長男と次男の、はた迷惑な兄弟喧嘩7
約束の時間よりも早く市場にたどり着き、弟は屋根の上から人気のない路地へと降り立つ。
あの後、途中で追手に出くわすこともなくここまでやって来た弟は、いつもの市場のにぎわいを見て胸をなで下ろす。
罠かと思って警戒してやって来たが、今のところ大きな変化はないようだった。
路地から市場の様子をうかがう。
広場には様々な露店が軒を連ね、人々が買い物を楽しんでいる。
野菜を売る店、果物を売る店、肉や野菜を売る店から、花屋までそろっている。
この市場に来れば、大体の物は買い揃えられるのだった。
弟は市場の中央にある噴水のそばにワタリガラスの姿を見つける。
その隣に叔父が立っているのに気が付く。
周囲に護衛の姿は見えない。
市場で買い物を楽しむ人々が笑顔で行きかう姿しか見かけない。
弟はその市場の人々の中に追手が紛れている可能性も考えに入れつつ、慎重に噴水へと近付いた。
先に弟の姿に気が付いたのはワタリガラスだった。
ワタリガラスは軽く手を上げる。
「白犬、お前一人か? あの美人の姉さんは一緒じゃないのか?」
弟は険しい表情で石畳の上を歩いていく。
「アパートにあんな手紙を入れて、いったいどういう用件だ? 姉さんたちが事故に合ってから連絡一つ寄越さないくせに。今更僕に何の用だ」
弟の声を聞いて叔父がこちらを振り返る。
その表情からは不安そうな心境が読み取れる。
「――、久しぶりだな。ワタリガラスに頼んでお前を呼び出したのは私だ。私がお前に会いたいと思って呼んだんだ」
叔父は弟の名前を呼ぶ。
その馴れ馴れしい口調に弟は眉をひそめる。
「今まで僕や姉さんを散々追い回したくせに、誰のせいで父さんと母さんが死んだと思ってるんだ! 誰のせいで姉さんの目が見えなくなったと思ってるんだ! 全部お前のせいだろう!」
弟は叔父に怒鳴り散らす。
叔父は一瞬驚いた顔をして、慌てて首を横に振る。
「違う。あれは、私がやったのでは」
叔父は言いかけたが、口をつぐんでうなだれる。
苦渋の表情を浮かべ、うつむき弱々しい声でつぶやいた。
「確かに、あれは全部私のせいだ。優秀な兄がうらやましくて、君たち家族が憎らしくて、やったことだ。私に兄ほどの才能があればと、何度望んだことか。きっと君たち家族は知らないだろうな。兄は私が財閥の総帥の地位を望んでいると思って出奔したようだが、私は最初から両親にも期待されていなかったことを。好きでもない婚約者を押し付けられ、父親の命令で結婚せざるを得なかったことも。兄と違って愛のある家庭が築けなかったことも。私がどれほど兄のことを羨んでいたかも。結局、私は何一つ兄に勝るものはなかった。心から愛する女性一人守れなかった。四人の息子達にも忌み嫌われ、父親らしいことも何一つできなかった」
叔父はよろよろと噴水のへりに腰かけ、大きな溜息を吐く。
事情を知っているらしいワタリガラスは、叔父の隣に立って黙り込んでいる。
弟は弱った老人のような叔父を一瞥する。
まだ腹は立っていたが、これ以上怒りをぶつけることは場違いのように思われた。
「それで、僕に何の用だ」
ぶっきらぼうに尋ねる。
叔父の代わりにワタリガラスが口を開く。
「それを白犬にはずっと伝えなくてはと思っていた。この財閥の跡目争いの件で、組織は中立を保つそうだ。人員は送るが、どちらか一方だけに肩入れはしない。あくまで、跡目争いが決着するまではどちらかに肩入れすることはない。だからお前が姉さんを護衛する役目はなくなり、代わりに叔父さんの護衛についてもらうことになる」
「なんだって?」
弟は目を見開く。
ワタリガラスは動じた様子もなく続ける。
「本来このことは、もっと早くお前に伝えなくてはならなかった。今までお前は組織の命令の下にあの姉さんの護衛をしていた訳だが、それもお役御免となった訳だ」
「ちょ、ちょっと待て。じゃあ、姉さんは誰が護衛するんだ? 目の見えない姉さんは、今も何者かに命を狙われ続けているんだぞ?」
ワタリガラスの代わりに叔父が答える。
「恐らく、彼女の命を狙っているのは、私の長男だ。あいつは君たち家族のことを良く思っていなかった。私が財閥総帥の地位に就いてからも、独断専行するところがあった。今回の件も元はと言えば、あれが計画したことだ」
ワタリガラスは肩をすくめる。
「組織はこのことには中立を保つ、と言っただろう? 中立ってことは、どちらも助けない、と言うことだ。つまり財閥での跡目争いがひと段落するまで、組織は動かないってことだ。白犬には悪いが、お前の姉さんが自力で生き延びてくれることを祈るばかりだ」
「ふざけるな!」
弟はワタリガラスの胸倉をつかむ。
当り散らしても仕方がないと頭では分かっていても、高ぶった感情は治まらない。
「今更姉さんを見捨てろと言うのか? 目の見えない姉さんを、こいつの長男に殺されるとわかっていて見捨てろと言うのか? ふざけるな!」
ワタリガラスは目を細め、黙り込んでいる。
こうなることがわかっていて、それを告げなければならない辛さが、その表情から読み取れる。
「――」
叔父が同情するように弟を見つめている。
弟はますます腹が立つ。
そんな時、すぐそばから声が掛けられる。
「ねえねえ、お兄ちゃん」
見ると小さな女の子だった。
この市場でお手伝いをしている子なのか、土に汚れたコートを着ている。
「これをお兄ちゃんにって、あそこのおじさんが」
純朴そうな女の子は布に包まれた小さな包みを差し出す。
「おじさん? 誰のことだ?」
弟は眉をひそめる。
女の子が指さした通りの先には誰もいない。
「あれ? さっきはおじさんがあそこに立っていたのに」
女の子は不思議そうに首を傾げる。
小さな包みを受け取った弟は、妙な違和感を感じる。
その包みに耳を近付けると、カチカチと何かの駆動音が聞こえてくる。
弟は包みの中身が危険なものであると直感する。
頭で考えるよりも早く、包みを空高く投げ捨てていた。
拳銃を引き抜き、空高く放り投げた包みに狙いを定める。
包みを二発拳銃で打ち抜くと、それは市場の上空で爆発した。