2-6:スライムと言えば……
お約束でしょう……
窮地に駆けつけてくれたのはカインさんたち上級メンバー。
死臭のヘルバウンドに止めを刺し、俺の叫び声を聞いてカインさんもやってきた。
「お、おい、フェンリル? 生きてるかっ?」
俺以上に血相を変えてうろたえるカインさん。
横たわるフェンリルの体は何匹ものスライムが覆いかぶさり、HPバーすら確認できない。
視界の隅に見える簡易ステータスバーでは、彼女のHPが真っ赤になっていながらもゼロではない事が確認できた。
よかった……生きてる。デバフアイコンがいくつか付いてるな。
フェンリルに覆いかぶさっていたスライムが、煙になって四散しはじめると、ようやく彼女の姿が見えるようになる。
現れた彼女の表情は苦悶に満ち、血色も良くない。
「デバフが……毒と、熱傷、悪夢……」
説明しながら、持続性ダメージを受けていることに気づく。早く解除しなけりゃ、残り少ないHPがゼロになっちまうっ!
「任せて。『不浄なる闇の力よ、光によって浄化せよ。リカバリー』」
カインさんと一緒に来ていたヒーラーが、状態異常を解除するスキルを掛ける。
光が降り注ぎ、フェンリルの青ざめた顔に血の気が戻っていった。
ほっと胸を撫で下ろす俺。とカインさん。
すっかり顕になったフェンリルを見て、その場に居た全員が硬直する。
「っなっなっっっな、お、お、お、おお、お、お、お、お前等、みみみみみるんじゃねーっ!」
「あははー、カインも見ちゃダメだよー」
「スライムって言ったら、お約束だものね〜。は〜い、男の子は皆回れ右ぃー。フェンリルに殺されても知らないわよ〜」
フェンリルのコートはずたぼろ……というか、溶けていた。
しかも、白いブラウスも溶け、純白の下着が丸見え状態に……下着……ゲーム内にもあるんだ。
「なんて関心してる場合じゃねーしっ!」
「て、てめー、ソーマっ! いつまで見てるんだっ!」
「カ、カインさんだって見てるでしょっ!」
「俺は見てねーしっ!」
「俺だって見てませんよっ!」
「ぅ……うぅん……」
「絶対見てるっ!」
「見てません見てません見てませんっ」
俺とカインさんは互いに声を荒げて言い争った。まるで罪の擦り付け合いをするように。
「このスケベ野郎っ」
「そっくりそのままお返ししますよ、その言葉っ」
「おおおおお俺は下心なんて、これっぽっちもねーんだぜ」
「俺にだって無いですよっ」
「ぅ……る……」
「だ、大体こいつはネナベヤローなんだから、下心持つなんて、ありえねーよな」
「そ、そうですよ。俺の知ってるフェンリルは、変なお面を付けた変態キザ男ですからっ」
「お、おう。そうそう」
段々と俺たちの会話が、共感を求める内容に代わっていく。
がっつりを握手を交わし、視線を下に向けた瞬間、
「五月蝿いっ、貴様等あぁぁぁぁっ! いつまでも見てんじゃなぁーいっ! この、ドスケベどもっ」
鬼の形相のフェンリルが立ち上がり、構えた盾で俺とカインさんを薙ぎ倒した。
倒れたあと視界が歪む。これ、昏倒効果かよ……。
「フ、フェンリルも、シールドスタン、使えた、のか……」
「盾装備しているんだ、当たり前だろっ!」
「しかも……範囲かよ……ぐふっ」
捨てセリフを吐いて気を失うカインさん。俺の意識も……遠のく……。
意識はすぐに戻った。
戻ったあともフェンリルの形相が恐ろしく、なかなか起き上がれない。
「あはは〜。プリたん難儀やなー。うち裁縫やし、自慢の一品があるんよっ。丁度法衣やし、着たってーな」
「……君、なんか酒くさいね」
「あはは〜。ログイン前まで晩酌してたんよ〜」
おいおい、酔っ払ったままゲームしてんのかよっ。ってか酔っ払いでネームド戦してたのかよっ。まぁ的確なスキルで助かったけど。
仕方ないという感じでフェンリルは村長宅を借りて着替える事に。百花さんも付いていく。
これでようやく安心して起きられるってもんだ。
「救助に来てくださった冒険者様ですか?」
「あ、あぁ。村ん中も、もうモンスターはいねーぜ」
赤い顔をしたままのカインさんが答える。
それから「ソドスが襲われている」というのを町医者が話しているのを聞いて、慌ててこっちに来た事を教えてくれた。
他にもプレイヤーは来ているらしく、村の外の畑にもネームドモンスターが出ていたんだとか。
村長宅から出てきた村人は、無事だった事に喜んだのもつかの間、踏み荒らされた畑や、半壊している家屋を見て落胆する人もいる。
改めて村の様子を眺めた。
所々から白い煙も上がり、焼け落ちた家屋がある事も判る。
生存者がいないか確認する為に見た家の中には、内部が荒らされた所も多かった。
家の壁が破壊され、修復しなければ住めない様な家もある。
今朝までの暮らしが戻るのに、結構な時間が掛かりそうだ。
「生きていればこそ、いくらでもやり直せるんだ。さぁ、皆、片付けに取り掛かろう」
白髪まじりの村長が促す。大きな溜息を吐く者、涙を浮かべる者、皆がゆっくりと歩き出した。
すれ違い様、村人は俺たちに頭を下げ、お礼を言って通り過ぎる。
その後姿を、俺はじっと見つめた。
何人かの村人は、畑に実っていた野菜を拾い集めている。まだ食べられそうなものと、そうじゃないのとを選り分けているようだ。
これは……本当にゲームなんだろうか?
