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分類できないセクシャリティー

作者: 真論(まろん)

十日後に日本に帰ってくると、母から連絡があった。

 父親はイラストレーター、母親はエッセイストという、ちょっと特殊な家庭に僕は生まれた。その上、二人揃って海外の景色や文化をモチーフにしているものだから、僕には両親と触れ合った記憶があまりない。

 と言っても、特に寂しいなんて思ったことはないが、母親のあり方というのは、子供の将来、特に男の子の場合には大きな影響を与えてしまうものだと、最近つくづく思うようになった。

 実は、僕は小学六年生の頃から、自分の特殊なセクシャリティーに気付き始めた。

 セクシャリティーと言っても、僕以外の人間でそういう嗜好の人には出会ったことがないので、僕一人だけの個性なのかもしれない。

 捜せばいるのかもしれないが、たいていの人はひたすら隠し通しているだろうと想像される性癖・・・・・・。

 セクシャリティーというものは、生まれながらのものだけではなく、やはり育った環境で決定されるのではないかと思う。

 うちの両親は、僕が小さい頃からとても自由に育ててくれた。自由と言うより、忙しすぎて、子供を束縛する暇なんてなかったのだ。

 だから、僕がやりたいということには何も反対しなかった。

 自由だった僕は、小学生の頃から、夏休みはイギリスやオーストラリアにホームステイし、英語にもすぐ慣れた。細かいことにこだわらない、この少しのんびりとした性格は、そのおかげかもしれない。また、独立心も旺盛で、高校生の頃には自分が外国へ行く費用くらいは自分で稼ごうと、ファッションモデルの仕事を始めた。

 その頃すでに百八十以上あった身長と、回りから端整な顔立ちだなんて言われていたルックスのおかげか、何度となく街でモデルクラブにスカウトされていた。

 僕自身、そういう仕事に興味がないわけではなかったが、スカウトマンの胡散臭い感じに戸惑っていた頃に、今のモデルクラブの社長である吉野さんに声をかけられた。

 有名ファッション誌で活躍しているモデルがたくさんいるモデルクラブだったこともあり、僕はすっかり安心し、お世話になることにした。その時点で大学受験をすることもやめたが、やはり両親からは『あなたの人生なのだから、好きなようにしなさい』と予想通りの答えをもらった。

 またもや束縛をしてもらえなかった僕は、モデル業に専念していたが、もともと演劇や映画を見るのが好きだったこともあり、自分も演技をしてみたいと考えるようになった。

 そこで僕は、生意気にも社長やマネージャーに、モデルの仕事も続けさせてもらうけど、映画などのオーディションを受けてみたいとお願いした。

 そして二十五歳になった現在、ファンクラブを立ち上げれば、二千人くらいは会員になってもらえる俳優になれたのだ。

 しかし、僕が主演している作品は、ちょっと、いや、かなりマニアックだ。もちろん、まったく普通のヒット映画、ドラマにも出してもらってはいるが、それは主役からはほど遠い端役だ。

 実際、主役をしているものはと言うと、今、市場を広げているボーイズラブ系の作品がほとんどである。

 世間ではBLと呼ばれ、若い女性を中心にコミック、ノベルズ、CD、DVDとかなりの売り上げがあるということだ。

 母の話によると、母の学生時代から、そういう作品は存在したらしいが、その頃はごく少数の女の子が、ひっそりと隠れるようにその類の漫画や小説を読んでいて、堂々と友達と語り合うなんてことはできなかったらしい。

 ボーイズラブ・・・・・・。要は男の子同士の恋愛話だが、実際のゲイ作品とはかなり違い、ストーリー、セックス描写など、すべてが現実ではありえないと言っていいほどのファンタジーに仕上げた、いかにも女性が好みそうなものだ。

 一般的にゲイ作品だと、出演者がマッチョだったり、ひげ面で短髪だったりということが多いが、ボーイズラブの場合、そのカップルの両方が美少年、美青年でなければいけないという。そして、そんな作品に重宝がられる俳優となった一人が僕だということだ。

 僕に、こういう類の主演話が初めて来た時、事務所は即座に断ろうとしたが、僕自身がやってみたいと言い出した。

 実際、僕はその作品に主演することで多くのファンを獲得し、役者の仕事もぐんと増えた。

 たとえ僕が、最初から月9ドラマ路線を狙ったところで、単なるモデルクラブが、そこまで僕を売り込むことができるはずもない。

 とりあえず、僕には踏み台になるものが絶対に必要だった。

 最近撮ったDVD作品では、僕は男とのラブシーンもいっさい拒まず、それどころか、もっとディープにやらないと嘘くさくなって、見ている人は白けてしまう・・・・・・などと監督に生意気なことを言ってしまった。

