長男と次男の、はた迷惑な兄弟喧嘩12
次の瞬間、車全体が大きく揺れる。
けたたましい車のブレーキ音。
車が道路を滑る浮遊感。
ガラスや金属のひしゃげる音。
何かに激しくぶつかる衝撃が車を襲う。
姉は体をシートや壁にぶつけながらも、頭をかばい、体を丸める。
何かに叩きつけられるような音と衝撃の後、ようやく車が止まる。
車内は静まり返っている。
車の外からは断続的に銃の発砲音や物の壊れる音が響く。
目の見えない姉には、車内や車外で何が起きているのかわからなかった。
車に乗っていた人たちが無事であるのかさえわからない。
手探りで辺りの様子をうかがいつつあちこちに触れていると、姉の指が柔らかい何かに当たる。
後部座席にいるのは次男だろうと姉は思い、彼の体をそっとゆする。
「あの、大丈夫ですか?」
次男の様子を見ようと、横たわっている彼の頭にそっと手で触れる。
ぬるりとした液体が指にまとわりつく。
姉は驚いて手を引っ込める。
鼻に近付ける。
指からは濃い鉄さびの匂いがする。
――血?
姉の全身に鳥肌が立つ。
――わたしのせいで、わたしを助けようとしたこの人たちまで傷つけてしまった。
気が付けば車外の銃の発砲音が止み、こちらに近付いてくる複数の足音が聞こえる。
姉は辺りを見回し、体を起こす。
――わたしがここにいたせいで、この人たちはこんな目に合った。わたしがここからいなくなれば、わたし一人で逃げれば、誰にも迷惑はかからない。わたしが一人でいれば、これ以上誰かを巻き込むことはない。
姉は震えながら、手探りで車の中を確認する。
何かにぶつかった時に壊れたのだろう。
壊れて開け放たれたドアへと近付く。
そろそろと車外へと降りる。
深い雪に足を取られながら、姉は風の吹きすさぶ外へと飛び出した。
複数の足音が迫ってくる音を聞きながら、姉は必死に雪の上を進む。
雪に足を取られながら、出来るだけ彼らの車から離れようとする。
――わたしが遠くに逃げれば逃げただけ、彼らに迷惑が掛からなくてすむ。わたし一人の犠牲ですむ。
雪の降りしきる中、姉は雪の中を進む。
前方に濁った大河の流れが横たわっているのにも気づかずに、姉は雪の中を進んでいった。
車から離れる姉の姿に最初に気が付いたのは、次男の護衛の責任者を任されている中年の男だった。
ついさっき大勢の部下たちと共に、車で救援に駆け付けたばかりだった。
次男の車に迫るミサイルを迎撃したものの、次男の乗っていた車は彼らの車と衝突し、停止。
追手との銃撃戦になり、つい今し方けりがついたばかりだった。
雪の中を遠ざかる姉に向かって声を張り上げる。
「オリガ様、どちらに行かれるのですか!」
冷たい風が吹きすさび、姉を追う部下たちも雪に足を取られて、距離は縮まらない。
姉の耳には、彼の声も届かなかった。
「オリガ様、もう大丈夫です! 追手は我々が処理しました」
声の限りに叫んでも、果たして彼女の耳に届くのだろうか。
彼は急に不安になる。
もしも彼女の身に何かあれば、冷たい河に落ちるようなことがあれば、恐らく命はないだろう。
そんなことになれば、彼の仕えている次男に何と説明すればいいのだろうか。
「オリガ様、お戻りください! そちらは危険です!」
彼は必死に雪の中で足を動かす。
姉に向かって声を張り上げる。
「きゃっ」
姉が河原へと滑り落ちるのが見える。
雪の大きな塊が河の中へと落ちる。
あっ、と思った時には遅かった。
姉は足を滑らせて河原を転げ落ちる。
彼が追いつく間もなく、濁流にのまれてしまう。
凍るような冷たい河に流されたのか、姉の姿は見えなくなった。
後には冷たい大河がとうとうと流れていた。