第四章 3 もう、元には戻れない
そして時刻は、悪鬼出現の長い予測時間に差し掛かる。十時になった。
――そして、
「……あれー?」
十時を過ぎて少しした頃、ハナちゃんが唐突に不思議そうな声を上げた。僕とニメとサディは立ち止まって、ハナちゃんの方を向く。
「どうしたのハナちゃん?」
「えーとー、なんかねー、ざわざわがなくなってるのー。いやなかんじがなくなってるのー」
「本当に? 良かったねハナちゃん」
「うん! じげんおにーさんおねーさんがー、てをつないでくれたおかげだよー」
「ハ、ハナちゃん……」
「? じげんおにーさんおねーさん?」
「ああっ! もう! ハナちゃんは可愛いなああああぁぁぁぁ!」
思わずハナちゃんを抱きしめてしまう。可愛いが正義すぎた。
――…………。
とりあえず何もなくてよかった。一時はどうなることかと思ったけど、何もなくて本当によかった。何かあったら、パパ泣いちゃうところだったよ。
「元通りになってよかったわ、ハナ。心配してたのよ」
「もー、お姉ちゃんに心配かけちゃダメデスよー!」
「えへへー、ごめんなさいー」
ハナちゃんが元通りになって、それからはいつものように時間が進む。
――進むと、そう思いたかった。
……しかし――――。
事態は――一変する。
「うう、じげんおにーさんおねーさん、にめ、さでぃおねーちゃん……」
十一時を過ぎた頃、再びハナちゃんの様子が激変した。
「ハナちゃん!?」
今回は、前なんかよりもずっとやばい感じがする。ハナちゃんは両腕で体を抱いて、膝を曲げ、小さく震えていた。その様子は尋常じゃない。
「人のいないところで休ませましょう。ジゲン、ハナを抱っこして」
「あ、うん。了解」
ニメの指示で、僕はハナちゃんをお姫様抱っこした。腕の中のハナちゃんは相変わらず震えていて、目をぎゅっと強くつぶっている。まるで、何かを堪えているかのように。
「こっちよ!」
ニメが先導して、人のいないところへと向かっていく。
そしてたどり着いた場所は、一般に河川敷と呼ばれるところだった。平坦な土地で、地面には草が生い茂り、隣には大きな川が流れている。
「ニメ! 休ませるのではなかったのデスか!?」
河川敷のど真ん中に来たニメに、サディが問いただすようにそう言う。
「ジゲン、ハナを降ろして」
ニメはサディの問いには答えず、僕にそう指示を出した。
「……ああ。分かった」
河川敷の草の上に、僕はハナちゃんをそっと降ろす。その手を彼女から離した瞬間、全てを――ハナちゃんとの全てを手放したような、そんな気がした。
……もう、元には戻れない。
「二人とも何をしているんデスか! ハナちゃんを――」
「――サディ!!」
ニメが、サディの言葉を無理矢理打ち切る。
「……サディ、あなたも気づいているんでしょ?」
「……気づいてないデス。気づいて、ないデス……。気づき、たくない、デス……!」
あの時、ハナちゃんが元通りになって、よかったと思ったのは嘘じゃない。
でも、心の奥底ではもう、あの時覚悟を決めていた。
「……ハナちゃんが、悪鬼だなんて、気づきたくない、デス……!」
その瞬間、ハナちゃんの体が、黒い瘴気に包まれた。
僕らは悪鬼対策課のメンバーとして、悪鬼を殺す者として、いかなる時でも警戒を怠ってはいけない。それが例え、仲間でも、よく知った人物であったとしても。
僕たちは、ハナちゃんから距離を取った。
「……えへへ、……へへへ、……ふふふ、……うふふふ」
ハナちゃんが、ゆらりと立ち上がる。
その姿は、いつもの純粋無垢な白い姿ではない。今のハナちゃんは、何かドス黒い感情に包まれた、ひどく黒ずんだ姿へとその身を変えていた。
「……うふふ。……ハナ、悪鬼になっちゃった」
――ハナちゃんが、悪鬼となる。




