2-18:サバ缶
全力疾走してくる暁の面々。レスターも一緒か。
こんな奴等に今のフェンリルの姿を見せるわけにはいかないな。
「フェンリル、隠れろ。暁のご登場だ」
「は? 今更何をしに来るんだ」
声が動いている事で彼女が隠れようとしているのが解った。
立ち上がって暁を出迎える。後ろを振り返ると、岩陰に身を隠したフェンリルと彼女の横に立つミケとアデリシアさんが見えた。
「はぁはぁ……倒してしまったのか」
息を切らせたルシファーの様子からすると、かなり急いで来たみたいだな。ご苦労なこった。
「待っててやる義理なんて無いからな」
「はぁ? 何言ってんだあんた。ファーストアタックは俺たちなんだぞ? 獲物を横取りしやがって。出たアイテム全部よこせ!」
何無茶苦茶な事言ってんだ?
「全滅しといてアイテムよこせとか、どんだけかっこ悪いんだよお前等」
「なっ、なんだと!」
顔真っ赤なルシファーの横で、別の暁メンバーが耳打ちをしている。それが終わると二人はにやっと笑ってこっちを見た。
「ふんっ。格下のあんたらなんか敵じゃないんだよ。大人しくドロップを寄こせ。さもなきゃここで死ねよ」
PKをしようってのか?
そもそも取引不可のアイテムだってあるんだ。獲得した時点で渡せない物も――ん? そういえばドロップって――
「なぁ、ドロップしたアイテムって誰か回収したのか?」
間の抜けた俺の問いに後ろからミケが「それがそのー、また例の木箱ニャよ」と答える。
例の木箱……どの木箱だろうか?
「私と君にしか見えなかった、例のアレだ」
フェンリルの補足でようやく理解した。【ソドス】の村で出た宝箱でもあり、他の皆には木箱にしか見えなかったアレか。
「おい、何身内だけで会話してんだよ。つべこべ言わず、渡せるもんは全部置いていけって言ってるだろっ」
「だが断る!」
フェンリルの十八番セリフを叫ぶ。たったその一言でルシファーは激怒しやがった。
「て、てめーっ。FA取ったのは俺らだって言ってるだろうがっ。横取りするってのはノーマナーなんだよ。解ってんのか、あぁ?」
「なんだよそのルール。公式には載ってなかったぞ!?」
「うるせーっ。ぐだぐだ言ってねーで、死ねよ!」
奴が杖を掲げて呪文の詠唱に入った。
こいつマジでやる気なのか? レベル40超え相手じゃ、まともにPKなんて出来ねーぞ。
第一、こいつに常識なんて通るとは思えない。無視して帰還したほうがいいだろ。そう思って後ろを振り向き、帰還魔法を頼もうとしたが――
岩陰から石が飛んでいき、それが見事にルシファーに命中する。
「っ痛ー。さっきから後ろでコソコソと!!」
「私は君に教えたはずだぞ。FA後に死ねばドロップ獲得権は消滅すると。これはどのMMOでも同じ。勝手に自分ルール作って他人に押し付けるな! これだって注意したはずだぞ」
石を投げたのはどうやらフェンリルみたいだな。ってか、その物言いって、以前から奴を知ってるって事なのか? 教えたって、どういう事なんだ。
当のルシファー自身も理解できないのか、余計に苛立っているように見える。
「お前に教えて貰っただと? 何言いやがる。俺がMMOの事を教えてもらったのは唯一人。愛するセシリアからだけだ!」
愛するって、おいおい。何言い出すんだこいつ。
足元の岩盤を蹴って奴が近づいてくる。
パーティーチャットに設定して、
『もうこんな奴無視して帰還しよう。とりあえずメルビスじゃなくって別の教会に行こうぜ』