 しかし、監督も僕の意見を取り入れてくれて、脚本になかったキスシーンや自分でも赤面するようなベッドシーンてんこ盛りの作品になった。

 そして、そのDVDは予想以上に売れた。

 これには、事務所やその作品スタッフも驚いたようだ。もちろん、僕にとっても意外としかいいようがなかった。

 おそらく健全な少年・青年は、ボーイズラブなどと言う言葉さえも知らないだろうが、実は僕にとっては、まったく見知らぬ世界ではなかったのだ。

 僕には三歳年上の姉がいて、彼女は中学生の頃から、BL系コミックを読みあさっていた。姉がそんなに夢中になっているくらいだから、きっとおもしろい漫画なのだと思い、僕は姉の目を盗んで読んでいた。ストーリーの設定としては、もちろん男女の話で成り立つものばかりなのだが、それを男と男にすることによって、ごく平凡な恋愛話が急にとんでもなく悲恋になってしまうから不思議だ。

 まあ、そういう背景があって、女性心理はある程度理解しているつもりだ。

 だいたい、ボーイズラブにハマるタイプの女性は、生身の男が不潔だとか思っていて、恋愛がしたくても怖くてできない、いわゆる二次元に恋する女性だろう。ジャニーズファンもこういうボーイズラブ作品が好きらしい。ちなみに姉もジャニーズファンである。また、タカラヅカファンもやはりボーイズラブが好きなようだ。僕のファンクラブ会員の一部は、タカラヅカファンと重複しているらしいということをファンレターで知る機会があったからだ。

 要は、僕のファンであるということは、ボーイズラブが好きであると考えて、まず間違いはないだろう。

 ジャニーズファンであり、ボーイズラブ好きの姉は、弟の僕から見ても結構美人だけれど、二十八年間、男がいないらしい。その上、それをみじめとも思っていないので、始末が悪い。そんな姉が、僕主演のBL作品を見て、するどい指摘をする。まあ、それは参考になるのでありがたいが、僕の顔と映像の中の僕を交互に見ながらニタニタ笑うのだけはやめてほしい。

 しかし、そんなエキセントリックな姉でさえ、足下にも及ばないほど、僕はとんでもない性癖を持っているのだ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・お母さん・・・・・・。

 僕はもっと、他の子みたいに母親に叱られたり『いい学校に入らないとりっぱな人になれないわよ』とか言われて、もっともっとかまわれて抑圧されてみたかったんだ。

「あなたの自由にすればいいのよ」

 という言葉より、

「歩、お母さんの言う通りしなさい。それがあなたのためだから!」

 そんな風に、もっと強く束縛してほしかったのだ、きっと。

 小学生の頃、隣の光夫が羨ましくてしようがなかった。光夫は有名私立中学を受験するために、小学校から帰ると、『さっさとしなさい! 塾に遅れるわよ!』と、玄関先で母親に大きな声で怒鳴られていた。

 そんな母親の声が聞こえると、光夫は少しふてくされた顔をしながら玄関に出てきて、母親が運転席にいる車にのろのろと乗り込んでいた。

 僕はと言うと、両親はほとんど家にいないので、面倒を見てくれている優しい祖母におやつを用意してもらい、のんびりと学校の宿題を片付け、テレビを見て、漫画を読んで、ゲームをして・・・・・・という、光夫とは正反対の生活をしていた。

