表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉と弟  作者: 深江 碧
八章 長男と次男の、はた迷惑な兄弟喧嘩
81/228

長男と次男の、はた迷惑な兄弟喧嘩11

「その話、もう少し詳しく話してもらえませんでしょうか?」

 姉は見えない目で真っ直ぐに次男を見つめる。

 次男は姉の言葉に一瞬驚いた顔をしたものの、声を立てて笑い出した。

「ははは、君は面白いな。詳しく話を聞きたいなんて、君はおれが見込んだ以上の女性だ」

 口元を押さえ、腹を抱えて笑っている。

 姉は何か変なことを言ってしまったかと思ったが、頬を膨らませて抗議する。

「どうして笑うのですか? わたしは真面目に言っているのですよ?」

「いや、すまない。たいていこういった状況の場合、女性はすぐにおれに協力してくれるんだけどね」

「悪かったですね」

 姉は不機嫌にそっぽを向く。

 次男はおかしいのを我慢しつつ、真面目な顔を取り繕う。

「別に悪いって訳じゃないよ。ただ、君の反応が予想以上に慎重だったから驚いているんだよ。うん、君のその判断は悪くはない。大抵の人間はこの状況でパニックに陥って、何でも言うことを聞いてしまうことが多いからね。君は冷静で賢明な女性だよ」

 これは褒め言葉として受け取ってもいいものか、と姉は悩んだ。

「ありがとうございます」

 結局姉は釈然としないながらも、素直に礼を言う。

 しばしの沈黙が車内を支配する。

「あの、それで、詳しく話してもらえるのですか?」

 沈黙に耐え切れず、姉は隣にいる次男に話しかける。

 次男は視線を彷徨わせ、苦笑する。

「そうだね。とりあえず無事に屋敷に戻れたら、そこで詳しく話すよ。まずは追手を何とかしないとね」

「え?」

 次男がそう言った直後、背後から車のエンジン音が聞こえてくる。

「君とここで約束を取り付けれれば、おれもやる気が上がったんだけど。残念だよ。まあ仕方がないことだけど」

 背後から数台の車が猛スピードで接近してくる。

 次男は前にいる部下たちに尋ねる。

「今度は何台だい?」

 助手席の部下が冷静に答える。

「五台ですね。後ろに三台、前に二台。みんな我々の車がこの道に来るのを待ち伏せしていたようです」

 次男は座席にもたれかかり、肩をすくめる。

「それは御苦労なことだな」

「いかがいたしましょうか、若」

 淡々と報告する部下に、次男は飛び切りの笑みを浮かべる。

「それはもちろん決まってるだろう。可憐な姫を救うには、追手を迎え撃つしかないだろう。お前たち、これに成功したらボーナスをはずんでやるから、しっかり働いてくれよ?」

 助手席の部下が無線機に向かって話す。

「だ、そうだ。若のお言葉は聞こえたか? この任務に成功したら、ボーナスと有給が付いてくるそうだ」

 無線機の向こうから多くの歓声が上がる。

「若、ありがとうございます」

「流石、若!」

「太っ腹です!」

「おいおい、有給を付けるとは、まだ誰も言っていないだろう? それにお前たちが有給を取ったら、誰がおれたちの警護をすると言うんだ?」

 すかさず運転手が答える。

「あぁ、有給は順番に取りますので、ご心配なく。ボーナスも一括払いではなく、分割払いも受け付けております」

 次男は何も言わず、大仰に溜息を吐く。

「まったく、どいつもこいつも」

 部下たちとのやり取りを聞いていた姉は、こらえきれずぷっと吹き出す。

 声を立てて笑う。

「部下の方達と仲が良いんですね。そういうの、少しうらやましいです。アレクセイ様は部下の方々に慕われていらっしゃるのですね」

 今まで抱いていた深刻な気持ちが少しほぐれるようだった。

 姉は座席の隅で、次男に背を向けてくすくすと笑っている。

「オリガ嬢まで」

 次男はむくれた様子で金色の髪をかき上げる。

 少し考えてから、ここぞとばかりに大仰に悲しんでみせる。

「おれはこんなにも部下とあなたを思って動いているのに、部下たちはそれを認めてくれないのです。おれがどれだけ苦労しているか、心優しいあなたはきっとご存じのはず。どうかその寛大なお心で、おれの傷付いた心を癒してください」

 舞台の役者並みに演技の入った声だった。

 次男は背を向けている姉に抱き着く。

「きゃっ!」

 姉はいきなり抱き着かれて悲鳴を上げる。

「あなたの口づけがもらえれば、おれの傷付いた心もどんなに癒されるか」

 次男はそう言って姉にキスを迫ってくる。

「だ、だから、どうしてそうなるのですか? 部下に慕われているのと、わたしの口づけとが、どこがどう関係するのですか?」

「おれのやる気が関係します。あなたの口づけは、おれの心を癒し、勇気を奮い立たせてくれます」

「はぁ」

 間髪入れずに返ってきた答えに、姉は呆れて物も言えなかった。

 ――わたし、この人と一緒にいて本当に大丈夫かしら?

 一抹の不安さえ感じる。

 助けてもらったのだから、文句も言えないと気持ちを切り替え、姉は次男に向き直る。

 これ以上何か言われる前に、さっさとすませてしまおうと考える。

「頬で、よろしいのでしたら」

 以前にも、夜会でこんなやり取りをしたような気がする。

 姉は一度に気疲れが出たようだった。

 うんざりした気持ちで、次男の肩に手を置いて、顔の位置を探る。

 頬に手を当てて、ゆっくりと顔を近付ける。

 次男はにっこりと笑う。

「ありがとうございます、オリガ嬢。でもおれは出来れば、あなたの口に口づけしたいと思っているのですよ」

 次男は慣れた様子で姉の口に自らの唇を重ねる。

「ん!」

 そのまま姉の体を座席へと押し倒す。

 ちょうどその時、運転していた部下が切羽詰まった声を上げる。

「若、後ろの車両からミサイルが来ます!」

 運転手はハンドルを切る。

 車体ががくんと揺れ、姉と次男の体が座席に押し付けられる。

続いて何発かの銃声、ブレーキの音や、何かが壊れる耳障りな音が響く。

目の見えない姉には何がどうなっているのかわからない。

周囲の物音と、唇から次男の柔らかなキスの感触が感じられるだけだ。

――こんな死に方なら、悪くはないかもしれない。

姉はぼんやりとそう考える。

けれどそれを考えてしまったら、助けてくれた次男や部下の人たち、それに姉の身を案じて別れた弟に失礼だ。

――もしもわたしが一人で出て行って命乞いをしたら、彼や部下の人たちは助けてくれるのかしら。この人の命も助かるかしら?

そんなことを考えながら、外の轟音に耳を澄ませ、姉は体の力を抜く。

姉は次男にその身を委ねた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