ゲームだとしたら、焼け落ちた家も半壊した家も、この畑も、綺麗さっぱり修復されるはずだ。
野菜を拾い集める必要があるんだろうか?
NPCなんだし、食べなくても平気なはずだよな。だって、プログラムなんだから。
これは、本当にゲームなんだろうか?
――ザザザ……。
突然、俺の視界にノイズが走る。
なんだ、これ?
だがそれっきり、視界はいつものように鮮明さを取り戻した。
背後から村長がやってくるのが解った。
「皆さん、本当にありがとうございます。助けを呼びにいってくれた、その、村の男は無事でしょうか?」
馬車で【ルイビス】に駆け込んできた御者の事だろう。
俺が彼の安否を伝えると、村長は安堵したほうに胸を撫で下ろした。
「それは良かった。さっそく、彼の家族に無事を知らせましょう」
そう言うと、近くにいた村人に言付けて走らせた。
再び俺たちのほうに視線を戻した村長へ、事の成り行きを尋ねる。
「今朝、突然山のほうから地鳴りがしまして……。あっという間の出来事でした」
「あいつら、山から降りて来たんですか?」
俺の質問に村長は頷いた。
家の背後、連なる山々を指差し言葉を続ける。
「私めの家を襲っていた奴は、あの山の中腹にある洞窟の主でした。地獄の底に通じているといわれる洞窟でして……」
「ダンジョンだな。けどおかしいな。あの山、ベータの時に進入不可エリアだったから、この前試しに解放されてないか登りに行ったが入れなかったぞ?」
俺の隣で聞いていたカインさんが小声で呟く。
進入不可? けどフェンリルはこの前登ってたけど……どういう事なんだ?
それにモンスターがダンジョンから出てくるものなんだろうか? 普通のゲームで考えれば、有り得ない事だ。
「モンスターが山から降りて来たのって、心当たりとかありませんか?」
「はい、それが……数週間前になりますでしょうか、狩りに出ていた村のもんが、聞きなれない獣の声を聞いたとかで。もしかすると、ずっと奥の山に住んでいたヤツが、こっちに来たのかもしれません」
あのマンドリルだろうな。
やっぱり、住処を追われて山を降りて来たって事か。
ん? そうすると、山だけじゃなくダンジョンにも居座っているのか、あのマンドリルは。
あの時はたまたま山に居たけど、場合によってはダンジョン内って事も有り得るのか。厄介だなー。
村長からの話も聞き終えた俺たちは、畑の柵の修復作業を手伝ったり、野菜を集めたりして時間を潰す。
なんせ、村長の家に行ったっきり、フェンリルが戻ってこないので動きようも無い。まだ村にいることだけは、フレンドリストからもギルドメンバー表からも解る。
「ったくもー、遅いニャ!」
痺れを切らせたミケが、村長宅を睨みつけて尻尾をピンと立たせる。畑から野菜を掘り出していた彼女の手は、土まみれになっていた。
「見に行くか?」
俺が言うと、今度はこちらをじとぉーっとした目で見つめてくる。
「ソーマはえっちニャ」
え、えっち?
何故に!?
たじろぐ俺を追い詰めるかのようにミケがにじり寄ってきた。
「着替えを覗き見しようとしてるニャ」
「は? だ、だってあれからもう大分経ってるだろ? もうとっくに着替えてるんじゃ……」
「えっちニャ」
違う違う、断固として違う。
下心なんて無いし、これっぽっちも見たいとは……いや、これぽっちぐらいなら……。
「あー、そうじゃなくって! ミケが見てきてくれっ」
にやぁーっと笑うミケが、尻尾を揺らしながら村長の家へと向うのを見送る。
嫌な汗を掻いてしまった。
さ、柵の修理でも……と思って振り返ると、にやぁーっと笑うフィンとカゲロウが居た。
「お、お前等もかぁーっ!」
二人を追いかけ畑の中を走る。
軟らかい土の上は走りにくい。盛り土された場所で足を取られ、盛大にこけてしまった。
周辺から笑い声が上がる。それを聞きながら、穴があったら入りたい衝動に駆られながらも起き上がる。
救いなのは、PCだけじゃなく、NPCからも笑い声が聞こえていた事。
笑えるぐらいの元気は、戻ってきたみたいだな。よかった。
っかし、ここだけやけに土が盛り上がってるな。
くそっ。こいつのせいで笑いものになったじゃねーか。
八つ当たりして土山を蹴り上げると、
――ガツッ。という金属音が鳴った。
何か、埋まっている? モンスターとかじゃないだろうな。いや、でも音からすると、鉄か何かっぽいし。
しゃがみ込んで掘り出してみると、みかん箱ぐらいの宝箱が……。
「は、箱が出てきたっ! ってか、ボスドロップの回収してなかったんじゃ……うわぁー、消滅前に見つけてよかった……あれ?」
死臭のヘルバウンド倒してからどのくらい時間経ったかな? 回収しなかったら、時間の経過と共に消えるはず……。かれこれ十分以上は経ってるはずなのに、何故まだ残ったままなんだ?