 この二人の生活を比べた時、たいていの子供は、絶対に僕の方が幸せだと答えるだろう。

 でも、僕は光夫の生活を羨ましく思い、いつも陰からこっそりと光夫と光夫の母親の玄関先でのやり取りを盗み見していたのだ。

 これこそが正しい母子の姿だと思い、恍惚としていた。

 単なる無い物ねだりだと言われるかもしれないが、僕は光夫のように母親に束縛され、母親の言うとおりに動きたかったのだ。大きな声で怒鳴られてみたかったのだ。

 あっ、もう、夜中の一時だ。明日も早いけど、ファンレターには目を通しておこう。

 これは、けっして義務感ではなく、僕の趣味と言ってもいいだろう。そして・・・・・・実は、読む楽しさ以外の目的を持った行為なのだ。

 そんなことはマネージャーの山崎さんにも言ったことがないけれど、僕はファンレターを読みながら、理想の女性を捜しているのだ。

 今日、もらったファンレターは五十通程。僕のサイトでは、ファンの応援メッセージを送ってもらえるようにしてあるので、ほとんどの人は、そこにメッセージをくれる。

 でも、今回は特別だ。今日は二月十七日。

 そう、三日前のバレンタインデーに送られてきたチョコやプレゼントに手紙が添えられているはずだ。

 うれしいことに、チョコやプレゼントがかなりの量になってしまったので、事務所がまとめて宅配便で自宅に送ってくれたのだ。

 その中でも気になっていた荷物があった。

 その大きな紙袋は、僕の大好きなブランドのものだったので目に付いたが、次に僕の目を釘付けにしたのは、宅配の送り状の文字だった。

 送り主『戸田香奈恵』。

 送り状には、僕の事務所の住所や僕の名前も書かれているわけだが、今時の女の子が書く丸い文字ではなく、かなり大人っぽい、いわゆる達筆に、僕の心臓はドキドキし続けているのだ。

 その文字が、僕の秘密の目的に僕自身をすこしずつ近づけているという確信を持ちながら・・・・・・。

 そう、僕の目的・・・・・・。

『年上の大人っぽい人が好きなんだろう?』と、いとも簡単に誰もが言うだろう。

 ううん、そんな単純な話ではないのだ。

 そんなことなら、平気な顔をして『僕、年上の女性が好きなんだ』って、あっけらかんと誰にでも言えてしまうわけだから、特別なセクシャリティーでもなんでもない。

 ただ僕は、自分のその嗜好に従って女性と交際などしたことがないので、それが果たして恋愛感情に結びつくのか、性的な興奮に結びつくのか、確認したわけでもないのだ。

 現実問題として、僕はまだ恋愛らしきものをしたことがないのだ。

 自分のその妖しい嗜好は、子供の頃からの無い物ねだりの延長であって、普通に恋愛するうちに自然と消滅していくだろうと、最初は安易に考えていた。

 自分はどんな種類の人間を好きになれるのだろうかと、いろいろ試みてもみたが、これだと思う瞬間がまだないのだ。

 たとえば、たいていの男が言い寄る同年代の女の子をデートに誘っても、気を使うだけで楽しいと思ったことがない。だから、すぐに二人の関係は自然消滅してしまうのだ。

 男も試してみた。モデルの世界もそうだったが、役者の世界とその関係者にもゲイの人が多く、ご挨拶代わりに男と寝たこともある。

 しかし、こっちの方は、おいしい仕事をいただくために、がんばれば相手をできなくはないというレベルで、自分から相手を物色したことはないので、自分は同性愛者でもないという結論に達した。

 その後は、自分のセクシャリティーをきっちり分類する必要もないだろうと自分に言い聞かせ、今日に至っている。

 僕は、心地いい心臓の動悸にまかせて、ついに気になっている紙袋を開けた。

 その袋の中には、六角形の箱に入った高価そうなチョコレートと、リボンがかけられた大きめの箱が入っていた。

 僕はわくわくしながらリボンを解いて、箱を開けてみた。

 スウェット素材のパーカーだ。この春夏に流行すると言われているデザインで、裏生地にストライプ柄のサテンが使われている。

 僕はさっそく着て、鏡に映した。

「いいじゃん、知的に見える」

 僕は声に出して言った。

 そして、このプレゼントの主が、僕が捜し求めていた理想の女性に近いのではないかという、確信に近い期待を持った。

 長い間探し求めた僕の理想の女性・・・・・・。

 それは、子供に対して異常に過保護で、子供を自分の思い通りにしようとする厳しい母親。年の頃は、うーん、四十五から五十っていうところだろうか。

 そして、一番肝心なところは、人目を惹く美人のオバさんではダメだということだ。

 仕事場に行けば、実際の歳よりとんでもなく若くてきれいな女優さんはたくさんいるが、そういう人にはまったく興味を持ったことがない。

 僕が惹かれてしまうのは、僕世代の男なら、一番うっとうしい母親像として抱いているイメージのオバさん。その辺のスーパーに行けばいそうなオバさんなのだ。

 僕は、プレゼントのパーカーをはおったまま、最後のお楽しみとして取っておいた手紙をドキドキしながら読んだ。

 たいていのファンレターは、だいたい十五歳から三十歳くらいの女性からのもので、書いてあることもほぼ同じなのだ。

「○○で見た歩さん、すごく素敵でした」と、その役のかっこよさなどを褒めてくれるものだ。

 ところが、この手紙は違った。

 先日、大阪で行われた映画上映会に来てくれたことから始まり、上映後、監督と共演者とで行ったトークライブがとてもよかったことが書かれてある。

『黒田さんの鋭いツッコミ、ソフトなボケ(大阪人は、悲しいかな、そんなところばかり見てしまいます)が最高でした』とか、『あなたにはボキャブラリーの豊富さ、他の出演者への心遣い、ファンへの惜しみないサービス精神、適度な知性と品格があり、実にお見事なトークライブでした』