メルビスだとまたこいつ等と顔を合わせる可能性もある。だからフェイクを入れて別の町に移動すればいい。
『解った』
『え? 何かあったんですか?』
『カゲロウ、後で説明するよ。教会には行かず、宿で待っててくれ』
先に町に戻っている連中に伝えると、岩陰の前に魔法陣が現れた。
奴等は無視して魔法陣に向って走る。
「おい待て、逃げんなっ!」
「ぶっ殺せ!」
怒り狂った暁が追って来る。ミケとアデリシアさんは既に魔法陣に飛び込んだ。あとは俺が入って、フェンリルが乗れば魔法陣は消える。
距離的には十分間に合う。
岩陰から一歩出てきたフェンリルが手を伸ばした。
その手を掴んだ直後、彼女が追って来る奴等に向けて口を開く。
「あの時、君に辻支援なんかするんじゃなかったと、今でも後悔しているよ。ルシファー・サタン」
彼女が言い終えると同時に、俺の視界に映る光景が岩盤洞窟から板壁造りの建物へと変貌した。
「ファーイーストの教会?」
隣にはフェンリルが立っている。彼女は頷いてからその場に蹲った。
最後に言ったルシファー・サタンって、奴の別の名前……だろうか。聞きたい気持ちもあるけど、とにかくまずは服を――
「なぁミケ、フェンリルの服をさ――。あれ? ミケ?」
先に魔法陣に乗ったはず。なのにミケの姿が、いや、アデリシアさんの姿も無い。
「居ないのか?」
足元では蹲ったままフェンリルが呟く。
「あ、あぁ。もしかしてもう服探しに行ってくれたのかな」
そう思ってチャット設定を切り替えようとしたが、視界に映った簡易ステータスの方に目が行った。
パーティーメンバー全七人中、五人のHPバーが消えている。残っているのは俺とフェンリルだけだ。
「なぁフェンリル。パーティーメンバーのHPバーが見えないのって、どういう現象の時だ?」
すぐには返事がこない。その間にフレンドリストも確認するが、皆の名前が薄く表示されて、現在ログインしていないという状態になっている。
「んー、HPバーが出てないのはログアウト中という事だけど……え? 二人ともログアウトしてるの?」
がばっと顔を上げたフェンリルは、意外そうな顔で俺を見上げた。そんな彼女に向って首を左右に振る。
「いや、皆ログアウト中だ」
ひとまず教会で皆を待つことにする。ミケとアデリシアさんはログインすればここに出てくるだろうし、フィンたちはチャットで誘導すればいい。
壁際で二人して蹲っていると司祭がやって来て、フェンリルの為の着替えを貸してくれた。司祭は、淫らな格好では人目を惹くから困る――と赤い顔をして言っていた。
別室で着替えて戻ってきたフェンリルと、今度は教会に並んだ椅子に座って皆を待つことに。
「戻ってくるかなー?」
「まぁ、来るだろ。ただ少し時間掛かるかもね。サバキャンすると再起動しなきゃいけないこともあるから」
「そっかー。リアルでの数分がこっちでは数十分だもんなー」
そんな他愛も無い会話は直ぐに終わってしまう。
神聖な場所である教会。外は夕方で、この時間に教会に来る人は少ないらしい。お陰で会話の無くなると、シーンと静まり返って気まずい雰囲気になる。
何か話のネタは……。
探して見つかるのは、やっぱり奴との事。
聞きたい。
でも聞くのはまずいよな。なんかそんな気がするし。
……。
…………。
………………。
うあぁー! この空気が堪らなく嫌だーっ。
早く誰かログインしてきてくれよ!