「なぁ、フィン。宝箱出てきたんだけど、これ、ボスドロップだよな?」
回収した箱を持って、俺はフィンとカゲロウの元へと向った。柵の修復をしていた二人が振り向き、顔を見合わせてから怪訝そうな表情で俺を見つめる。
「ソーマ、宝箱って、それただの木箱だぞ?」
「野菜を入れるための箱だったんじゃないですか?」
俺が差し出した箱を見て、二人が苦笑いを浮かべる。
ただの木箱……そんなハズないだろ。たしかに木箱がベースではあるけど、四辺の繋ぎ目は銀製だし、鍵の差込口は金ぴかだぞ。これを見て、ただの木箱とは言わないだろ。
中を開けて確認してみたが、しっかりとアイテムが詰まっているのが俺には見える。
「っな、っな。これボスドロップだって」
中身の一部を掴み上げて二人に見せる。それでも、彼らは首を傾げて納得できないような顔をしていた。
二人には何に見えているんだ?
「えーっと、何も無いように見えますが……」
「あー、うん。俺もなーんも見えない。ソーマが空気掴んでるようには見えるけど」
え? これが見えてないっていうのか?
金貨や銀貨、アクセサリーのような装備もあるし、丸い珠もいくつか入っている。それにこれ、フィンにとって大喜びしそうな装備じゃないか。この両手斧なんか……。
ん? 待てよ。
そもそもドロップアイテムが入ってた箱って、持ち上げられてたか?
中身って、掴み上げれてたか?
今までは――箱を開けると中身が一覧になって表示され、タップするとインベントリに入っていたような……。
「やぁ、素晴らしいお宝ですね。洞窟の主が蓄えていたものでしょう。山を降りる時に持って降りて来たんですかね? 魔物にそんな習性があるとは、知りませんでした」
村長がやってきて俺の手元を見て言う。この人には俺と同じ物が見えているようだ。他のNPCも感嘆の声を上げている。
つまり、俺とNPCは同じ物が見えていて、PCには見えていない、と?
「ねぇーねぇー、皆見てみてニャー」
「あぁー、嫌ぁぁぁ。辞めてぇー」
困惑している間にミケが戻ってきた。後ろからは薄紫色の、ドレスのような物を着た――
「フェ、フェンリルっ! なんだよ、その格好は――」
叫びつつ、俺の視線が釘付けになる。
胸元がぱっくりとあいた衣装からは、しっかりと谷間が見えるし、スカートには前方向には二本のスリットが際どいラインにまで入っている。そこからは白くしなやかな足が丸見え状態だ。
タオルかふんどしかって具合に垂れ下がるスカートの中心部分には、金色の刺繍で十字架が描かれている辺り、あれも法衣なんだろうな。
いや、実に女性らしい装備だ……。当の本人は凄く嫌がっているみたいだけど。
「嫌ぁー、お婿に行けないぃー」
いや、お婿っていうか、あんた女だろうに。
「おい君! そこの君だよ」
百花さんはどこから取り出したのか、ひょうたんを口につけ何かを飲んでいた。たぶん――酒、だな。
「そこの酔っ払い!」
ようやく振り向く百花さんに、フェンリルは顔を真っ赤にして詰め寄っている。
「これ以外ないのか!!」
「えー、無いってゆーたやんー。諦め悪いプリたんやなー」
「ぬあぁー!」
男装ばかりしているフェンリルにとっては、あの装備は敗北感しか得ないんだろうな。
「ええやんええやん。美人さんやしー、ほれ、皆見てるやんかー」
ギッとフェンリルが皆を睨み付けると、一斉に視線を逸らそうとする男連中。その顔は紅い。
正直、俺も凝視していたので苦笑いを浮かべて取り繕う。
けど百花さんの言うように、綺麗なんだし――
「まぁ、似合ってると俺は思うけど口に出しては言うまい」
「はぁっ! 何か言ったか、君?」
「え? お、俺何か言った?」
やっべ。口に出して言ったか?
「言った言った。マジ似合ってるって言った」
「言いましたね。しっかりこの耳で聞きました」
「ソーマはやっぱり助平ニャ」
「な、なんでそうなるんだよっ!」
「あぁーっ! 嫌だーっ、早く男に戻りたいぃーっ!!」
宝箱の謎はそっちのけで、フェンリルの法衣ネタでその日は終わってしまった。