 こんなファンレター見たことがない。僕が褒めてほしいこと、僕の自信のあるところを恐ろしいほどズバッと言い当てているのだ。

 それから、最後には『黒田さんのブログや雑誌でのコメントなどから、かなりの健康オタクだと推察していますが、二十五歳はお肌の曲がり角っていうのは、男性だって同じ。たっぷりと睡眠・バランスの良い食事を摂りましょう』

 うーん、この上から目線がたまらない。僕の心臓を鷲づかみしている。こんな風にバシッとアドバイスをしてくれるっていうところが完全にツボなのだ。

 厳しくて、口うるさくて、適度にアカデミックな母親に管理されている感覚がたまらない。

  

 ドラマロケ、ラジオの収録が予定より早く終わった。こういう時、いつもの僕なら大好きな映画を見に行くところだが、今日は事務所に寄って調べたいことがあった。

 例の手紙とプレゼントの主、戸田香奈恵のことだ。

 僕のファンクラブ会員なので、事務所には必ずデータがある。

 そう、年齢もわかるということだ。ただ、ある一定の年齢を過ぎると、なぜか年齢をごまかす女性がいるというのも事実だ。

 しかし、そんなことに、いったいどんな意味があるのだろうかと、いつも思う。二十歳女性だから素敵で、四〇歳だからだめだと、誰も思わないだろうに・・・・・・。ただ、自分に自信を持っている女性は、歳のことなどどうでもいいと感じているのか、年齢をごまかさないという事実も僕は知っている。

 それにしても、僕は彼女の年齢を調べて、どうしようというのだろう。

 いや、どうもしない。どうもできないのだ。

 バレンタインチョコと洋服のお礼は、他のファンに出す印刷された礼状とまったく同じものを事務所が用意するだろうし、彼女はまた、僕のことを冷静に批評した手紙をくれるかもしれないし、これが最初で最後のファンレターになるかもしれない。

 会って話がしたい・・・・・・。

 それが正直な欲求だ。ファンレターを読んで、こんなことを思ったのは初めてだ。

 僕の頭は、勝手な妄想ではち切れそうになっている。

 五十歳くらいで、ちょっとふっくらしていて、近くのものを見る時だけ銀縁の老眼メガネなんかを出してきて・・・・・・。子供たちをしっかりしつけて、派手なことは嫌いで・・・・・・でも、家庭人としてはしっかり者で、言いたいことはちゃんと言い、突然ヒステリーを起こし、一見怖そうなオバさんに見えたりもするが、明るくて、涙もろいまったく普通のお母さん・・・・・。

 だめだ、だめだ。僕はいったい何を考えているのだろう。

 こんな嗜好がファンに知れたら、みんな一斉にヒイてしまう。こんなこと、一生誰にも言えないのだ。

 しばらくの間は、腐女子(ボーイズラブが好きな女の子をそう呼ぶ)の皆さんを楽しませなければいけない。ちなみに、ボーイズラブが好きな男の子もいて、彼らは腐男子と呼ばれているそうだが、彼らは同性愛者ではないらしい。

 まったく、世の中、いろんな性癖の持ち主がいるもんだ。人のことを言えた立場じゃないけれど・・・・・・。

 とにかく、今僕は、その腐女子、腐男子たちの想像力をめいっぱいかき立てる演技ができるエンターテイナーでなければならない。そして、うまく仕事の波に乗り、いずれはゴールデンタイムのドラマや映画で主演できるような俳優になるのだ。

 

「歩、これでいいの?」

 他のスタッフはみんな帰ってしまった事務所で、山崎マネージャーがパソコンを開いてくれた。

 もちろん僕は、ある一人の女性の情報を知りたいと言ったわけではない。ファンの年齢層がどれくらいなのか把握しておきたいと言ったのだ。

「歩は、ほんと、偉いよな。そういう、元モデルって感じじゃない地道なところが、スタッフやファンに受けるんだろうな」

 山崎マネージャーは、おそろしいほど僕をかいかぶっている。

 山崎さん、ごめん。僕はそんないい人じゃないんだよ。今、次から次へとやっているBLキャラだって、じゅうぶんエキセントリックなのに、素の僕を知ったら、もっともっとエキセントリックで、ファンのみんなにさえ愛想つかされるかもね。

