両足を付けて立ったまま、顔を上げて勇者の来訪を待った。
やがて、太陽が真上に近付いた頃。
歓声が直ぐ側まで来たなと思ったら、足音が聞こえてきた。幾重にも響く物々しい足音に顔を向ければ、騎士隊と、いかめしい顔をした文官らしき人達、さらに勇者の旅のパーティが勢揃いで歩いてきていた。勇者は中心で、一際煌びやかにみえる。リンは、思わず顔を顰めた。
リンの家の周囲は、少し人気が少ない。だから、彼らがリンの家へと真っ直ぐ向かっているのは自明であり、彼らがリンを見とがめるのも当然の流れで。
ぐっと表情が強張るのは、騎士隊と文官。視線だけで射殺しそうな彼らの気迫にびくりと肩が震えたけれど、リンはぐっと歯を食いしばって耐えた。
だって、リンは勇者が嫌いだ。
何で嫌いな勇者に、頭を垂れなければならない。勇者を祭りあげた人々に、膝を付かなければならない。大嫌いなものばかりなのに、何を感謝しろというのだ。
役人も騎士も嫌いだ。あいつ等が戦争を長々と続けていたせいで魔物が生まれて世界が滅びかけたのに、いざ勇者が旅を始めた途端に、挙って戦争そっちのけで勇者に手を貸し始めた。勇者がもたらす恩恵を、権力を、我が物にしようと媚びへつらった。
王女を付けたり、聖女を付けたり、目的はあからさまに、辺境の村出身の初心な青年を騙して絡め取ろうとして。そうして、勇者の威光をあたかも我が物のように扱って、勇者が魔王を斃してくれた後も、こうして利用し尽くすような連中だ。自分達の所行を棚に上げてさも正義の味方面をする彼らには、反吐が出る。
彼らがいるからこそ、リンは勇者が大嫌いだ。
そう思って、睨み返そうとして──ふと、リンは勇者の顔が目に入ってしまった。
リンを見て、静かに目を細めて。穏やかに、哀しげに、優しく笑うその顔に、リンは泣きそうになった。
違う。勇者なんて知らない。こんな顔をして笑うその表情も、すっかり声変わりして低い声も、逞しい腕も、リンは何一つ知らないのだ。
ああ、ああ、本当に。
ぐっと目を閉じて、涙を堪えて。きっと顔を上げたリンは、リンの目の前に来て佇む勇者に、静かに膝を折った。腹と喉に力を込めて、震えそうになる声を押し出す。
「勇者様の勝利に感謝を。平和を、ありがとうございます」
レオが、リンの生活を救ってくれた。レオが、リンが生き延びる為の世界を救ってくれた。本当に、本当に感謝している。
でも、勇者も、勇者を勇者にした人達も嫌いだから、リンが跪くのはこいつだけだ。
「……そして、祈りを」
祈るのも、こいつだけ。
「どうか、──どうか、これからも、ご無事で」
語尾が、震えた。駄目だ、最後まで頑張れ、とリンは自分を叱咤する。
「どうか……、また、帰ってきて──レオ」
「…………」
息づかいが聞こえる。それだけで、分かる。レオが泣きそうなのを必死で堪えていると、分かってしまう。だってリンは、レオの幼馴染みだから。ずっと、生まれてから15年間、一緒にいたから。
だから、リンは勇者が嫌いだ。
「……祝福を。これからも貴女の行く道に、幸多からん事を」
掠れた声が、頭上から落ちてくる。名前を呼んでくれない「勇者」に、リンは堪えきれず目を閉じた。ぱたぱたと、熱いものが地面に滴り落ちる。
だからリンは、勇者が大嫌いだ。
だって勇者は、たった5年で、リンから幼馴染みを──大事な想い人を、奪っていったから。