自分の死について自問自答してみた。
自分が死んでしまうというのは、どういうことなのだろうか。
子供の頃、ふとそんな事を考えたことがある。
そのとき辿り着いた答えは、漠然とした恐怖だった。
自分が死んでしまうというのは、どういうことなのだろうか。
精神・体、共に成熟した自分は暇を持て余し、ついつい答えの出ないような自問自答を繰り返す。
ひとつ仮定をしてみた。
もし人が生まれた瞬間から夢を見ているのだとしたら。
何秒も、何分も、何時間も、何日も、何週間も、何ヶ月も、何年も。
生まれてから、死ぬまで。
長く果てしない、人生という名の夢を見ているのだとしたら。
その場合の死とはなんだろう。
夢の終わり。
それは目覚めなんではないだろうか。
目覚め、そうつまり始まり。
死=始まり。
この意味不明な答えが正しいかどうかは、結局のところ死んだ後にしか分からない。
そして死んでしまった後には、こんな意味不明な問い自体が不要なのである。
そう無駄。
考えるだけ無駄。
今回の自問自答で自分が導き出したのは、自分の死について考える事は何一つ無い。
と、いうことだ。
自分の死については、自分が死んでいなくなった後の世界で、自分を見送る他人が考えてくれる。
他人の死について自分が考えるように。
わけの分からない文を読んでいただきありがとうございます。
結局のところ”死”について考えたって、誰にも、何も分かるはずが無いんですね。
そして自問自答のその先に、答えも無いんです。