長男と次男の、はた迷惑な兄弟喧嘩11
「その話、もう少し詳しく話してもらえませんでしょうか?」
姉は見えない目で真っ直ぐに次男を見つめる。
次男は姉の言葉に一瞬驚いた顔をしたものの、声を立てて笑い出した。
「ははは、君は面白いな。詳しく話を聞きたいなんて、君はおれが見込んだ以上の女性だ」
口元を押さえ、腹を抱えて笑っている。
姉は何か変なことを言ってしまったかと思ったが、頬を膨らませて抗議する。
「どうして笑うのですか? わたしは真面目に言っているのですよ?」
「いや、すまない。たいていこういった状況の場合、女性はすぐにおれに協力してくれるんだけどね」
「悪かったですね」
姉は不機嫌にそっぽを向く。
次男はおかしいのを我慢しつつ、真面目な顔を取り繕う。
「別に悪いって訳じゃないよ。ただ、君の反応が予想以上に慎重だったから驚いているんだよ。うん、君のその判断は悪くはない。大抵の人間はこの状況でパニックに陥って、何でも言うことを聞いてしまうことが多いからね。君は冷静で賢明な女性だよ」
これは褒め言葉として受け取ってもいいものか、と姉は悩んだ。
「ありがとうございます」
結局姉は釈然としないながらも、素直に礼を言う。
しばしの沈黙が車内を支配する。
「あの、それで、詳しく話してもらえるのですか?」
沈黙に耐え切れず、姉は隣にいる次男に話しかける。
次男は視線を彷徨わせ、苦笑する。
「そうだね。とりあえず無事に屋敷に戻れたら、そこで詳しく話すよ。まずは追手を何とかしないとね」
「え?」
次男がそう言った直後、背後から車のエンジン音が聞こえてくる。
「君とここで約束を取り付けれれば、おれもやる気が上がったんだけど。残念だよ。まあ仕方がないことだけど」
背後から数台の車が猛スピードで接近してくる。
次男は前にいる部下たちに尋ねる。
「今度は何台だい?」
助手席の部下が冷静に答える。
「五台ですね。後ろに三台、前に二台。みんな我々の車がこの道に来るのを待ち伏せしていたようです」
次男は座席にもたれかかり、肩をすくめる。
「それは御苦労なことだな」
「いかがいたしましょうか、若」
淡々と報告する部下に、次男は飛び切りの笑みを浮かべる。
「それはもちろん決まってるだろう。可憐な姫を救うには、追手を迎え撃つしかないだろう。お前たち、これに成功したらボーナスをはずんでやるから、しっかり働いてくれよ?」
助手席の部下が無線機に向かって話す。
「だ、そうだ。若のお言葉は聞こえたか? この任務に成功したら、ボーナスと有給が付いてくるそうだ」
無線機の向こうから多くの歓声が上がる。
「若、ありがとうございます」
「流石、若!」
「太っ腹です!」
「おいおい、有給を付けるとは、まだ誰も言っていないだろう? それにお前たちが有給を取ったら、誰がおれたちの警護をすると言うんだ?」
すかさず運転手が答える。
「あぁ、有給は順番に取りますので、ご心配なく。ボーナスも一括払いではなく、分割払いも受け付けております」
次男は何も言わず、大仰に溜息を吐く。
「まったく、どいつもこいつも」
部下たちとのやり取りを聞いていた姉は、こらえきれずぷっと吹き出す。
声を立てて笑う。
「部下の方達と仲が良いんですね。そういうの、少しうらやましいです。アレクセイ様は部下の方々に慕われていらっしゃるのですね」
今まで抱いていた深刻な気持ちが少しほぐれるようだった。
姉は座席の隅で、次男に背を向けてくすくすと笑っている。
「オリガ嬢まで」
次男はむくれた様子で金色の髪をかき上げる。
少し考えてから、ここぞとばかりに大仰に悲しんでみせる。
「おれはこんなにも部下とあなたを思って動いているのに、部下たちはそれを認めてくれないのです。おれがどれだけ苦労しているか、心優しいあなたはきっとご存じのはず。どうかその寛大なお心で、おれの傷付いた心を癒してください」
舞台の役者並みに演技の入った声だった。
次男は背を向けている姉に抱き着く。
「きゃっ!」
姉はいきなり抱き着かれて悲鳴を上げる。
「あなたの口づけがもらえれば、おれの傷付いた心もどんなに癒されるか」
次男はそう言って姉にキスを迫ってくる。
「だ、だから、どうしてそうなるのですか? 部下に慕われているのと、わたしの口づけとが、どこがどう関係するのですか?」
「おれのやる気が関係します。あなたの口づけは、おれの心を癒し、勇気を奮い立たせてくれます」
「はぁ」
間髪入れずに返ってきた答えに、姉は呆れて物も言えなかった。
――わたし、この人と一緒にいて本当に大丈夫かしら?
一抹の不安さえ感じる。
助けてもらったのだから、文句も言えないと気持ちを切り替え、姉は次男に向き直る。
これ以上何か言われる前に、さっさとすませてしまおうと考える。
「頬で、よろしいのでしたら」
以前にも、夜会でこんなやり取りをしたような気がする。
姉は一度に気疲れが出たようだった。
うんざりした気持ちで、次男の肩に手を置いて、顔の位置を探る。
頬に手を当てて、ゆっくりと顔を近付ける。
次男はにっこりと笑う。
「ありがとうございます、オリガ嬢。でもおれは出来れば、あなたの口に口づけしたいと思っているのですよ」
次男は慣れた様子で姉の口に自らの唇を重ねる。
「ん!」
そのまま姉の体を座席へと押し倒す。
ちょうどその時、運転していた部下が切羽詰まった声を上げる。
「若、後ろの車両からミサイルが来ます!」
運転手はハンドルを切る。
車体ががくんと揺れ、姉と次男の体が座席に押し付けられる。
続いて何発かの銃声、ブレーキの音や、何かが壊れる耳障りな音が響く。
目の見えない姉には何がどうなっているのかわからない。
周囲の物音と、唇から次男の柔らかなキスの感触が感じられるだけだ。
――こんな死に方なら、悪くはないかもしれない。
姉はぼんやりとそう考える。
けれどそれを考えてしまったら、助けてくれた次男や部下の人たち、それに姉の身を案じて別れた弟に失礼だ。
――もしもわたしが一人で出て行って命乞いをしたら、彼や部下の人たちは助けてくれるのかしら。この人の命も助かるかしら?
そんなことを考えながら、外の轟音に耳を澄ませ、姉は体の力を抜く。
姉は次男にその身を委ねた。