「だって、ファンは一番大切にしなければいけないって、社長にも言われていますから」

 僕は優等生のせりふを言いながら、食い入るようにパソコンの画面を見た。そして、あいうえお順に並べられているファンの名前をスクロールし、僕は「と」で手を止めた。

 と、と、と、戸田・・・・・・! あった!

 戸田香奈恵・・・・・四十九歳・・・・・・うちの母と同い年。

 僕の心臓は、やっぱりという、うれしい結果に音を立て始めた。

 もしかして、僕くらいの子供がいて・・・・・・僕がずっと求めていた理想の女性・・・・・・。

「へえ、四十九歳って人もいるよ」

 僕は喜びを独り占めできなくて、デスクで書類整理をしている山崎マネージャーに声をかけた。

「ああ、わかるよ。 歩って、年上の女にモテるタイプだもんな。今、歩のファンクラブ会員になってくれてるメンバーは、きっと韓流スターに飽きたオバさまたちだよ」

「えっ?そうなんですか」

「とにかく、オバさんファンは大切にしておかないとね。応援のパワーが半端じゃないし、お気に入りに落とすお金も半端じゃない」

 事務所の利益については、僕自身考えたことはなかったが、山崎さんの言いたいことはよくわかる。

「うちの姉も言ってましたけど、二十八歳でも、ちょっと恥ずかしいかなと思ってジャニーズのコンサートに行ってるらしいんですよ。ところが、なんと四十代、五十代くらいのオバさんが、ノリノリだそうですよ」

 僕は、ペンライトを振りながら体を左右に動かすポーズをした。

「歩だって、そうだよ。ステージから客席がはっきり見えないだろうけど、トークライブの時、東京も大阪も、オバさんが多かったもんな」

 その山崎さんの言葉を聞いて、大阪会場に来てくれたファンの中に戸田香奈恵がいたのだと、僕のアドレナリンは最高潮に達した。

 

 そんな不確実なことでドキドキしながら、僕は結構楽しい日々を送っていたが、雑誌の撮影中に、吉野社長から電話があった。

 吉野さんは、うちのモデルクラブの社長で、僕をモデルとして売り出してくれた最初のマネージャーであり、彼も元はトップモデルだった。今はもう五十歳くらいのはずだが、顔の輪郭もぜんぜんたるんでいないし、まったく腹も出ていない。

「歩、今やってる撮影、夕方には終わるだろ? ちょっと会ってほし人がいるんだ。中司裕子っていう、俺と同期の女性モデルが、モデルをやめた後、大阪でモデルクラブやってて、その人と今夜、食事することになってるんだ。なんでも、その女社長の親友が、歩のファンクラブにも入ってくれてるらしいよ。うーん…戸田さんって言ってたかな。まあ、中司が俺と同い年だったと思うから、その友達とやらが、二十歳ってことはないだろうけどね」

 吉野さんは電話の向こうで、フッと笑った。

「それで、おまえのスケジュールが空いてたら、食事に誘ってくれないかって、頼まれたんだ。その親友とやらは、今夜はいるわけじゃないよ。こっちだって、オバさん二人の相手をさせられたら、たまったもんじゃないもんな」

 戸田・・・・・・戸田・・・・・・。

 僕は返事をするのも忘れて、まだ見ぬ、今夜も直接会うこともないオバサンを想像し、一人わくわくドキドキした。

「おい、聞いてる? いやだろうけどさ、中司には世話になってるし、この先も関西の大手モデルクラブとは、仲良くしておきたいんだ」

「あっ、はい、いいですよ」

 僕は慌てて返事をした。

「すまないな。適当に話を合わせて、愛想よくしてたらいいからさ。ほら、何度かいっしょに行ったことがある、ペルファヴォーレに七時ってことで」

「はい、わかりました」

 僕はわざとビジネスライクな声を出し、動揺している気持ちを吉野さんに悟られないようにした。

 

 ドルチェとコーヒーが運ばれてきた時、吉野さんのスマホが鳴り、彼はテーブルから離れた。

 それをチャンスだと思ったのは、僕だけではなかった。

 僕は中司さんに、自分が戸田香奈恵のファンレターを読んですごくうれしかったこと、バレンタインプレゼントとしてもらったパーカーがとてもセンスのいいものだったことを話した。

