誰かに頼ることなしに、人は一人では生きていけない2
三男のフェリックスは車椅子なしに生活することが出来なかった。
生まれつき歩くことの出来ない彼は、自分で車椅子を動かすか、誰かに押してもらわないとどこにも行くことが出来ない。
「今日は天気も良いことですし、温室で日光浴などいかがでしょうか」
「うん、良いね」
その日も執事に車椅子を押してもらい、お気に入りの温室で十時のお茶をしていた。
温室の中では冬でも緑の木々が生い茂り、色とりどりの花があちこちに咲いている。
今が雪の降りしきる真冬にも関わらず、ガラスで作られた温室の中では、年中春の気候だった。
水晶宮を模した広い温室の中には鳥や動物が放してある。
鳥たちが楽しげに鳴き交わし、動物たちが木の実を食べている様子を眺めることは、三男の心を辛い現実から引き離した。
自分が歩けないことも、不自由な生活も忘れ、平穏さを彼の心に与えた。
高い木の生えるちょっとした広場に、白い丸テーブルの上にお茶や菓子を並べ、執事と一緒に温室でのひと時を楽しむのが、彼の日課だった。
「フェリックス様、お茶をもう一杯いかがでしょうか?」
「いただくよ」
今日のお菓子は木の実を混ぜ込んだ小さなパンだった。
バターやジャムをつけてパンを食べる三男を、執事は熱いお茶をカップに注ぎながら、穏やかな表情で眺めている。
この温室に住むリスが二匹、餌をくれと言わんばかりに三男に走り寄ってくる。
リスは地面に二本の足で立ち上がり、甲高い声で餌をねだる。
「パンが欲しいのかい?」
三男は優しげな声で尋ねる。
木の実の入ったパンを小さくちぎって、手の平に乗せる。
「食べるかい?」
リスの一匹が車椅子をするすると登って行き、手の平の上のパンをつかむ。
両方の手を使って、器用に口に運ぶ。
パンの欠片を口にくわえて、地面にいるもう一匹のリスの方へと駆け下りる。
お互いに鳴き交わし、木々の間へと戻っていく。
「ふふっ、仲良く食べるんだよ」
三男は穏やかに笑っている。
執事はお茶のポットをテーブルの上に置き、ソーサーを持って三男にお茶を勧める。
「フェリックス様、本日はずいぶんとお体の調子が良いようですね」
「うん」
三男は目を細める。
執事の注いでくれたお茶に口を付ける。
「冬の厳しい寒さもようやく和らぎ始めました。これで少しは体調も安定して、フェリックス様も外に出られるようになりますね」
「……うん」
先ほどまで明るかった三男の表情が急に曇る。
執事はその表情の曇りは、自分の一言が招いてしまったことだと直感した。
三男は生まれつき体が弱いせいか、ついつい自分のことを卑下してしまう性格にある。
それを謙虚さと取るか、悪い癖だと取るかは人それぞれだ。
「フェリックス様」
執事が掛ける言葉に迷っていると、使用人たちが息せき切って温室に駆け込んできた。
「フェリックス様、大変です!」
「屋敷の敷地内を流れる河に、行き倒れの少年が発見されまして」
三男の表情が驚きに変わる。
「行き倒れの少年?」
使用人たちは慌てた様子で、屋敷の玄関の方角を指さす。
「あのまま雪の中に放っといたら凍死しちまう。とりあえず、玄関まで運んでおきました」
三男はじっと使用人たちを眺めている。
「わかった」
三男は小さくうなずき、車椅子を動かす。
執事を振り返り、声を掛ける。
「近くの医者を呼んでくれないか? 外に長い間いたのならば、凍傷をしているかもしれない。医者の治療が必要だ」
「かしこまりました」
執事は一礼する。
「こちらです」
使用人が三男の車椅子を押し、屋敷の玄関に向かった。