3-18:セカンド・アースへ
――貴方ノ願イ、聞キ届ケマシタ。サァ、オ戻リナサイ――
視界が開け、元の場所へと戻ってきた。
夢を見ていたような……いや、見せられていたのか。
自分の記憶を――。
そう思った瞬間、それまで立っていた地面がすっぽりと消え、俺とフェンリル、一番近くにいたアデリシアさんが落ちた。
「きゃあぁぁぁ」
「アデリシアさん!」
落下速度は異様に遅い。
ゆっくり落ちる中、アデリシアさんと左手で引き寄せ、俺の背中側からしがみ付いて貰う。右手はフェンリルと握り合ったままだ。
ゆっくり――とはいえ、俺たちが立っていた場所、穴から数メートルは落ちた。
底はまだ無い。
空いている左手を伸ばし、必死に何かを掴もうと試みる。
壁なのか何なのかもわからない。――が、掴む所はあった。
「だ、大丈夫か、二人とも」
「私は大丈夫。ソーマ君こそ、大丈夫?」
「あぁ、なんとか。フェンリル?」
「大丈夫だ。けど、下が見えない……」
下を見る余裕は俺には無いな。アデリシアさんを背負ってるし、顔を下に向けると彼女の腕が喉に食い込んで呼吸が出来なくなる。
「誰か、ロープか何かを――」
「アデリシア!? 無事かっ」
「レスター! お願い、ロープを持ってきて」
「大丈夫だ。今、カゲロウ君が取りにいってるからっ」
フィンも心配そうに顔を覗かせてきた。
「すぐに引っ張りあげるからな、待ってろ――っ糞、頭ん中で勝手に喋んなっ」
何を言ってるんだ、フィンの奴。
それよりも誰か早くロープか何か持って来てくれ。
「糞、指が……」
何処を掴んでいるのかも解らないが、三人分の体重を支えれるほどの余裕は無さそうだ。
「案外、ただのセル抜けだったりして。ちょっと降りて見ようか」
そんな声が下からしてきた。
反射的にダメだと叫ぶ。
穴の底に行ってしまえば、戻れない。
穴の底は……
本物のセカンド・アースだ。
「行くな、フェンリル! 戻って来れなくなるぞ、うぐっ」
彼女の方を見ようと顔を下に向けるが、案の定、アデリシアさんの腕が首を締め付ける形になって苦しい。
それでもフェンリルの顔を見る事が出来た。
彼女は、
笑っていた。
この顔は見覚えある。
鉱山を抜けた山間で、マンドラゴラヒヒから俺たちを逃がした時の、あの顔だ。
「ダメだっ!」
「私は大丈夫だ。一人でもなんとかやっていく。だから、アデリシアを上に連れて行け!」
「そうじゃない。そうじゃないんだ!!」
フェンリルの手を掴む右手に力を込める。
だが、彼女が手を離し、その手にはめていた黒い手袋だけが俺の手元に残った……。
「フェンリルゥーっ」
闇の底に落ちながら、フェンリルは最後にもう一度笑った。
ロープが投げ込まれたのは、フェンリルの姿が完全に見えなくなって暫くしてからだった。
アデリシアさんを下から支えつつ、ようやく地上に戻ってきた。
「なんでもっと早くロープを持ってきてくれなかったんだっ!」
穴の縁に這い蹲ったまま、俺は語気を荒げて怒鳴った。
本当は俺自身に責任があるんだ。
ゲームではなく、これが本当の世界だったらなんて願ったから。
だから……向こうから迎えが来てしまったんだ。
そして俺じゃなく、フェンリルが連れて行かれてしまった。
「なんでだよ……なんでもっと早く……」
穴から這い出る力も無く、その場で拳を突きたてた。
「すまないソーマ君。だけど、ロープを取りに行ったカゲロウ君も、フィン君も、ミケさんも……もう居ないんだ」
「……え?」
レスターの言葉の意味が解らず、俺はようやく穴から這い出て辺りを見渡した。
居ない。
フィンもカゲロウもミケも。そしてほとんどのプレイヤーがそこには居なかった。
俺が見ている間にも、どんどん人が消えていっている。
「まさか……皆を連れて行ったのかっ!」
俺は天に向って叫んだ。
聞えているはずだ。いつだって俺を見ていたのだから。
「いや、違うよ。皆は強制ログアウトされているんだ」
そういうレスターの顔色はどこか青ざめていた。
「何があったんだ?」
「良く解らないよ。君たちが穴に落ちたのを遠くから見たんだ。そしたら突然、頭の中で女の人の声が聞こえてね」
嫌な予感がする。
「本来のセカンドアースへと誘いましょう。そして貴方がたの望む世界を冒険し、セカンドアースを守ってください。ってね」
……。
糞っ、なんて勝手な言い草なんだ。
ゲームだからこそ楽しめるってのに、それが現実になったら楽しいなんて誰も思わないだろ。
何が望む世界だ。
「強制ログアウトってのは何で解った!?」
レスターは必死に何かを操作しているようだった。
「運営からアナウンスがあったんだ。外部からのアクセスによって不具合が発生しているって。だから強制的に全員の接続を切ると。で、フィン君たちはカウントダウンが視界に出たって叫んだあと、消えたんだ」
「向こうに連れて行かれたわけじゃないのか……」
「いろいろ腑に落ちないこともあるよ。だけどね、今はこうするのが一番なんだろうと思ってる。可笑しいよな。まさかこれが本当の異世界に通じてるなんて、これっぽっちも思いたくないのに」
「レスター……」
レスターは俺に巾着袋を手渡した。
「課金アイテムが入ってる。例のギルマスの貢品さ。あと使えそうな物もね。ボクもそろそろログアウトさせてもらうよ。アデリシアもさっき落ちた。それを確認するまではと、必死に抵抗していたんだ」
「抵抗?」
「あぁ。ログアウトするもんかってね。カウントは常に2と1を行ったり来たりしてる。これ、結構辛いもんだね。さっきからずっと頭痛がしっぱなしさ」
「レスター……」
頭を抑えつつ、レスターが最後の言葉を掛けてきた。
「行け。それが君の役目だ」
巾着を受け取り、自分のインベントリの中へ放り込む。
「行って来る」
後ろ向きに一歩下がる。
そこに地面はない。
あるのは何処までも続く漆黒の穴――




