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姉と弟  作者: 深江 碧
八章 長男と次男の、はた迷惑な兄弟喧嘩
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長男と次男の、はた迷惑な兄弟喧嘩4

 車体全体が軽く揺れる。

 姉は次男の方に倒れ、次男は座席の方へと倒れる。

 車はブレーキを掛けて止まる。

 そこへ運転席から声がかかる。

「若、お楽しみ中のところ失礼いたします。少しご相談したいことがあります」

 次男は座席からのろのろと起き上がる。

「まったくその通りだよ。折角――嬢と良い雰囲気になってたってのに」

 その声には先ほどまでの甘い響きなどなく、不機嫌な口調で答える。

 次男は前を向いて、乱暴に金髪をかき上げる。

 姉も軽く頭を振って起き上がる。

 先ほどの自分の行動を思い出し、急に恥ずかしくなる。

 ――わ、わたし、何をしようとしたの? いくら命を助けてくれた人だからって、そんな簡単に心を許していいの? そ、そもそも、わたしはこの人のことを何も知らないのに。

 両手で顔を覆い、耳まで真っ赤になって黙り込む。

次男は運転席の方へと身を乗り出す。

「それで、何だ?」

「道の前方に検問所があります。恐らく――嬢を見つけ出すための検問所かと思われます」

「検問の名目は?」

「市場であった爆発事件の犯人、その関係者を探しているようです」

「街の外に出るための迂回路は?」

「それが他の道に配置している部下とも連絡を取ったのですが、街に出るための道すべてに検問所がありまして。街の外に出る人間を一人一人入念に調べているようです」

「それはそれは。ずいぶんと手回しが良いことで。この手回しの良さは、さすが兄貴だな」

 軽く舌打ちし、次男は肩をすくめる。

 次男と部下とのやり取りを聞いて、姉はぶるりと震える。

 先ほどの浮足立った気持ちから、一気に現実に引き戻される。

 ――もし検問所の人たちがわたしを探すのが目的なら、わたしがここにいたら、助けてくれた――さんたちにも迷惑がかかってしまう。

 姉は座席に背中を預け、ぼんやりと窓の方を見ている。

 視力を失った姉には、明るさがかろうじて感じ取れるくらいだった。

 ――わたしがここで降りれば、一人で逃げれば、彼らにも迷惑はかからない。わたしが一人で車から降りれば、もう誰も傷つかないで済む。

 姉は車の扉を探す。その取っ手をつかむ。

 幸い車は止まっている。

 ここで姉が車外へ降りても、怪我は負わないだろう。

 姉はそう思い、扉の取っ手を引っ張る。

 鍵がかけられているのか、取っ手を引いても扉は開かない。

「何してるんだい?」

 すぐ隣から声が掛けられる。

 姉の取っ手をつかんでいた手の上に、次男の手が重ねられる。

 はっとして姉は次男を振り返る。

「まさか、おれたちに迷惑がかかるからって、今更一人で逃げようとは思ってないよね?」

 次男の優しい口調に、姉はうつむく。

 申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「もしあの検問所が、あなたの言う通りお兄さんのしたことだとしたら、わたしがここにいるだけであなたも罪に問われてしまいます。わたしはこれ以上誰かに迷惑を掛けたくないんです。わたしのせいで傷ついて欲しくないんです。弟は、わたしを逃がす時に銃で撃たれました。幸い命に別状はないようですが、その後高熱を出して寝込みました。その時、わたしは弟がそのまま死んでしまうんじゃないかと、とても不安でした。いっそわたしが代わってあげられたらいいのに、と何度も考えました」

 次男は沈痛な面持ちで姉の独白を聞いている。

「わたしのせいで、これ以上誰かが傷つくのは嫌なんです。だから、どうかわたしをここで降ろしてください。そうすれば、後は自分一人で逃げます。これ以上、あなた方に迷惑をかけるわけにはいきません」