頭を掻き毟りながら心で叫んでいると、横ではフェンリルが長い溜息を吐き捨てるのが聞えた。。
彼女に視線を向けるが、そこには別人のように映るフェンリルが居た。
司祭に借りただぼだぼの真っ白な法衣。色白で、そして銀色の髪という全身白っぽくなってしまったフェンリルは、どことなく儚げに見えた。
まるで幽霊のような……いや、妖精とか精霊と言うべきかな。そんな風に映る彼女が口を開く。
「まだネトゲを初めて数ヶ月ぐらいの時だ。その時もヒーラーをやってて、一人で暇な時に辻支援をしていたんだ。君にしたようにね」
「……奴にも?」
問いには頷いて応えた。
やっぱりそうだったのか……。けど、それからどうして愛だのなんだのと。
「奴も――その時はルシファー・サタンって名前だったんだけど、ネトゲ初心者だったからさ、ついいろいろ教えたりして」
「まさに俺のときと同じか。まぁ俺が知らないことを聞いてたりしてたんだけど」
「奴には聞かれてもいない事まであれこれ教えちゃったよ。お陰で変に勘違いされてさ」
「勘違い?」
そこでまた大きく溜息を吐いた。
よっぽど嫌な展開だったんだろうか、かなりげんなりした顔で話はじめる。
「君だったらさ、どうだい? 見知らぬ女が自分にあれこれ教えてくれるって」
「え? えーっと……親切な人だなーとは思う、かな?」
相手次第だけど、その子が可愛かったら期待してしまうかもしれない。いや、容姿は実際関係ないんだけど、期待したいという願望かな?
あれ……ってことはつまり、ルシファーって。
「もしかして奴の勘違いって、お前があいつに惚れてるのと勘違いしたとか?」
ごんっという音を立ててフェンリルが机に突っ伏す。
おぉう。当りか……。
「有名ブランドのバッグ買ってやるだのルビーやらエメラルドやらあれこれ言ってきて、仕舞いにはマンション買ってやるまで言い出すんだよ。そんな男に靡くと思うか、普通?」
「うわー、どん引きするー。けどよくそんなホラ吹けるな」
「や、それがだねー。あいつ勝手に本名やら住所やら固定電話の番号やら教えてきたんだけどさ――」
ちょ。かなり真性だな。
「それをモグに……あ、モグやカインとはもう知り合いだったんだ。特にモグは、私の従姉妹と当時付き合っていたし、ゲーム内ではいろいろ相談してたんだけどね」
「っぶ、それ親戚って事かよ」
あー、道理であの人、フェンリルの事心配してた訳だ。自分の奥さんの従姉妹じゃなー。
「モグが調べたら実在する住所な上に、IT企業の社長宅だったのさ。一人息子の名前も合ってた」
「ひぃー。それ本当だったら、金持ちぼんぼんって事か……まぁそうじゃないと、ギルメンに課金アイテムばら撒くなんて考えられないもんな」
「そう……。まぁ自分で個人情報カミングアウトするヤツなんてまともじゃないからって、モグやカインに無視しとけとは言われたんだけどね。こっちが無視しても向こうから来る訳だし」
突っ伏した顔を上げ、フェンリルは辺りの様子を見回す。俺も同じように視線を移す。
教会内には俺たちしか居ない。既に外も暗くなっているし、司祭も奥へと引っ込んでしまってる。
仲間を待っているから――という事で、司祭にお願いしてここに居させて貰っているんだが……まだ誰もログインしてこない。それどころか、他のプレイヤーすら誰一人として見なかった。
「まさかサバ缶かな?」
「鯖缶?」
専門用語なのかそれとも缶詰なのか。
「君、今魚の鯖缶を想像しただろう」
「ナンノコトダカワカリマセン」
図星だ。まっさきに浮かんだのは魚の缶詰。
「サーバー内に缶詰状態にされる。つまりサーバーに取り残されるっていう意味だよ。ほら、誰もログインしてこないし、ここに来てからプレイヤーを一人も見てないだろう」