 すると中司さんは、戸田香奈恵が大学時代のからの親友であること、彼女は現在専業主婦で二人の息子を見事に有名私立中学に入学させ、今はちょうど一段落の時期なのだということを話した。

 僕の胸は高鳴り始めた。隣に住んでいた光夫のお母さんをイメージしたからだ。光夫が小学生の時、塾に行くのを嫌がる彼を厳しい表情で叱り、無理矢理引きずるように車に詰め込み、塾までの送迎をしていた光夫のお母さん・・・・・・。

 ついに僕の想像の世界は、僕の思いのままに完成されたのだ。

 それなのに・・・・・・なんということだ。

 一瞬で、中司さんが僕の素敵な世界をすべてぶち壊してしまった。すべて・・・・・・。

「五十って言っても、香奈恵は三十過ぎくらいにしか見えへんよ。高校生の頃、神戸の街でスカウトされたんよ。その頃から、きっと目立ってたんやと思うわ。テレビ番組でアシスタントとかやってて、大学卒業後、関西の放送局に就職して、二年くらいやけどアナウンサーしてたんよ。私みたいに背も高くないし、どんな生活してるのか、昔と体型がほとんど変わってないわ、華奢な感じで・・・・・・」

 ??? ??? そんな、ひどい。ひどすぎるよ!

 三十くらいに見える? 高校生の時、スカウトされた? 元アナウンサー? 華奢?

 僕の失望は半端じゃない。

 でも、そんな僕の動揺を中司さんは勘違いしたらしい。

「そんなアホなって、思ってるでしょ。そうそう、これを見て」

 彼女はiPhoneを長い指でタップし、写真を見せた。

「これ、一ヶ月程前に二人で撮ったの。どう? 香奈恵、すてきでしょ?」

 僕は中司さんのアイフォンを覗き込んだ。

 中司さんともう一人の女性。その女性がカメラ慣れしたきれいな笑顔を作っている。確かにすごい美人だ。中司さんが言うように三十そこそこにしか見えない。確かに華奢でスタイルがいい。

「黒田君? どない? きれいやろ? 今度、仕事で大阪に来た時、会ってみない?」

「はあ」

「何、照れてるんよ」

 中司さんの思い込みはすごい。

 中司さんは、からかうような目を僕に向け、凝ったネイルが施された指で前髪をかき上げた。

 違うよ、僕は照れているわけではない。単に失望しているのだ。絶望で、ちゃんと声さえ出ないのだ。

 そりゃあ、誰でもそう思うよなあ。年上の女が好きだとしても、見かけは若ければ若い方がいい。美しければ美しいほどいいって。

 きっとオバさんたちは、少しでも若くきれいに見えるように、すごい時間とお金を費やしているんだろう。

 でも僕にとっては、女のそれが邪魔なのだ。たいていの人にとって価値のあることかもしれないけれど、僕にはまったく無価値なのだから、どうしようもない。

 僕の理想の女性像は、頭の中で音を立てて崩れ落ちた。自分の体も崩れ落ちそうだったが、必死で言葉を探した。

「ほんとうに素敵な女性ですけど、会ったりなんてしたら、社長に叱られますから」  

 僕はとっさに得意の笑顔を作り、適当な言い訳をした。

 すると中司さんは、首を少し傾げて上目遣いに僕を見た。この人も、見る人が見れば、かなりいい女なのだろう。元トップモデルで女社長。

 その中司さんは、少し意味ありげな笑顔で僕の顔をじっと見た。気を悪くしたわけではなさそうだ。

「ふーん。吉野社長の命令は絶対ってことやね。あ、いいねん、いいねん、隠さんでも。吉野君が男の子にしか興味ないのんは、昔からみんな知ってることやから。それで黒田君、吉野社長と寝た?」

 このオバさん、突然何を言うんだ?!

 ふいを突かれた僕の鼻からはコーヒーが流れ出そうになったが、口からはとても簡単に、でも少しだけハニカミを帯びて、最適な言葉が飛び出していた。

「はい」

 僕は彼女の目を見つめ、口角を持ち上げて、得意な表情をサービスした。

 これで、このやたら背の高い美人社長は、僕が戸田香奈恵という美しい女性に興味を示さない理由を納得してくれるだろう。

『女に興味ないなら、仕方ないか』ってね。了

                                







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