 姉は努めて平静を装った。

 捕まったらどうなるのか、今度こそ命はないかもしれない、という予感が頭に浮かぶ。

 しかしそれでも構わないという強い気持ちも同時に沸いてくる。

 自分のために誰かが傷つくよりも、自分が傷ついた方がいい、と言う気持ちは、姉の胸の中に常にある。

 両親が亡くなってから、その気持ちはさらに強くなっていた。

 ――せっかく弟に逃がしてもらったのに。ごめんね、――。

 姉は扉の取っ手をつかんだまま、うつむいている。

 弟に対する罪悪感でいっぱいになる。

 姉の手の上に置かれていた次男の手に力がこもる。

 優しい声で語りかける。

「――嬢は、ひどく心が傷付いている。ご両親が亡くなったばかりで、目の見えない慣れない生活を強いられ、自分の命も危険にさらされて、ひどく心が弱っているようだ。今のあなたには心の休息が必要だ」

 次男は駄々をこねられた子どもをあやすように、困ったように笑う。

 運転席に向けて指示を出す。

「という訳で、――嬢の頼みは聞けないし、検問所は強行突破ね。おれ、兄貴に捕まって、その前に跪かされるのなんて、想像するのさえ嫌だからさ」

 あっさりと言い放つ。

「え? えぇ?」

 次男の決断の早さには、姉の方が驚いてしまう。

 しかし運転席と助手席にいた部下二人は慣れたものなのか、冷静に応じる。

「承知いたしました。他の車両にも、そう伝えます」

「うん、よろしく」

「――嬢、少々乱暴な運転になりますが、ご容赦ください」

「え? は、はい」

 訳が分からないながら、姉はうなずく。

 姉が戸惑っていると、すぐそばから次男の声が聞こえる。

「大丈夫だよ。おれが――嬢を守るから。兄貴も街のあちこちに部下を配置しているみたいだから、一か所の人員はそれほどではないはずだ。おれたちだけでも十分振り切れる」

 そう言いながら、次男は馴れ馴れしく姉の肩に手を回してくる。

「それよりも、さ。さっきの続きをしようよ。さっき、キスしそびれただろう? どうせなら濃厚なのを一つ」

 次男は姉に顔を近付ける。

 姉はびくりと肩を震わす。

「い、いえ、今はとてもそんな気持ちでは」

 座席の隅に逃げつつ、話題を変える。

「そ、それよりも、本当に検問所を突破するつもりですか? この車で、本当に逃げられるのですか? もし万一、逃げられなかったら」

 表情を暗くする姉に、次男は明るく笑いかける。

「大丈夫だよ。この車は特別製だからさ。そんじょそこらの銃弾では傷一つ付かないように出来てるからさ。ガラスも装甲も軍隊で使われている特別製でさ。エンジンだってジェット機のものを積んでるんだよ」

「は、はあ」

 次男の説明を聞いても、姉にはぴんとこない。

 不安な気持ちを拭い去ることは出来ない。

 次男は明るい声で話し続ける。

「検問所を突破する間、君が怖くないようにおれが抱きしめていてあげるから、安心してよ。おれが抱きしめていれば、君も安心できるだろう?」

 次男は姉の返事を待たずに抱き着く。

「い、いえ、そう言う意味では、なくてですね。わっ!」

 姉は訴える間もなく、そのまま座席に押し倒される。

 下手に頭を上げていたら危険なことは姉にもわかったが、だからと言って抱き合っている必要はない。

「は、離れてもらえませんか? わ、わたしなら、大丈夫ですから」

「そんな強がりを言っちゃって。本当は怖いくせに」

「だ、大丈夫ですってば」

 姉は次男の腕から何とか逃れようとする。

 その時、運転席の音が聞こえてくる。

「こちら、一号車。準備は整った。これから東部地区の検問所を突破する」

 それに応じるように、くぐもった声が聞こえてくる。

 早口で一言二言やり取りをしている。

 助手席の部下がこちらを振り返る。

 手には拳銃を持っている。

「若、準備が整いました。どうか安全のためにそのままの姿勢でいてください」

「わかってる。後はよろしく頼むよ」

 次男は姉を押し倒したまま、わずかに顔を上げる。

「――嬢も、お辛いでしょうが、しばらくのご辛抱です。検問所を通過するのに、それほどの時間はかからないと思います」

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