誰かに頼ることなしに、人は一人では生きていけない4
弟は目の前のテーブルには、豪華な料理の皿が並べられていた。
一流のシェフが一流の食材を使った料理だ。
一部の裕福な人々だけが口にできる無上の美味だ。
順番に運ばれてくる湯気の立つそれらの料理に、弟はいっさい手を付けていない。
目の前のテーブルに皿の数だけが増えていく。
毒を入れられるのを警戒しているのもある。
無味無臭の毒であれば判断を誤るかもしれないが、ゆっくりと食べれば、味の違いで毒を判断できる。
弟は組織でそのように教わり、かつて一緒に暮らした財閥総帥の家族との食事でも、毒見役を任されてきた。
けれど今はただ単に、目の前に座る相手を見て、弟は食欲がなかっただけだ。
「デニス、食べないのか?」
テーブルの向かいに座る叔父は、ナイフとフォークを使い食事をしている。
ひらめのムニエルを切り分け、器用に口に運んでいる。
「食欲がない」
弟は料理に手を付けないままぽつりとつぶやく。
「そうか。突然この屋敷に連れて来て、私の護衛として雇うのだからな。今までいがみ合っていた分、強い抵抗があっても無理はないことだな」
叔父はナプキンの端で口を拭き、ワイングラスに手を伸ばす。
隣に立つ給仕が白いワインをグラスに注ぐ。
「お前の顔立ちがあまりに白豹に、つまりお前の母親によく似ていたのでな、もしやと思って調べさせたのだ。やはり私の前から姿を消した後、密かに子どもを、つまりお前を産んでいたようだ。私がそれに気づいたのは、最近になってからだったが」
叔父は手に持ったワイングラスを回す。
誰にともなくつぶやく。
わずかに濁った白ワインが、辺りに芳醇な香りを漂わせる。
弟はむっつりと黙り込んだまま、叔父を睨んでいる。
「それで、お前は僕をどうしたいんだ。確かに僕は組織の命令に逆らうことは出来ない。逆らったら命がないことくらいわかっている。でも、僕は個人的な感情ではあんたが両親を殺したことを許さない。今は組織の命令であんたに仕えるように言われているが、もしも組織の命令がなければ、すぐにでもあんたをくびり殺しているところだ」
叔父は白ワインの香りに目を細め、一口飲み下す。
弟の言葉にも動じない。
「かつてお前の母親白豹は、私の護衛に就いていた。私はその美しさに心奪われ、懇願して、彼女と一夜を共にした」
この男は何を言っているのだろうか。
自分が生まれる以前の母親の話を聞かされても、弟には何の得にもならない。
弟はいらいらとして先をうながす。
「それで?」
依頼主に頼まれれば組織の者ならば、夜の相手をするくらい普通のことだ。
叔父が母、白豹にこだわっていたために、その息子である弟、白犬を助けたとでも言いたいのだろうか。
それこそ馬鹿馬鹿しい。
そんな同情の気持ちで、弟はここまで連れて来られたのか。
叔父に怒りをぶつけたくなる。
そんな下らない理由で、叔父の護衛を任されたのだろうか。
ふざけるな、と怒鳴りたくなる。
叔父は声を落とす。
「白豹に子どもがいると知ったのは、ごく最近のことだが。お前はあの夜、私と白豹の間に出来た子どもだと、私は信じている」
最初は聞き間違いだと思った。
耳の良い弟が聞き間違いをするなど、ほぼありえない。
弟は叔父の言ったことを心の中で反芻する。
「は?」
弟は驚きに目を見張る。
開いた口が塞がらない。
「何を、馬鹿なことを」
自分が叔父の子どもだと、彼は言うのだろうか。
笑えない冗談だ。
弟は笑って聞き流そうとする。
叔父は真剣な表情で弟を見つめている。
「お前の本当の父親が誰か、わかってはいないのだろう? だったら私が父親である可能性もあるはずだ。白豹は私と一夜を共にした後、行方をくらませた。あの時、子どもが出来た可能性も十分にあるはずだ」
いつになく真面目な様子の叔父に、弟はぐっと言葉に詰まる。
無言で叔父を睨んでいる。
叔父はふっと息を吐き出す。
「白豹は死んだのだろう? ならば真実を知る者はいない。私はお前が実の息子だろうとなかろうと、白豹に助けてもらった恩もある。お前と初めて会った時、お前の中に白豹の面影を見た。本当の息子が四人いるが、一人増えても大して変わらないだろう。お前を実の息子として引き取りたいと思っている」
すぐには信じられない話だった。
弟は黙って考え込む。
自分の父親が誰か、真実を突き止めるには骨が折れるだろう。
組織の情報力を使っても、死んだ母親の相手を特定するのは難しいかもしれない。
「しばらく、考えさせてくれ」
弟はそう答えるのが精一杯だった。
黙って席を立った。