第四章 13 サディ
「……そう、だね」
僕はそれだけ返事をして、空を眺めた。白い雲が漂い、太陽が降り注いでいる。
世界はいつものように青く、そして綺麗だった。
どこでも変わることのない、普遍的な世界の光景。いつもの、世界の、日常。
日常が最も楽しく、そして一番嬉しい。
悲しいのは、つらいのは、苦しいのは、やっぱり嫌だ――。
「……ジゲン、ニメ、『とても大事な話』があるのデース」
――だからこそ、日常じゃないことなんて、もう起きてほしくなかった。
そう言ってサディは立ち上がると、僕とニメの前に少し離れて立った。
――もう起きてほしくなんて、なかったのに。
サディが、言う。
「……私は、記憶を取り戻したのデスよ!」
――僕たちの日常が、世界が、環境が、音を立てて壊れていく。
「…………は?」
ニメが、まるで理解できないかのように、呆然とした声を上げた。
それから数秒後、ニメが慌てたように続けて言い始める。
「……ちょ、ちょっとサディ! 何言ってるのよ! 冗談はやめてよ!」
「……冗談なんかでは、ないデスよ」
「嘘よ! 嘘! だって! そんな! まさか!」
ニメは聞き分けのない子供のように、サディの言葉を否定し続ける。
しかし、そのサディの悲痛な表情を見た瞬間、そんな強く否定する感情さえも、なくさせられてしまった。
「…………嘘、よ……」
「……ごめんなさい、デス」
サディが悲しそうに謝ると、ニメは立ち上がって叫ぶように言った。
「何で……どうして言わなかったのよ! サディ! どうして!?」
「……言えるわけ、ないデスよ。こうした方が……私も、ニメもジゲンも……一番つらくなくて、済むのデスから……」
「……ッ!」
勘の鋭いニメは、サディの言うことがすぐに理解できてしまう。
「……バカ! サディの、バカぁ!! バカぁ……!!」
「ごめんなさい、ニメ……」
「……バカぁ……! ……サディ……!」
感情が振り切れて小さく震えるニメに、僕はそっと近づく。
「……ごめんなさい。私が、今日の悪鬼なのデス」
そう言った瞬間、サディの体が、黒い瘴気に包まれた。
サディの姿が、その顔が、その体が、その髪が、その服が、黒ずんだものへと変わっていく。綺麗だったサディの姿は、煤まみれのような黒い姿へと変わってしまった。
「……これが、悪鬼になるということ、なのデスね……」
悪鬼となってしまったサディは、その姿は変わりこそしたものの、口調や表情はいつものままだった。いつもの、柔らかくて優しい、独特な、あのままだった。
「苦しかった、つらかったところから、解放されたような気分デス……。……でも私は、もうそちら側には……戻れないのデスね……」
「…………」
「ニメ、ジゲン。……私は、とあるゲームのキャラクターだったのデス。私はプレイヤーに動かされる、メインのキャラクターだったのデスよ。そしてそのゲームは、無事に発売されたのデスけど、すぐさま徐々に忘れ去られていったのデス。……なぜだか、分かるデスか?」
「…………」
僕とニメが何も言わなくても、サディの言葉は続く。
「もちろん、バグもなく、致命的な問題もなかったデスよ。ゲームとしては、何も問題はなかったのデス。……それでも、私のゲームは徐々に忘れ去られていったのデス」
「……どう、して?」
僕はそれだけを、訊き返す。
「――それは、『普通』だった、からデスよ」
「……ふつ、う?」
「そうデス。ゲーム性も普通、ストーリーも普通、何もかも、全てが普通だったのデス。……それだけ、なのデスよ。……普通だった、から……忘れ去られていったのデス……」
普通。それは、可もなく不可もないこと。平均、であるということ。
「普通って、何なのデスかね……。つまらなくはないけど、面白くもないってことなのデスかね……。……普通って、一体何なのデスか……?」
「…………」
「普通なのに、私はこの世界に来ることになったのデス……。普通なのに、私は忘れ去られていったのデスよ……。存在が……空気みたいに、消えてなくなっていったのデス……。……それって、本当に、普通なのデスか……?」
……ゲーム、もとい創作作品の、普通。その意味を、サディは訊いている。




