長男と次男の、はた迷惑な兄弟喧嘩9
「ほら当たっただろう。おれって女性の前では当たるんだよね」
「はいはい、そうですね。流石ですね、若」
助手席の部下は返事をする傍ら、次弾を装てんしている。
とりあえず追ってくる車は止めたものの、まだ周囲を警戒しているようだった。
「よっと」
次男が天井の窓から降りてくる。
拳銃の安全装置をつけ、懐へとしまう。
顔を上げた姉に笑いかける。
「怖かったかい? すまないね、うちの部下は無骨な奴が多くて」
「い、いえ」
姉は首を横に振る。
まだ何が起きているのかわからない状態だった。
目の見えない姉には、これで追手から逃げられたのかどうかもわからない。
そこへすかさず助手席から突っ込みが入る。
「若、そもそもこの人選は、若が決めたのですからね? 我々が無骨だと言うのなら、どうぞ軟弱で見目麗しい者たちを集めて下さい。ただしこの車が蜂の巣になったとしても、それは我々のせいではありませんから」
次男は後部座席に座る。
ゆったりと足を組み、肩をすくめる。
「冗談だって、冗談。いやあ、おれは優秀な部下に囲まれてつくづく恵まれていると思ってるよ。彼女を守れたのだって、君たちがいたおかげさ。本当に感謝しているよ?」
姉もようやく気分が落ち着いてきて、ようやく声が出るようになった。
「あ、あの、危ないところを助けていただき、ありがとうございました。こんなわたしのために皆さんにお力を貸していただいて、感謝の言葉もありません。命を助けていただき、とても感謝しています」
姉は車の運転席と助手席に向かって頭を下げる。
「いえ、我々は大したことはしておりませんよ」
「ほら、若。若もオリガ嬢の謙虚な姿勢を見習ったらどうですか? 我々の給料を上げるとか、もう少し誠意を見せて下さい」
部下たちから上がる声に、次男は涼しい顔で受け流す。
「皆にはいつも感謝しているよ? それを態度で示すかどうかは、また別問題だけどね」
次男は天使のような微笑みを浮かべる。
部下たち二人はこれ以上言っても無駄だと考え、口を閉ざす。
「あ、あの、それで」
姉はそろそろと座席の隅へ座る。
「何?」
すかさず次男は姉のそばに寄り、その顔を至近距離から覗き込む。
「あ、あの、えっと」
姉はじりじりと後ろに下がったが、すぐに背中が扉に当たってしまう。
観念して次男に向き直る。
「わ、わたしはこの後どうなるのですか? 弟との最初の話では、隣国にいる伯母のところに向かうつもりだったのですが」
次男はこともなげに言う。
「うん、それは恐らく無理だろうね。隣国へ行くには、国境の検問所を通らなくてはならない。兄貴は用心深い性格だから、その検問所にも兄貴の息のかかった奴が待機しているだろうね」
「そ、そんな、では、わたしはどこへ逃げればいいのですか? わたしを追ってくる人たちの手の届かないところへ逃げるには、どうすればいいのでしょうか」
姉はうなだれる。
隣国の伯母のところへ逃げれば、とりあえずの身の安全は保障されると考えていたために、姉にはショックだった。
姉の肩に次男の手が置かれる。
「これ以上、君が逃げる必要はないよ」
「え?」
次男の深緑の瞳が姉の顔を真っ直ぐに見下ろしている。
「これ以上、君が逃げる必要はないんだ。要は、君が生きて無事なことを内外に示せばいい。そうすれば、兄貴を牽制することが出来る。兄貴が持っている財閥の権力を、いくらかそぎ落とすことが出来る。それには君がおれに協力してくれることが必要なのだけれど」
そこまで言って、次男は姉の手に自分の手を重ねる。
飛び切りの笑顔を姉に向ける。
「もちろん、協力してくれるよね?」
姉はすぐには返事をしなかった。
その言葉の本当の意図を、注意深く探る。
次男の深緑の瞳の奥に宿った、真の思惑に考えを巡らす。
「その話、もう少し詳しく話してもらえませんでしょうか?」
こういった場の駆け引きがあまり得意ではない姉でも、次男が何らかの思惑を胸の奥に秘めていることには察しがついた。
ここで迂闊に答えてしまっては、自分の見どころか、弟も危ない目に合わせてしまうかもしれない。
姉は見えない目で真っ直ぐに次男を見つめていた。