「あー、うん。俺も今気になった。初期の町だと言っても、未だに新規プレイヤーは入ってきてるって言うし。だったら帰還魔法で戻って来る人居てもいいよな」
おもむろに立ち上がると、手近な窓から外を眺めてみた。
暗いとはいえ、建物の窓から漏れる明かりで人の行き来ぐらいは見える。だが往来する人の数は少なく、服装からして全員がNPCだというのが解った。
「外にもプレイヤーは居ないみたいだな。取り残されたのか、俺たち」
ぼんやりと呟く俺の背後で、ガタンという音が勢いよく鳴る。
「っぶ。ログアウトボタン無くなってる!?」
「えぇえ!?」
フェンリルの言葉を聞いて慌ててUIを開くが――無い。ログアウトするためのボタンが、無い。
あーでもない、こーでもないと必死に宙をまさぐるフェンリルの所へと戻る。いろんな方法でログアウト出来ないか試しているんだろう。
「どうだ?」
「システムメッセージに告知は出てない。GMへの通報もダメだ。メッセージの送信が出来ない。これって、ネットとの接続が切れてるんじゃ?」
「いや、それだったら俺たちが何でここに?」
「……それもそうか」
頭を抱え込んで椅子に座った。
流石に不安なのか、隣ではフェンリルが膝を抱えてしまっている。
気の効いた事でも言えれば――あ、そうだ。
「なぁフェンリル。現実での数分がこっちでの数十分だろ」
「そ、そうだけど」
「だからさ、告知メッセージが出るまで、向こうでは十分程度掛かっててもこっちでは反映されるのにもっと時間掛かるわけで」
あ、という顔でフェンリルが俺を見る。
そう、告知が出るのも、皆がログインしてくるのも、一時間以上掛かっても別に不自然じゃないんだ。不安になる必要もない。ただ待つ時間が長いだけだ。
「んー、そうなると待ち時間が暇だなー」
そう言った時、俺のお腹が盛大に鳴った。
「ほむ。じゃ、夕食でも食べるか」
「そうしよう」
俺たちは司祭に一言言ってから教会を出る。
だぼだぼの法衣がなんとも似合わなさ過ぎるフェンリルは、一旦倉庫に向って装備しなおすと言う。サイズが違いすぎて肩がずれ落ちそうだ。
倉庫までの移動中に俺はある事を思い出す。
「なぁ、お前が男装してたのって、ルシファーから逃げるためなのか?」
横を歩く彼女も思い出して話を再開した。
「んむ。他ゲーに移ったときに同じキャラ名でプレイしてたら、奴に見つかってしまって……。またしつこく付きまとわれたからアカウント取り直して男キャラを使うようにしたんだ」
「なかなか凄い決断したなー。女キャラで名前や容姿変えるって事は考えなかったのか?」
「んー、考えたけど、辻支援辞めたくなかったし、また変なのに沸かれても嫌だから。男なら惚れられることもないだろ?」
「いや、世の中にはウホな人種も。それに女の子から惚れられる――あの変態ぶりじゃそれは無いか」
なんだと――と彼女が拳を振り上げた所で倉庫へと到着。
が、管理NPCの狐さんが居ない。これでは倉庫の利用も出来ないな。
「ふぬー。困った」
「この町の装備屋なら安いし、買ってしまうとか?」
「それだっ!」
既に店じまいをし始めていた防具屋に駆け込んで、軽装備を一着購入。試着室で着替えてきたフェンリルは、女物の防具を付けていた。
法衣と違い軽装備なので、まるでビキニのようなデザインの皮鎧と、その下は布製の服だ。
「ぬー。NPCから装備買うと、必ず女物なのが泣ける」
「まぁ仕方ないだろ。我慢だ我慢」
唇を尖らせて愚痴るフェンリルを促し店を出ると、そこには見覚えのある男が立っていた。
なんで奴が居るんだ? 取り残されたのは俺たちだけじゃ無かったって事か。
「見つけたよセシリア。ずっと俺から隠れてたなんて、君は本当に可愛い人だ」
なんでそういう思考になるんだよ。
頭おかしいだろ、このルシファーってのは。
本日は夜にもう一話更新いたします。