第四章 5 殺して
「そう。ハナは、記憶を取り戻したの。昨日の夜に」
「昨日の、夜……。……あの時、不安そうだったのは……そのせいだったんだ」
「そうだよ、ジゲンお兄さん。ハナもあの時は、急に記憶がよみがえってきて、不安だった。こんなのはハナの記憶じゃないって、違うって思おうとした。でも、頭の奥では、心の奥では分かっていたの。これがハナの、末路なんだって。ハナがたどってきた、苦しみなんだって」
「…………」
「ねぇ、分かる? 段々と人から忘れ去られて、消えていく苦しみが。自分の存在が、少しずつ溶けて消えていく苦しみが。自分ではどうすることもできず、進むこともできず、逃げることもできない苦しみが。きっと分からないよね、だってお兄さんお姉ちゃんは、まだ記憶を失った『ただの人』だもん。ハナみたいに、全てを思い出したキャラクターじゃないもん」
「…………」
「ハナもね、その記憶と苦しみから逃げようとしたの。それでね、ジゲンお兄さんのそばにいると、手を繋いでいると、少しだけその苦しみから逃げることができたよ。……でもね、それも……もう限界。どう頑張っても、逃げることなんてできないの」
「…………っ」
「それで、諦めて全てを受け入れたら、こんなふうになっちゃた。……でも、これでいいの。……やっと、この苦しみから解放される。やっと、死ねる。やっと、消えられる。やっと、生まれ変われる……! ―――」
「……ハナ……ちゃ、ん……」
「――だから、ハナを。悪鬼になった、ハナを殺して」
三日前。サディと共闘した、あの時。
――忘れてはいけない。
――悪鬼となったとしても、元は普通の人だったということを。
――悪鬼を倒すということは、その人を殺すということ。
あの時、僕はそう思ったはずだ。そう、心に刻んだはずだ。はっきりと。深く。
それは間違いじゃない。嘘じゃない。
けれどそれが、こんな形で、こんなふうに、僕の目の前に立ち塞がることになるなんて。
こんなことに、なるなんて。
思わなかった。
…………………………。
「……ドールズ・ウォー」
僕たちが立ち止まっている間に、ハナちゃんは人形を召喚する。
今回は、最初から四体。最初から……全力だ。彼女の指先から伸びる魔法の糸が、人形たちに接続されていく。人形たちが、ハナちゃんとリンクする。
「今なら分かるよ。何で、悪鬼はハナたちに襲い掛かってくるのか。……あれはね、やり場のない苦しみと憎しみを、発散しているからなんだよ。何も知らずに生きている人たちに、苦しみと憎しみをぶつけているの。理性のない、獣みたいにね」
同じように悪鬼となったハナちゃんによって、どうして悪鬼の戦い方が本能的で、理性的な戦い方ができないのかという真相が明かされる。
「悪鬼さんは、こんな気持ちだったんだね。ハナにもよく分かったよ。……でも、なんでハナは、他の悪鬼さんとは違っていつもの姿のままなんだろう? 他の悪鬼さんは、黒い人型の怪物みたいなのにね。……ねぇ、どうしてかな?」
「…………」
分からない。なぜハナちゃんは、悪鬼となってもほとんど同じ姿なのか。
「ま、いいよね。どうせハナは、死ぬんだもん。意味のないことだよね」
「…………」
僕は無言のまま、背中にある剣を握る。そしてトリガーを引いて剣先を伸ばすと、ハナちゃんに向けていつものように剣を構えた。
「ジゲン……? どうして……?」
ニメが隣で、僕の方を見ながらそう呟く。そして続けて、
「どうして、そんな顔ができるのよ……?」
と、言った。
「え……?」
「どうして、そんないつもの、悪鬼と戦うような、冷静な顔ができるのよ……?」
自分の顔は見えない。けど、今の自分は冷静な顔をしていると、ニメは言った。
ハナちゃんを目の前にして。
付き合いは短いとしても、確かに大事な仲間を目の前にして。
長く一緒にいたわけではないけど、かけがえのない思い出のある少女を目の前にして。
――僕は、何のためらいもなかった。
僕はハナちゃんを、ただの悪鬼だと、いつものように倒すべき相手だと、そう思ってしまっている。何のためらいも、葛藤も、嫌悪もなく、いつものように冷静でいる。
記憶はないけれど、僕はそんな、非道な人ではなかったはずだ。
でも、じゃあ何で。
――今、そんな何のためらいもなく、いられるのだろう……?
――そして。
戦闘の始まりは、突然だった――。




